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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第三章 トラム川の異変

福田弘生

 ブライスとベリックの大小二人の王は土ぼこりをけたててダワに向かっていた。二人の乗る馬は速く、ブライスの芦毛の乗馬スウェルトもすっかり体が絞れて、目を瞠るような馬力を見せている。それは後から追いかける護衛のセントーン兵二百騎が間に合わない程の速さだった。
 セントーンの道は広いがカインザーの軍用道程平らに整備されてはいない。荷馬車が大量に通るためワダチ掘れが道を縦に刻んでいる。土埃さえも縦に流れる。そのワダチを辿ってダワまであと三日という距離まで近づいた時、前方に大軍の動くゴウゴウとしたざわめきを聞きつけて、二人の王は馬を止めた。後続の兵達もそこで追いついた。
 ブライスが耳をすませた。
「嫌な音が聞こえるぞ」
 ベリックも小さな額にしわを寄せた。
「セントーンの軍がこんな所にいるとは聞いていないから、ソンタールの兵でしょうね」
 そこへ、待ち構えていたように森の中から五騎の人馬が飛び出して駆け寄って来た。護衛の兵達が弓を構えるのを手で制してベリックが叫んだ。
「フスツ」
 頬に深い傷のある男が大声で叫んだ。
「お帰りなさいベリック王。よくぞご無事で」
 フスツの四人の部下ビンネ、クラウロ、バヤン、トリロも笑顔を見せた。ベリックも嬉しそうに馬を進めた。
「お前たちも無事でよかった。アムロリラ女王の魂は取り戻したよ」
「ええ、そう伝える伝令鳥が飛び交っていました。本当によかった。それはそうと」
 フスツが手綱を引いて後方を指差した。
「東の将キルティアの別働隊がこの先にいます。その数はおよそ十万」
 ブライスがヒュウと口笛を吹いた。
「そいつあ大軍だ。何処に向かっているんだ」
「食糧の確保と、ダワに上陸したユマールの将ライケンの妨害のために移動しているんでしょう。サガヤからダワまで、練り歩くように村や町を占領しながらゆっくりとここまで進んで来ました」
 ブライスがスウェルトの頭をポンと叩いて喜んだ。
「なるほど、キルティアとライケンの主導権争いが始まるわけだ。それはこっちにとっては好都合」
 ベリックは浮かない顔だった。
「アントンはどうしてる」
「マスター・アントはダワの郊外の森に兵を留めてダワの様子をうかがっていますが、このままではキルティア軍とライケン軍の間に挟まれてしまいますので、守備隊のバオマ男爵と一緒に退却してくるのではないでしょうか」
「トーム・ザンプタは」
「ザンプタは何か不吉な予感がすると言ってダワに留まりたいと言っています」
 ベリックは問いかけるようにブライスを見た。ブライスが思い出した。
「サシ・カシュウもダワに行ってたな」
 フスツがうなずいた。
「サシは吟遊詩人としてライケンの元に潜入しています」
「危ない事をするなあ」
「ライケンは芸術好きですから、類い希なる美声のサシはむしろ優遇されるでしょう」
「それならば良いが」
 ブライスとベリックは慎重にキルティアの別働隊に近づいた。一行のすぐ目の前の森の中を濃紺の鎧の大軍が押し進んでいる。キルティアの別働隊はライケン軍がダワからセントーンの首都エルセントに向かう道を遮るように陣取ろうとしていた。ライケンをダワに閉じこめておけば、やがてライケンの軍はトラム川に流された毒に侵されて死んでゆく。レリーバがトラム川に毒を流した事は機密であったが、キルティア軍の指揮官達はキルティアにライケンをダワに閉じこめるように厳命を受けていた。
 フスツはベリックに尋ねた。
「どうしますか」
「アントンに合流したい。迂回して行こう」
「危険ですよ」
 ベリックはニッコリ笑った。
「これまでずっとそうだったろう」

 ブライスとベリック達はキルティアの軍を迂回してアントン達と合流した。アントンとバオマ男爵はダワの郊外の森の中にいくつもの砦を築いて立てこもっていた。大木の下で懐かしい金髪の少年を見つけて、ベリックは歓声を上げた。
「アントン」
「ベリック王」
 二人は抱き合って友情を確かめあった。
「アントン、もうここは危険だ。ダワの市民に危害が及んでいないのならば退却したほうがいい」
 アントンの後ろでバオマ男爵が大きく頷いた。その長身の男爵の腰のあたりからトーム・ザンプタが顔を出した。
「わしはいかんぞ」
 ブライスがよいしょっとザンプタを持ち上げて運ぶと、ベリック達の前に降ろして立たせた。
「失礼、老師。いったい何が心配なんだ」
「ダワの港の海水だ。何か悪しき物が混じっているようだ」
「それについて気になる情報があるんです」
 フスツが言葉をはさんだ。
「トラム川に異変が起きています。上流のサガヤが陥落してしばらくしてからなのですが、サガヤから下流の町や村で原因不明の中毒死のような住民が増えているのです。死者の出ている町は上流から下流にかけて移動するように増えています。上流ではすでに村が全滅したところさえあります。激しい戦闘が続き、すでにキルティアの支配下となった町や村が多いので、これまで情報があまり伝わって来ませんでした」
 バオマ男爵の顔色が変わった。
「トラム川はダワの水源です。それだけではない、下流にはハダラ、ヤベリなどの大都市もありますよ」
 一同は声を失った。ブライスが怒りに拳を振るわせた。
「誰の仕業だ」
 フスツはトラム川の方角に目をやった。
「自然現象ではないでしょう。ライケンがダワに上陸した事を考えればライケンの仕業でもない」
 アントンが首をかしげた。
「じゃあキルティアか」
 ザンプタが恐ろしい顔で言った。
「張本人は黒い巻物の魔法使いレリーバだ。スハーラの巻物には浄化の力があろう、レリーバはその逆の毒の魔法使いなんだよ。わしがザイマンの湿地帯に棲んでいた頃でも、その噂は流れてきていた」
 アントンが言った。
「ベリック、これで逃げ出すわけにはいかなくなった」
 ベリックもうなずいた。
「フスツ、バルトール人を通じて、サガヤの下流に住む人々にトラム川の水を飲まないように伝えてくれ。雨水を溜めるように、もし近くに山があればそこを水源とした井戸水を飲むように」
 ブライスがダワの方角を眺めた。
「ライケンの軍はどうなる」
「ダワ市民が慎重に川の水を避けてライケンがそれに気づかなければ、ライケンの軍が毒の被害を被るでしょう。ライケンは全くこの事を知らないと思う。知っていたらすぐにでも動くはずですから」
「キルティアとレリーバはライケン軍を敵と考えているという事がはっきりしたわけだな」
 フスツが報告を続けた。
「戦闘に関する情報も入っています。トラゼールを包囲しているキルティア軍の約十万が離脱してこちらに向かっているようです。さらに本国から送られていた兵がキルティア軍からの離脱をはかり、キルティアに殺されています」
「ライケンに合流したいんだろうな。上陸したライケンの兵力は約四万。残りの一万が船上にある。このままではセントーンを押し渡れない」
 ブライスがそう言うと、ザンプタがピタピタとダワの方角に歩き出した。
「何処に行くんだ」
「ダワに戻る。わしは水の中に潜む。アントン、ダワの鉄豚亭に繋ぎを置いてくれ」
 ザンプタが連絡場所の宿の名前を告げた。
「わかりました。ベリック、僕らはどうしようか」
「バオマ、ここの兵力は」
「二千です」
「しばらくは森の中に待機しよう。戦闘は無理でも、何かの際にダワの市民を助ける事が出来るかもしれない」

 ・・・・・・・・・・

 智慧の峰サルパートに山賊の娘として生まれた黒い瞳の少女エレーデは、不思議な運命に翻弄されて見習い巫女となり、バルトール王の大切な友となって首都ロッグに赴き、そしてさらにその王を追って、セントーンに向かう事になった。
 エレーデはどうしてもベリックのそばにいたかった。馬と話が出来るという特殊な能力が何かの役に立つと思ったのだ。ロッグの指導者の一人マスター・メソルは不安がったが、エレーデを送る役をランスタイン大山脈の北の平野で最も強大な者に託した。小鬼の魔法使いテイリンである。テイリンはエレーデを乗せて仔竜を飛び立たせた。
 幼いながらも怪獣の風貌を備えた仔竜は山肌をなめるように低く飛んだ。ランスタインの山の中を飛んで行くと、二人の眼下には小さな村が点在しているのが見える。エレーデは恐怖も見せずに、食い入るようにその景色を眺めた。
「世界の広さを私はまだ全然知らないのね」
 エレーデを守るように後ろに座っていたテイリンが風に負けない声で答えた。
「私だって知らない。これまでゾックの事しか考えてこなかったから」
 山脈を西から東に伝い、低い尾根を越えてセントーン側に回り込んだあたりで、二人は何度目かの休憩のために地上に降りた。地面に降り立つと、さすがにエレーデはフラフラと座り込んだ。テイリンは自分達がいる場所を調べるように見回した。すり切れた石積みがここに村があった事を示している。
「ちょっと待ってて。水を汲んでくる」
 テイリンは竜にエレーデの護衛を指示すると、坂の下に見える井戸のほうに走った。走りながらテイリンは村の東と西に門の残骸を確認した。そしてハタと思い当たった。
(ここはタルミの里だ。本で読んだ事がある。ある疫病事件を境にセントーンからソンタールに鞍替えした村だ。村が滅びていたとは知らなかった)
 テイリンは井戸に駆け寄ると中を覗き込んだ。中からは水の気配がしない。
(干上がったか)
 その時、テイリンは背後にとてつもない魔力を感じた。驚いて振り返ったテイリンの前に一人の男が立っていた。黒い服のその男は乾いた夏の日差しの中で陽炎のようにゆらめいて見えた。
「誰だ」
 黒い服のまだ若い風貌の男はゆったりとテイリンに近づいた。
「君がアイシム神の魔法使いか。私はゼリッシュ、だがこの名を知る者はほとんどいない。むしろ名も無き者と呼ぶ者のほうが多い」
「黒い冠の魔法使いですか」
 テイリンはさすがに畏怖を覚えた。ゼリッシュは軽くうなずいた。
「心配するな、君と戦う気は無い。君の相手はガザヴォックだ」
 テイリンはまだ信じられずにいる自分の使命を思い出して身震いした。
「なぜそこまで知っているんです」
 ゼリッシュは近づいて来て井戸の中を覗き込んだ。
「私は予知の魔法使いだからね。ガザヴォックはやがてアイシム神の魔法使いが現れて自分と対決する事になるのを知っていた。だから私をバステラ神の神獣と運命で繋ぎ、自分の身代わりにしたのだ。だが未来は絶え間なく変化する。どこかで運命は変化し、ガザヴォックの相手は君になった」
「ならばあなたの相手は誰ですか」
「聖なる剣の守護者になるようだ」
「セルダン王子か」
 風が巻き起こった。二人の頭上にエレーデを乗せた竜が舞った。ゼリッシュは懐から黒いカップを取り出すと井戸の底に落とした。テイリンはゼリッシュに尋ねた。
「なぜここに来たんです」
「昔、私は兄弟子に当たる人物と世界を回って様々な事を調べて回った。その時にここ、タルミの里には寄らなかった。なぜだかわからないが、後で考えると何かにはじかれたような気がするんだ。だからセントーンに来たついでに寄ってみたのさ」
「私たちが出会ったのは偶然ですか」
 ゼリッシュが手を井戸の上にかざすと、底から黒いカップが上がってきた。カップは水滴でキラキラと光っている。
「いや。魔法と魔法は引き合う。一度会えばさらに因果が絡まる。君はどこかでタルミの里に関係したに違いない」
 テイリンには思い当たる事が無かった。ゼリッシュは頭上を舞う竜を見上げた。
「まあいい、いずれわかるだろう。あの竜は私の全く知らない存在だ」
 ゼリッシュは不思議そうにテイリンに尋ねた。
「聖宝の守護者達はシムラーに行っていたはずだ。この変化の裏にはクラハーン神がいると思っていたが、クラハーンとはこれ程の変化を起こせるほど強大なのか」
「わかりません」
 ゼリッシュはもう一度竜を見上げた。
「うらやましい生き物だ。私の獣は魔界の怪物だから」
 そう言うとテイリンに水で満たされたカップを手渡した。
「これは毒ではない。タルミの里の水の味を憶えておきたまえ」
 そう言い残して背を向け、森に向かって歩き出すとやがて木立にまぎれこむように消えた。テイリンは竜を呼ぶとその背に乗った。エレーデが不思議そうに尋ねた。
「あれは誰ですか」
「ソンタールで最も恐ろしい男の一人だよ。だがこの水は大丈夫だ。その言葉は信じても良いと思う」
 エレーデは水をうまそうに飲み、残りをテイリンに渡した。テイリンもその味わい深い水をのどに流し込み、カップを捨てた。カップは地面に落ちて砕けた。エレーデは荒れ果てた村の跡を見回して悲しそうに尋ねた。
「ここは何という名前の村だったのでしょう」
「タルミの里らしい」
 エレーデは小首をかしげた。
「学校の図書館で読んだ事があります。村長の三人の娘が差し出されたという話だったような。あまり憶えていないのですが」
 テイリンは背筋が凍りつくほどの衝撃を受けた。三人の娘に憶えがあったのだ。
(もう一度ここにやって来なければ。レリーバの故郷に)

 (第四章に続く)

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