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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第十一章 名も無き魔法使い

福田弘生

 セントーンの北方の都市ソーカルスの港をマコーキン将軍が率いる兵がびっしりと取り囲んでいる。黒い鳥が翼を拡げたように半円を描いて兵士が立ち並ぶ中央の石畳には、背の低い小型の船が乗り上げていた。船の横にマコーキン、両隣に参謀のバーンと魔術師ミリアが立っている。バーンの横にはソンタールの皇子ムライアック。その後ろにカインザーのアシュアン伯爵、サルパートのエラク伯爵、バルトールのマスター・モントの三人の外交官が立ち、それらの全員を守るかのように、赤い鎧のバルツコワが後方に兵を従えて立っていた。
 黒く濁った水は凍ったように静まり、海面には早く昇った月が映っている。その上を驚く程の速度で進んで来た小さな船がピタリと停止した。舳先に立つ黒い冠の魔法使いの姿が岸からよく見えるようになった。黒い船には金と赤の奇妙な模様が施されている。
 ミリアは魔法使いに注意を集中していたが、後方でアシュアンが港の中央に立つ巨大な怪物の姿を見てあきれたような声を上げた。
「何だあの怪物は」
 重厚なバーンが首を振りながらつぶやくように言った。
「あれは、首都の神殿にあるバステラ神の像に似ている」
 ミリアがハッとした。
「おそらく、その通りよ。正確に言えば元々のバステラ神の像だわ。今、グラン・エルバ・ソンタールの神殿にあるのはアイシム神の像を黒く塗ったものでしょう。あれはマルバ海に捨てられた最初のバステラ神の像のほうよ」
 マコーキンが驚いた。
「ユマールの将はそれを引き上げたのか。しかし神殿の像はあれ程巨大では無いぞ」 
「魔力で生命を持って成長したのでしょう。代々のユマールの将と黒い冠の魔法使いは、あの大陸でこんな怪物を育てていたのよ」
 震えていたエラク伯爵が蒼白な顔でつぶやくように言った。
「ついにある時、バステラ神の像は神殿から取り払われて、遠くマルバ海まで運ばれて沖合いの波間に捨てられた。この時、闇の中でバステラ神は怒りのうめき声を上げ、人々は初めて安らぎの闇の中に潜む恐怖というものを知った」
 ミリアがうなずいた。
「そう、この世の最初の恐怖が蘇ったのよ」
 ミリアは目の前の海面に浮かぶ船の上の男を見つめた。黒い冠の魔法使いが身にまとった衣から闇がこぼれ落ちそうに見える。ミリアは汚されたような不快感をおぼえて無意識に黄色のドレスの裾をはたいた。
(この気配は私の知るどの魔法とも違う。これは黒の神官では無い。なぜガザヴォックはこの魔法使いを配下に加えたのだろう)
 その時、魔法使いが水面に指先を向けた。すると真っ白なソホスの固まりがいくつも浮上した。バーンが叫んだ。
「まさかライケンがここにやって来るというわけではあるまいな。マコーキン様がここにいる事はわかっているだろうに」
 ミリアは首をかしげた。
「確信は無いけど、たぶん彼はライケンとは別に行動しているんだと思うわ」
 港のあちこちから悲鳴があがるのが聞こえてきた。ソホスが小さな船を襲い始めたのだ。バーンが舌打ちした。
「小船など沈めても意味は無い。むしろここの住民が通常の生活を続けてくれたほうが軍を維持する上で助かるのに」
 マコーキンがバルツコワに命じた。
「船を用意しろ。会いに行く」
「大丈夫でしょうか」
 バルツコワが心配そうな声を上げた。マコーキンは大丈夫だとうなずいた。
「私も西の将だった事がある。今はハルバルト元帥の命令で動いている。まさか危害は加えまい」
「私も行くわ」
 ミリアが言った。マコーキンは驚いた。
「私たちは魔法の鎖で繋がれているのよ。運命は一緒だわ」
 バルツコワが用意した船にマコーキンとミリアが乗り込んだ。バルツコワと数名の兵士が後に従い、冠の魔法使いの乗る船に向けてこぎ出した。するとソホスが群がるように船の下に押し寄せてマコーキンの乗る船を運び始めた。マコーキンは船縁から青白いソホスの波を眺めて面白そうに笑った。
「なる程。慣れれば快適かもしれない」
 すっかり闇が降りた。港を囲む兵士達の手に松明が赤い星のように焚かれた。月光を背に七本腕の黒い巨人が立っている。その顔は見えない。名も無き魔法使いは小舟の上で待っていた。黒い衣の魔法使いに向かい合うマコーキンの鎧の輝く銀色の竜が月光を浴びて浮き上がった。闇に汚されない黄色いドレスのミリア。燃えるような赤い鎧のバルツコワ。鏡のような海面に白くうねるソホスの波の上で二つの船はぶつかるように近づいた。
 マコーキンが名剣バゼッツアランを抜いて叫んだ。
「将の剣は」
 魔法使いが懐から黒光りする冠を取り出した。黄色い目が輝き、こもるような、重いとどろく声で応じた。
「黒き秘宝の上に」
 そして意外な程に身軽くマコーキンの船に飛び乗った。マコーキンがパチンと剣を鞘に納めた。
「まだ私を将として認めているか」
 重々しい声が答える。
「もちろん。私が知る限りソンタール史上最良の将」
「それは言い過ぎだ」
 魔法使いは両手を拡げた。
「私は嘘を言わない」
 マコーキンは興味を持って尋ねた。
「ならばこの先、私はソンタールのために役に立てるか」
「それはわからん」
 マコーキンの後ろでミリアが軽やかな声で言った。
「あらおかしいわ。黒い冠の魔法使いはソンタールに有利な未来を見るはず」
「我にも謎だ。そなたのせいではないのか、翼の神の弟子。将と魔女の間にガザヴォック様の鎖の魔法が見える」
 ミリアが顔の前でクイクイと手を振った。
「あなたに外せる」
「否。ガザヴォック様の魔法はバステラ神の魔法そのものゆえ」
 そう言うと、魔法使いは後ろに飛びすさるように自分の船に戻った。マコーキンがどなった。
「どうするのだ。私の参謀がここの住民を殺すなと言っている。軍を維持するのに役立つ」
「心配は無用。我はあなたを見に寄っただけ。将ライケンはすでにダワに上陸する頃」
 ミリアが青ざめた。マコーキンがたずねた。
「貴様はどこに行く」
「我はトルマリムを。都市の一つなど我と巨獣だけで十分」
「行かせないわ」
 ミリアが気色ばんだ。魔法使いはくぐもった声で笑った。
「そなたに我は殺せない」
 ミリアは手の平を向けて魔法使いに力の網を張ろうとした。しかし魔法使いに届く前に魔法が消えた。ミリアは驚いた。
(なぜ)
「そなたに我は殺せない」
 魔法使いがもう一度言うと、船は驚くほどの速さで去って行った。いつの間にか巨獣の姿も海中に消えていた。
 マコーキン達は無言で岸に戻った。ミリアを迎えたエラク伯爵が小さな声でミリアに言った。
「ミリア様、あの魔法使いが乗っていた船に見覚えがあります。あれはユマールの図書館の館員が乗っていた船です」
 ミリアが首をかしげた。
「魔法使いは図書館の館員だったの」
「かどうかはわかりませんが、ただ気になる事があるんです。その図書館員はどうやらサルパートにゆかりがあったようなんです。彼と黒い冠の魔法使いは何か関係があります」
 ミリアは煌々と輝く月を見上げて考え込んだ。

 (十二章に続く

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