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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第二章 ライケン上陸

福田弘生

 セントーン王国の南方の港湾都市ダワに朝が来た。白い朝靄の中で海面を眺めたアントン・クライバー少年は、湾の内側のいたる所に七本足のイカが群れて出来た白いソホス玉が浮いているのを見て驚きの声を上げた。
「あれがソホス玉かあ、不思議な物だなあ」
 隣で参謀役のトーム・ザンプタがうんざりしたようにうなった。
「あんなもん、気持ち悪いだけだぞ」
 ダワの防衛軍の総指揮官はまだ若いバオマ男爵という貴族だった。船乗りらしい呑気な男だったが、その朝はさすがに青ざめていた。
「どうなっちまうんでしょうねえ、クライバーさん」
 アントンは笑いながら背の高い男を見上げた。
「出来る限りの事をするしかないでしょう」
 ダワの街並は半円形の湾を囲むように低く長く家々が建てられている。その巨大な湾の入り口を短期間に防ぐ事は出来無い。しかし湾内には浅瀬がいくつか点在していた。アントンは船に石を積んでその浅瀬まで運んで沈めさせた。それにはバルトール・マスターのリケルからフスツが借りてきた湾内の海底の様子を記した地図が役に立った。
 さらに浅瀬に沈めた障害物の間に、小舟と木材を太い縄で繋いで浮かべた。トーム・ザンプタは縦横に海中を泳ぎ回って、障害物を設置する指揮をとった。
 薄日が差してきた。あたりの景色が色づき出した頃、バオマ男爵が海面を指差して叫んだ。
「ソホス玉が消えましたよ」
 ザンプタが背後に控えた、ダワの守備兵達を見回してゆるやかに言い渡した。
「来るぞ。心せい」
 ユマール艦隊の巨大な戦艦が続々と湾の中に進入して来た。アントンの指示で、湾の入り口に浮かべられた船と材木に火がかけられた。しかしライケンの戦艦はその炎を踏みつぶすように船底で砕き、炎ははかない粉となって散った。次にアントンは風上にあたる南西の岸から煙を濛々とあげる草と木材を燃やして海上に煙幕を張った。やがて海面は白い煙で覆われた。ライケンの戦艦はかまわずに進んだが、視界が狭まった兵士輸送用の巨大船はあちこちで互いに接触しあった。さらに湾内数か所に仕掛けられた浅瀬の障害物に船が乗り上げ、きしみながら座礁した。
 それを確認して、湾内の商船や漁船の陰に隠れていたセントーン軍の小舟が一斉に海面に繰り出した。そして煙幕にまぎれて戦艦に近づくと高い甲板めがけて火矢を放った。しかしすぐにライケンの戦艦から雨のように矢が放たれて、ハリネズミのようになったセントーン船は乗り組み員ごと転覆した。アントンは首を振ってバオマ男爵に指示した。
「小船の攻撃をやめさせてください」
「仕方がありませんな」
 横にいたトーム・ザンプタはアントンを見上げて思った。
(背もよく伸びるが、中身もちゃんと備わってきとるわい)
 アントンが不安な顔をして尋ねた。
「ザンプタ、どう思います」
「あれはザイマンや南の将の戦艦とは根本から造りが違う。異様に頑丈に出来ている。ユマールの将は余程周到にこの遠征を計画したと見えるな」
「水の上で止める事が出来ると思いますか」
「まともな戦艦も無いここの兵力では無理だろう。抵抗するなら水際しかない」
 もちろんカインザー人のアントンは水際での防衛策をいくつも考えていた。アントンがバオマ男爵に問いかけるような目を向けると、男爵が頬を引きつらせて首を振った。
「それでは市民が巻き添えをくらってしまいますよ。ライケンにとってこの都市はあくまで通過点でしょうから、上陸後の抵抗が無ければ市民はそのままにしてくれるんじゃないでしょうか」
 ザンプタが水に入りたそうに海面を見つめながら言った。
「わからんぞ。同じソンタールの東の将キルティアは、征服した都市で虐殺を繰り返している」
 アントンがこれに答えた。
「キルティアはソンタールの将の中でも突出して異常です。ライケンはソンタール帝国内での確固たる地位を狙っている将、むやみな人殺しはしないでしょう」
「北のトルマリムは都市丸ごと炭になってしまったと聞くぞ」
 アントンはその情報をフスツから聞いた時の恐怖を思い出してゾッと身震いした。
「あれは名も無き魔法使いと魔獣の仕業でしょう。なぜかライケンとは行動を別にしています」
 アントンはバオマ男爵とうなずきあって言った。
「町の外に引きましょう」
 バオマ男爵がホッとしたように肩を落とした。
「さすがカインザーの獅子の息子さんだ、判断が早い」
 やがてユマール艦隊は圧倒的な数で海面を黒く染め上げるように湾内に満ちた。ライケンの旗艦らしき海獣の旗印の大戦艦が艦隊の中央を割るように先頭に出て来た。バオマ男爵が戦艦の大きさにあきれたように声をあげた。
「あれだ。ライケンだ」
 船はゆったりと港に接岸した。全部の艦が接岸して戦士を降ろすには、明日の朝まではかかるだろう。

 そしてソンタール第一の将と呼ばれるライケン・ジマハールがセントーンに降り立った。月光の将が北方からセントーンへの侵入を試み、撃退されてから二千五百年。その流れをくむユマールの将がついにセントーンの大地に足を降ろした。
 両側に並んだ大柄な武人達の中央に立ったライケンは、大きな男では無かった。西の将の勇猛さも、北の将の威厳も、南の将の豪快さも、東の将の狂気も、第六の将の破天荒さも無かった。洗練された知的な、むしろ芸術家のような雰囲気の男だった。整った顔立ちはユマール人のものではなく、首都の貴族から妻を娶り続けた生粋のソンタール人のものだった。ソンタールの貴族にはライケンの縁戚にあたる有力者がたくさんいる。五人の将の中で、ライケンのジマハール家だけが世襲である。つまりユマールは一種の独立王国であった。
 夏の終わりなのにきっちりとした灰色の服に身を包み、黒い髪をぴったりと油でなでつけた将は静かにダワの町を見回した。
「おだやかだな。海面であれほど抵抗したのに、ここには兵がいない」
 ライケンの片腕のミハエル侯爵が答えた。
「おそらく住民の身を気遣ったのでしょう」 
「なるほど。それならば市民に手は出すな」
 ライケンは戦場における敵同士のこういう呼吸が好きだった。
 船が続々と接岸している。あわただしい喧噪が港全体を包んだ。船から下りた兵士達がころがるように市内に駆け込む。ライケンはイライラしながら叫んだ。
「あれを止めさせろ。規律正しくするんだ」
 ミハエル侯爵が部下を叱咤して命令を下した後、ライケンに小声で告げた。
「ご存じのように、先のマルバ海の海戦で、ザイマンのドレアント王に食料輸送船を多数沈められました。兵達は飢えております」
 ライケンは不機嫌な顔をするとプイと背を向けた。
「早く宿を用意しろ」
 ミハエル侯爵が船から馬車を降ろし、ライケンは馬車で宿舎に定められた宿に入った。ユマールの将はゆっくりと風呂に入ってくつろぐと、身だしなみを整えて部下達の前にあらわれた。すでに宿の広い食堂の奥に豪華な椅子がしつらえられ、横のテーブルにはユマールから連れてきたコックの手による料理が置かれていた。ライケンはゆったりと椅子に座った。
 ミハエル侯爵がかしこまって報告した。
「商人ギルドの長レボイム様の使者が参っております」
「よし、会おう」
 やがて黒い服の男が食堂に入って来た。男は体をかしげて足を引きずりながら将に近寄った。ライケンは手元の酒にのばした手を止めて眉をひそめた。
「これは驚いた、バルトールの死神がレボイムの使者なのか。見たところどこか具合でも悪いのか」
 男は恐ろしげな微笑みを浮かべた。
「首都ロッグで色々ありましてね」
「死んだと聞いていたぞ」
「さすがに詳細な情報をお持ちですね。まだまだ決着をつけなければならない相手がたくさんおりますので、死ぬわけには参りません」
 ライケンはかるく酒に口をつけた。
「私は失望しているぞ。この十年、レボイム達は貴様らバルトールの暗殺者と組んで皇帝の位を操ろうと画策したが、ことごとく失敗した」
 バルトールの死神と呼ばれたイサシは、怒りの色を目に浮かべてライケンを見返した。
「これは意外な。少なくとも我々は後継者をムライアック皇子一人に減らしました。ゼイバー提督がレイヴォンを連れて戻る前にライケン様が行動を起こせば状況は変わっていたかもしれません」
「私のせいだと言うのか。ふむ、確かにもっと早くユマールを出るべきだったな。まあよい、レボイムは誰と組んだ」
「貴族議会のケルナージ大公と、魔法学校のメド・ラザード様」
 ライケンは薄く切ったハムをフォークで口に運んだ。
「弱者の連合だ。ハルバルト、ゼイバー、ガザヴォックの三大老とは格が違う」
「だからこそライケン様が必要なのです。バルトール人の私の目から見て、現体制に対抗する三人の中で、皇帝の後ろ盾として表に立てそうなのはケルナージ大公だけ。しかし大公は高齢です」
 ライケンは目を閉じて一息ついた。
「私の元を逃げ出したムライアック皇子が、このセントーンにいるそうだな」
「北方のソーカルスのマコーキン将軍の元に」
「パール・デルボーンもそこにいるのか」
「何か巨大な魔法が関係した事故で兵を失いましたが。本人は無事だそうです。この二人はハルバルト元帥の子飼いですから、おそらく敵になるかと」
「王家の血筋はレイヴォンとムライアックの二人だけ。もう一度ムライアックを担ぎ出すにはマコーキンとパールの二人は排除しなければならん」
 イサシは勝手に部屋の隅から椅子を引いてきて座った。
「幸いマコーキンとパールは併せて三万ほどの兵力しかありません。押し潰してしまえばいいでしょう」
 ライケンは葡萄を一つつまんで口に入れた。
「それほど弱くはない。ハルバルトがマコーキンをそこに置いたのは、私とキルティアが戦って弱った所に投入するつもりなのだろう。それだけの力がマコーキンにはある。さらにパールが加われば戦闘に関しては侮りがたい軍隊が誕生しているはずだ」
 ミハエル侯爵が首をかしげた。
「もっとまずい事になるかもしれません。ムライアックをマコーキンに握られたと言う事は、マコーキンも皇帝を擁立出来るということです」
 イサシは首を振った。
「マコーキンはそういう男では無いでしょう」
 そう言いながらイサシはライケンという男を計っていた。
(なる程、皇帝を操れる男ではある。血筋、教養、品格、野望、そして経済力と兵力、さらに大艦隊。問題は担ぐ人物だ、凡庸なムライアックではレイヴォンに勝てない)
 イサシは即位式の日に民衆の最前列からハイ・レイヴォンを見ている。漆黒の髪に真っ黒な瞳の少女のような美しい少年だったが、バルトールの情報網はその少年がやがて怪物になると告げていた。ユマールの将ライケンはイサシを鋭く見つめた。
「何を隠している」
 イサシは肩をすくめた。
「いいえ、何も」
「わかっているぞ、貴様らバルトール人の一派が何かを隠している事を。皇帝にかかわる程の大事をな」
 さすがにイサシは冷や汗をかいた。
(まさか知られてはいまい。落ち着くんだ。まだだ、切り札はまだだ)
 ライケンはグラスにかけた手を止めて立ち上がった。そして壁にかけられたばかりのセントーンの大地図の前に立った。
「まあ良い。まずはキルティアより先にセントーンを征服しなければならん。貴様達が隠していることは、それからゆっくりと聞かせてもらおう」
 ライケンは地図をバンと音をたてて叩いた。
「イサシ、情報が欲しい。言える事だけで良い。メド・ラザードは東の将の元にいる魔法使いレリーバへの支配力をまだ残しているか」
「魔女は何を考えているのかわかりません。しかし、レリーバは師であるメド・ラザードから何かの指示を受けて東の将の元に赴いたはずです」
「よし。キルティアは身内に災い種を宿しているわけだ。ラザードに伝言を頼む。私に協力するようレリーバに働きかけてくれと」
「わかりました」
 しばらくライケンが沈黙したので、イサシは下がろうとした。それに気がついたライケンが声をかけた。
「これからどこに行く」
「セントーンを見て回るつもりです」
「キルティアに会う事はあるか」
「いいえ。この戦いで、確実に滅ぶのは東の将でしょうから、用はありません」
 イサシはそう言い残してライケンの部屋を出た。そして思いがけない人物とすれ違った。
 すれ違いざま、その人物は小声でささやいた。どんな小声でも内容がはっきり聞き取れる、驚くほどの声の制御力を持っている。
「殺気が感じられますよ。イサシ様」
 イサシはこの男に会った直後に起きた、マスター・マサズとの死闘を思い出して顔をゆがめた。
「ロッグの塔以来だな、何を企んでいるんだサシ・カシュウ」
 両目を深く閉じて盲目のふりをしているサシ・カシュウは涼しい顔で答えた。
「私は歌を集めているだけ。ライケン様にお目通りを許されたので参ったまでです」
 そう言い残して吟遊詩人はライケンのいる部屋に入って行った。
 イサシは宿を出ると考え込んだ。
(なる程、ユマールの将ライケンは使い道がたくさんありそうだが、しかし危ういな。キルティアとセントーンの大軍を相手にし、さらにマコーキン、パールと渡り合い、グラン・エルバ・ソンタールで権力を握らなければならん。これは狂いまくったキルティアのほうが案外生き残るのかもしれんぞ)
 イサシはトルマリムに向かう事にした。そこにライケン配下の黒い冠の魔法使いに破壊された都市がある。それ以来姿を見せていない魔法使いと怪物が、どれ程の圧倒的な力を持っているのかを、自分の目で確かめなければならないとイサシは思った。

 (第三章に続く

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