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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第十六章 ナデリ坂

福田弘生

 ソンタールの第六の将パール・デルボーンの二人の友人シャイーとゲイルは、ランスタイン大山脈の山中でパールと別れた後、一万の兵を率いて月光の要塞を確保した。二人は要塞を注意深く点検して、そこが今すぐにでも使える状態にある事に驚いた。兵を配置につかせ、壮麗な要塞の廊下を歩きながら、赤い巻き毛のシャイーが床についた自分の長靴の泥を気にして友人に言った。
「これは立派な要塞だなあ、しかしなんでここはこんなに綺麗なんだ」
 色黒で精悍なゲイルが答えた。
「元々、五将の要塞の中では一番美しい様式で建築されたそうだ。それに昨年の冬、マコーキン将軍が通過する際に掃除して行ったらしい」
 シャイーが天井を見上げると、そこには新しい蜘蛛の巣が張られていた。
「あの人らしいが相変わらず変わっているなあ。だが、変わり者でも彼の軍は間違いなくソンタールの最強なんだろう」
 ゲイルが首を振った。
「いや、だったと言うところだ。今では自分の家の兵とバーン侯爵の兵をあわせても兵力はせいぜい一万。かつての西の将の勢いは無いよ」
「それではハルバルト元帥の後継者争いからは脱落か。残念、私欲の無い理想の指揮官だったけれど」
「余程の事が無い限り元帥になるのは無理だ。元々貴族の間には支持者が少ない人だったしね。尤もそれは東の将キルティアも同様だけどな」
 シャイーは不満そうなため息をついた。
「やれやれ、そうすると残るのはやっぱりユマールの将ライケンか。首都の貴族達はごきげんをうかがうために兵をずいぶん送ったらしいぞ。ライケンはまずゼイバー提督に代わって海軍をおさえ、さらに元帥の地位も手に入れて陸海両軍を支配するつもりだと噂されている」
 二人は要塞の東にある建物に入った。ゲイルがガラス張りの窓から中庭を覗くと、そこには大理石で囲まれた有名な泉があった。ゲイルは大きな窓を開けて息を吸い込んだ。
「ライケンを支持している商人ギルドの長レボイム以外の長老達が黙ってはいまい。ハルバルト元帥はそうなる前にライケン以外の後継者を選ぶと思うよ」
「貴族議会や巫女長の魔女もライケンを支持するかもしれないぜ。それにライケン以外と言ったって貴族でまともに兵を指揮できるのはパール様ぐらいのもんだろう。パール様は元帥のお気に入りだが、あの性格では元帥まで上りつめるのは無理だ」
 ゲイルが低い窓枠に腰掛けた。
「パール様はロッグを手中に入れたらマコーキン将軍に合流するといい。二人とも我が強いわけでは無いので、一緒になってもうまくやっていけるはずだ。力を併せてセントーン戦で傷ついたキルティアとライケンを一気に排除してしまうんだ」
「マコーキン将軍とパール様か。確かに戦上手だが、それだけでライケンに対抗できるかなあ」
 しばらく考え込んだ後、シャイーが手を叩いた。
「そうだ、南の将の要塞を取り返すためにクラウス・ゼンダが行っただろう。彼と連絡がとれないだろうか。家柄、人格、戦闘の指揮。先々を考えるとあの男が一番すぐれた将軍になる可能性がある。南からキルティアを牽制してくれればいい」
「うーん。あそこの指揮をとっているのはクラウスの親友のラムレス・ジョールの親父だから別行動は難しいだろうね」
 二人は庭の泉を見つめた。シャイーがボソリと言った。
「ここはいいところだ。いっそ独立してしまえ」
 ゲイルは黙って肩をすくめた。

 数日後、パールが宝石を散りばめたヘアバンドと短めの金髪を光らせながらふらりとやって来て、一人で要塞の門をくぐった。門の上の見張り台で待ちこがれていたゲイルが大声で呼びかけた。
「やあ、パール様。この要塞十分に使えるぜ」
 パールは片手を上げて挨拶すると、鋭く口笛を吹いた。すると猛牛のような魔獣がこれも待ちきれなかったように要塞の中の厩舎から走り出てパールに駆け寄った。パールはゲイルにどなった。
「カインザーのロッティ子爵はどうしている」
「まだリナレヌナに陣取っているよ」
「こっちに注意は払っていないのか」
「もちろん払ってるだろうが、動く気配は無い」
「よし、すぐに出撃だ。リナレヌナに向かう」
 ゲイルはあわてて見張り台から駆け下りてきた。
「正気か、ロッティがこっちに向かって来れば全滅だぞ。ここからロッグを攻めるんじゃなかったのか」
「いや、俺達がロッグに着く前に追いつかれる。それよりランスタイン大山脈のベルターンのオアシスにいる軍勢を降ろす。ペイジとヒースは向こうに戻って指揮を取らせる事にした」
 パールが要塞の中央の広場に進むと、そこには整列した騎馬兵と歩兵が並んでいた。シャイーが出迎えた。
「要塞の南にあるベーンゼルはさすがに大きな町だ。物資は充分に補給できた。馬はいくらでもいたんだが、軍馬に使えそうなのは三千揃えるのがやっとだった」
 パールは嬉しそうに笑った。
「それでいい。七千の歩兵はここに残す。ゲイル、要塞の指揮をとってくれ。シャイーお前は俺と来い」
「あいよ」
 シャイーは残念そうな顔のゲイルに手を振って答えた。パールは魔獣にスタミナのつく食べ物を一かじりさせると、そのまま魔獣にまたがった。ゲイルが尋ねた。
「休まないのか」
「ああ、リナレヌナはけっこう遠いからな」
 隣に並んだシャイーが号令をかけ、パールと三千の騎馬兵はリナレヌナに向けて出撃した。

 ・・・・・・・・・・

 ロッティ子爵は、ランスタイン大山脈からリナレヌナに向かう街道の降り口、ナデリ坂と呼ばれるダラダラとした数キロに及ぶ長い坂の下に築かれた砦の前の平地で馬をせめていた。暑い日差しの下でただ一騎。供は短い黒い影と馬の蹄の音だけ。ロッティはこうやって考えをまとめる。そこに小太りの男が馬を走らせて来た。男はロッティの近くに来ると不安定な鞍から転げるように降りた。それはバルトールのマスター・トンイだった。トンイは息をきらして顔の汗をタオルでぬぐうとロッティに叫んだ。
「子爵、ソンタールのパールの兵が月光の要塞に入りました。その数一万」
 ロッティはドドドドと音をたてて馬を止めた。二人の人間と二頭の馬は光と影だけで陽炎の立つ地面の上に浮き上がっているように見える。ロッティが渋い声で応じた。
「心配するな。歩行の兵一万より俺の騎馬軍団のほうがはるかに速い。ロッグまでの競争なら負けないよ。月光の要塞にパールが入った時点ではまだ大きな問題にはならない」
「ええ、それはパールもわかっているのでしょう。ただパールはロッグに向かわずこちらに向かって来るのです。このままだと挟み撃ちにあいます。ここは私とバルトールの兵で固めておきますので、すぐに迎え撃ってパールを倒してください」
「うむ」
 ロッティはうなずくと手綱を引いて馬頭をめぐらそうとした。トンイは黙って立っていた。ロッティは馬を止めて怪訝な表情をした。
「どうした、パールを攻撃に行って欲しいんだろう」
「いえ、こんなに簡単に引き受けていただけるとは思いませんでしたので」
「ふむ、俺がどうすると思ったんだ」
「断られると思いました。私は軍団を指揮した戦闘の経験はほとんどありませんが、人と人の闘争はいくつもくぐり抜けてきました。本気で喧嘩をする時は仲間を分散してはいけません」
 ロッティは馬から降りた。
「その通りだ。軍を分けてはいけないのならば、街道の上のベルターンのオアシスにいる敵と月光の要塞から来るパールのどっちを攻撃する」
「パールが率いて来る兵の数はそれ程多くありません。しかし街道の上の敵が降りてきてはやっかいです。全力をあげてオアシスの敵を討ちましょう」
「よく言った。その言葉を待っていた」
 トンイは驚いた。
「最初からそのおつもりだったのですか」
「もちろんだ。この戦いで最も重要な役割を担うのはバルトールの兵だ。その兵を率いるマスターにその覚悟が無いのならばこの戦闘には勝てない」
「なる程。私の覚悟は信用してくださって大丈夫です。ロッグにバリオラ神がお戻りになった今、私も兵も命をかけて戦う事に悔いはございません」
「死なれては困る。ベリック王は国を一つ創らなければならないんだ。これまでの活動とは比較にならない程、難しい仕事がお前を待っている」
 ロッティは軽々と馬の鞍に飛び乗ると、そう言い残して走り去った。

 トンイに率いられた二万七千のバルトール兵はその日の夕方からランスタイン大山脈の木々の間を密かに通り抜けて、ベルターンのオアシス沿いに駐屯しているソンタール軍の隊列を囲むように陣取った。
 しかし山道を通ってソンタール軍の本体に戻ったパールの友人のペイジとヒースは、これに気付いてすかさず全軍に警戒態勢を敷いた。
 バルトール兵の配置を終えたトンイは、ナデリ坂に沿うように築いた小さな砦から断続的に攻撃を仕掛けさせた。ペイジとヒースはそれに応じないように全軍に徹底した。
 そこでトンイは坂の上のほうにある砦から順にソンタール軍に攻撃を仕掛け、戦った後に砦を捨ててそのまま坂下に後退させるという作戦を取った。これにはソンタール軍の先鋒部隊がつられて動き出し、小規模な戦闘が数日続くうちに次第にナデリ坂の下に向かってソンタール軍の隊列が延びていった。しかしやはり全軍を動かすには至らなかった。

 ・・・・・・・・・・

 その頃、テイリンは月光の要塞に向けて二千のゾックを率いて山を下っていた。そこにルフーの長レイユルーが知らせにやって来た。
「パールが街道沿いのオアシスに残してきた軍が、ロッティ子爵と連合しているバルトール軍に包囲されています」
 テイリンは率いているゾックを見回した。
(この小鬼達の飛翔能力を試す時が来たか)
「行くぞこれが私が望んでいた戦場だ」
 レイユルーは一声吠えてテイリンに告げた。
「ルフーは参加しません。あなたが白きアイシム神の魔法使いかもしれませんので」
「それで良い」
 テイリンは短く答えると手を高々と上げた。二千の小鬼の背中のこぶから、細い鳥の翼のような羽が伸び、しばらくはばたくと一斉に飛び上がった。
「おお」
 テイリンは顔を紅潮させて歓声をあげた。そして空に向かって呼んだ。
「アンタル」
 テイリンの背後の谷の中からドラティの子供の緑色の巨体が空中に浮き上がった。テイリンは身軽に木に駆け上るとアンタルの背中に飛び乗った。そして西の空を指差して叫んだ。
「西へ」

 ・・・・・・・・・・

 マスター・トンイは自分が包囲している軍勢の緊張度が高まっている事を感じて坂の下にいるロッティに相談に降りた。
「敵は気付いていますね。次第に坂を降りては来ましたが、まだ全軍が動く気配はありません」
 ロッティはうなずいた。
「すぐれた指揮官が残っているわけだ」
「後ろからの攻撃を開始しますか」
「いや、指揮官が不在ならばともかく、今のソンタール軍だと後方の敵を攻撃するために引き返しかねない。やはり私が敵の先頭を叩いて引っ張ってこよう。一日の距離まで敵を引きずり出してくれただけでも、バルトール軍の十分な成果だ」
 トンイは少し照れたような顔をした。
「おお、そうそう。パール・デルボーンについて調べてみました。彼はデルボーン家の跡取りですが、自ら軍に志願しました。貴族の子がこういう事をするのはとても珍しい。彼の部下達は貴族の次男、三男。皆家の厄介者です。この軍は自分達の力だけで、ソンタール軍の中を泳ぎ回りながら力を付けてきました」
「なる程。他のソンタール兵と手応えが違うのはそのためか。パール本人について何かわかったか」
 トンイは困った顔をした。
「それが、どうも二十歳くらいまでの記録が無いのです。大病でずっと屋敷の中で暮らし続けていたとかで、その間の記憶は本人自身にも無いとか」
「ふうむ。パールは何歳だ」
「二十台後半から三十といったところでしょう」
「ほぼ十年程度で、あれだけの軍の指揮ができるのはおかしいぞ。屋敷の中にいたというのは嘘だろう。本当に記憶を無くしているとしても、その間に軍人としての経験があるはずだ」
「ならばそのパールが来る前に」
「ああ、上の軍勢を引きずり降ろしてやる」

 ロッティは二万の騎馬兵の半分の一万を引き連れて街道を駆け上がった。そしてソンタール軍の先頭に辿り着くと、街道を塞ぐように駐屯している兵めがけて激しい攻撃を開始した。そして散々に蹴散らした後、退却を開始した。ソンタール兵達はそれを追うようにナデリ坂を下り始めた。
「かかったぞ」
 ロッティはソンタール軍を引き連れるように坂を下った。さらに頃合いを見計らってソンタール軍の後方からトンイ率いるバルトール軍が一斉に攻撃を開始した。そのためソンタール軍が坂を下る速度に勢いがついた。全軍が動き出したのを感じて、ソンタール軍の中央にいた指揮官のペイジとヒースは青くなった。ペイジがヒースに叫んだ。
「しまった。もう止まらない」
「しゃあねえ。この数で押し切っちまえ。こっちには十一万もいるんだ」
 坂の途中の砦をトンイが放棄していた事がソンタール軍に幸いした。ページとヒースに率いられたソンタール軍はほとんど無傷でナデリ坂を駆け下りた。しかしそこに待ち構えていたのは、街道の出口の両側にロッティが築いた巨大で堅固な砦だった。両方の砦からは大弓の矢が雨のように放たれ、ソンタール軍は血まみれになって坂下の平地に満ちた。

 坂の下ではロッティの家臣のエンストン卿が率いる二万のカインザー歩兵と、本隊に戻ったロッティ自身が率いる騎馬兵二万がソンタール軍の先頭を打ち崩した。一時間近く激しい戦いが続いた後、エンストン卿がロッティに駆け寄った。
「お館様、敵が多過ぎます。さすがにこの数を一気に殲滅するのは無理です」
 ロッティも半月刀をかついで答えた。
「そうだな、途中で躊躇でもして少しは速度が落ちるかと思ったが。トンイが敵のケツを叩き過ぎた」
「バルトール人は元々戦意が旺盛過ぎるきらいがありますので。それで、どういたしますか」
「機動力はこっちにある。あきらめずに敵の隊列から飛びだした兵を叩け。あの大軍を分散させるとやっかいだ」
 ロッティ、エンストン、トンイの軍は懸命にソンタール軍に攻撃を繰り返した。しかし粘液質の液体が流れ出るように、次第にソンタール軍はリナレヌナの南の平地に満ちていった。

 ナデリ坂の下で死闘が続いている最中、リナレヌナでは次々に運び込まれる負傷者を看護する指揮にリビトン老人が駆け回っていた。老人は小さな黄色い太鼓を手に持って、音頭をとるように看護兵や市民達を指揮した。
 やがてさすがに声が枯れたリビトン老人は、一息ついて水を飲むとふと空を見上げた。するとその空の彼方に黒い無数の点が見えた。
「あらあ、何だべなあ」
 老人は小手をかざして見つめていたが、アッと叫んで太鼓を連打すると、近くにいる兵を呼んだ。
「ロッティ子爵に知らせてこい。東の空から何かがやって来る」

 (第十七章に続く

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