| TOP Short Novel Long Novel Review Interview Colummn Cartoon BBS Diary |

シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第六章 王と将

福田弘生

 ダワの港町に寝苦しい夜が来た。虫除けの香を焚いた部屋の中で、大きな椅子に座ったユマールの将ライケンは、目の前のテーブルの上に置いた球形の星の模型をぼんやりと眺めていた。
(不思議なものだ。こんな球の上に人間は乗っているのか)
 ライケンはこの宇宙の摂理が気にいらなかった。この野望の固まりのような男は、人間は壮大なピラミッド型の大地に住み、その最上階に最高権力者の自分が座る姿が最も偉大な宇宙の形だと思っている。
(バステラ神にはこの星の形を変える事が出来るだろうか。ならば神にそれを望める地位まで昇って行かなければ)
「こんばんは」
 突然の声にライケンは椅子の中からあたりを見回した。すると明かりに照らされて、窓に腰掛けている少年の姿が見えた。伸び盛りらしく、服の袖やズボンから出た手首や足首が妙に細長く伸びている。
「何者だ」
「大声を出さないほうがいいですよ。ユマールの将」
 少年は音も立てずに床に降りた。ライケンの部屋の中に突如として数人の人の気配が現れた。ライケンは薄暗がりに寸分の隙も無い者達の姿を確認した。
「私の護衛兵はどうした」
 いつの間にかライケンの椅子の後ろに立った男がささやくように言った。
「多くは通り抜け、一部には眠ってもらいました。皆殺しにしても良かったが、騒ぎを大きくしたくない」
 ライケンは嫌そうに男から身を離すと、男の息がかかった肩のあたりを軽く払った。そして頬に深い傷のある男を振り返った。
「やれやれ。ミハエルの役立たずはユマールに帰さねばならんな」
「いいえ、ミハエル侯爵は立派にこの屋敷を警護していました。手引きが無ければ私たちも中に入ることはできなかった」
 フスツはそう言って部屋の中を少し歩き回ると、暖炉の上の箱を部下のバヤンに渡した。ライケンは不機嫌そうにその様子を見ていた。
「内通者がいるのはさらに悪かろう」
 部屋の扉が開いて銀髪で長身の男が入ってきた。男の瞳がランプの光でキラキラと輝いている。
「ご心配なく将ライケン。そろそろお暇乞いをする所でした」
「なる程、サシ・カシュウか。お前が内通者だったか、しかも目まで見えたのか」
 サシはベリックの横に立った。
「バルトールの王をご紹介させていただきます」
 さすがにライケンは驚いた。
「少年だとは聞いていたが本当だったのだな。バルトールの暗殺者共と私を殺しに来たか」
 ベリックはテーブル越しにライケンの向かい側に座った。
「あなたの命はすでに僕達の手の中にあります。しかし今回は相談に来ました。あなたの兵の中に体調を崩している者が増えているでしょう」
「ああ、その事か。ミハエルが嘆いておった。どうもトラム川の水があわんらしい。ユマールの水は清涼だが、この田舎町の水はよどんでいるのだろう」
「そうではありません。グリムの毒と言うのをご存じですか」
 ライケンは椅子に座り直した。
「ふむ、誰かが言っていた記憶がある。史上最悪の毒だろう」
「ええ、その毒がトラム川に流れ込んでいます。あまりに広範囲にわたっているのでまだ稀薄ですが、グリムは微小な生物で繁殖します」
「何だと」
 ライケンは口に手を当ててしばらく考え込んだ。
「貴様達の願いは何だ」
「ダワの市民を脱出させたいと思います。しかし市民を丸ごと脱出させるには、あなたの協力が必要です」
 ライケンは小柄な体をのけぞらせて笑った。
「ハッハハハハ。そんな事をするわけが無いだろう」
 ベリックは声に怒気を含ませた。
「ダワには三千の市民がいます。見殺しにするつもりですか」
「ならば聞くが、ダワの市民が毒にやられたという話を聞かんぞ。密かに市民に川の汚染を伝えて、私達に悟られないようにしたという事は、ユマール兵を見殺しにするつもりだったのだろう」
 ベリックは悲しそうな顔をした。
「辛いものです。兵には元々罪は無い。戦いに罪があるとすれば指導者です。しかし指導者は殺しても後を継ぐ者がいる」
 ライケンは急に不愉快そうな顔になった。
「嫌な事を言う奴だ。しかし確かに私にはユマールに残して来た息子がいる。私が戦死してもジマハール家もユマールも滅びない」
「ええ。でも多くの兵が傷を負えば、指導者は無傷でも戦闘は終息します。正直、ちょっとした病気が流行ったくらいが丁度良いと思っていました。兵が死ぬ程ではなく、病人が増えて他の兵の負担になればユマール軍全体の活動が鈍る」
 ライケンはニヤニヤしながらベリックを眺めた。
「いいぞ。シャンダイアにも現実主義者の悪党がいた」
 ベリックはその言葉を無視した。
「しかし毒がグリムと解った以上、猶予はなりません。セントーンの三分の一が死滅するかもしれないのです」
「そんな事知るか。私には艦隊がある。毒の被害が大きくなれば海に避難すれば良い」
「海から囲んでもセントーンの首都エルセントは落とせないのはご存じでしょう。キルティアから離脱した軍が合流しなければ戦力も足りない」
「つくづく嫌な小僧だ」
 ライケンは立ち上がって食器が伏せられたテーブルからグラスをとった。
「酒は飲めるのか」
 そう言ってライケンはワインをついだ。そして暖炉の上に目を走らせた。フスツがライケンの前に立った。
「この箱でしょう。中身はバヤンが確かめました」
 毒の専門家のバヤンが低い声で応じた。
「極上のモッホの粉。グラン・エルバ・ソンタール産。間違いなくマスター・ジゼルの手の者が持ってきたはず」
 サシ・カシュウがあきれた声をあげた。
「まさかベリック王に飲ませるつもりだったのですか」
 ライケンが笑った。
「面白かろうと思ってな」
 フスツはライケンに擦り寄ると、ナイフを抜いて頬にあてた。
「殺すぞライケン」
「まあ待て。ここで死ぬ気は無い。私が死ねば、上陸したユマール軍団が大混乱になる。お前達も困るだろう」
 ベリックはだんだんイライラしてきた。
「サシ、こういう人を何と言うんだっけ」
「食えないと言います」
 ライケンは自分でワインを飲み干した。
「まあいい。私もそろそろこの片田舎にうんざりしてきた所だ、ダワを出るとしようか。だがキルティアの軍を突破せねばならん。そこで条件がある。お前に森にこもっているセントーンの守備隊と一緒に最前線で戦ってもらおうか。そうすればダワの市民の避難にいっさい手は出さない」
「何だと。王を先兵として使う気か」
 フスツが気色ばんだが、ベリックは決心したように言った。
「かまわないフスツ。どちらにしろ、キルティア軍を駆逐しないとここからは出られないし、ユマールの将と東の将の両軍が傷付くのは好都合だ」
 フスツは首を振った。
「いけません。王の威信にかかわります。これからバルトールを復興させるのに民が悲しみます」
「違うよフスツ。僕は王ではなく候になる。バルトール候ベリックだ」 
 ライケンが面白そうな顔をした。
「シャンダイアに女王が戻ったという噂がソンタールにも広がっている。シャンダイア王家が復活するのか」
「もちろんさ」
 部屋にしばらく沈黙が降りた。フスツが口を開いた。
「将ライケン、マスター・ジザレとのつながりについてお話しいただけますか」
「断る。今回の作戦には関係ない。そもそもマスター・ジザレはお前達の問題だろう」
「ならばこれを持ってきた者の名を」
「それはかまわん。思い出したが、グリムの毒について話してくれたのもそいつだ。名前はイサシ」
 フスツがサシ・カシュウとうなずきあってベリックを振り返った。
「やはりイサシはジザレと組んでいます」
 ベリックは情けなさそうな顔をした。
「やっぱりバルトールを統一してから、この戦いに踏み込むべきだったと思うかい」
 フスツは冷たく答えた。
「いいえ。これからまずイサシを、そしてジザレを片づければ済むこと」
 ライケンが肩をすくめた。
「面白いぞ。その後はユマールと組め」
 バルトール人達の怒りで部屋の中に殺気が走った。ライケンはひらひらと片手を振った。
「そう怒るな、バルトール人の怒りっぽさには驚くな。それより、グリムの毒は誰が流した。まさか自然に発生したわけではあるまい」
 ベリックが答えた。
「黒い巻物の魔法使いレリーバ」
 ライケンはこのうえなく楽しそうだった。
「おう、おう。まったくもってこのセントーンはどうなっているのだ。そのレリーバにキルティアを裏切るように手を回したところだぞ」
「もう裏切っているかもしれません。おそらくグリムの毒はレリーバの独断でしょう。キルティアはこれ程危険な毒だとは知らないと思われます」
 ライケンの目が厳しくなった。
「どうも私が想像していた以上にここは混沌とした状況のようだな。ベリック王。中々の切れ者と見たが、このセントーン平野にいるソンタールとシャンダイアの人物の中で誰が一番強いと思う」
 ベリックは突然の質問にとまどった。
「ううん、そうだなあ。エルセントには大魔術師マルヴェスター様がいらっしゃいます」
「翼の神の弟子は中立だ」
 ベリックは考え込んだ。
「あなたは誰だと思いますか」
 ライケンは躊躇する事無く答えた。
「黒い冠の魔法使い」
 ベリックは微笑んだ。
「ああ、ならば最強は間違いなくセルダン王子です」
「剣の守護者か。他の聖宝の守護者とそれ程力が違うのか」
「ええ。僕らは普通の人間だけど、彼は何か別の次元の力を持っています」
 ライケンとベリックは目をあわせた。ライケンが言った。
「その二人がどこで対決するかは重要だ。お互い敵同士だが心しておいたほうがいい。二人の戦いをなるべく戦いの勝敗から引き離した場所で行わせるのだ。魔法は魔法同士で相殺させないといけない。そうしなければ誰も勝者になれん」
 サシ・カシュウがベリックの肩に手を置いた。
「ベリック王。ユマールの将の言葉は心に刻むだけの価値があります」
「ああ。わかった。ライケン、明日、セントーンの兵を率いてやって来る。キルティア軍と戦おう」
「期待しているぞ」
 ライケンはまた面白そうに笑った。ベリックとサシ・カシュウ、そしてフスツとその部下達は静かに部屋の中から姿を消した。

 (第七章に続く

トップ読切短編連載長編コラム
ブックレビュー著者インタビュー連載マンガBBS編集部日記
著作権プライバシーポリシーサイトマップ