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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第十四章 海の凱歌

福田弘生

 シャクラが海底の様子に関して説明をすると、メド・キモツは眉間の皺を深くした。
「そなた、デヘナルテという言葉を聞いた事があるか」
「いや、無い」
 メド・キモツはそれきり黙り込んだ。シャクラはイライラしてメド・キモツの黒衣の胸ぐらを掴んだ。
「やい、いったいデヘナルテとは何だ。どうせ貴様ら一握りの高位の神官が隠している薄汚い秘密なんだろう、俺にも教えろ」
 メド・キモツは苦しそうにシャクラの手を振り払うと答えた。
「黒の神官だけの秘密では無い、大地の死の事だ。魔法に関わる大きな変事が起きた後、大地はその力を失う。デヘナルテ、闇も光も魔法が死す所。まあ確かにこれは一握りの高位の神官しか知らぬし、シャンダイアの神官達などこんな事には気付きもすまい」
 シャクラは老魔法使いの言葉を頭の中で繰り返してみた。
「他にもこんな場所があるというわけだな」
「そうだ」
 シャクラは手を離した。
「重要な事ならば、神官達皆に教えてその場所に警戒するようにすればいいじゃないか」
 メド・キモツは首を振った。
「未熟な神官に教えても意味が無い、いたずらに不安をかき立てるだけだ。わしらにもどうしてこういう場所が生まれるのかわからない、昔からの謎なのだ。判っているのはガザヴォック様の魔法の後によくこの現象が起きる事くらいだ」
「他の場所はどこだ」
「わしも全部は知らん。最近ではガザヴォック様の魔法が発動した月光の要塞、黒い冠の魔法使いが壊滅させたセントーンのトルマリム。おそらくデルメッツのような三体の始祖の獣が死んだ場所もそうなっておるのだろう」
 シャクラは背筋が寒くなるのを覚えた。子供の頃から魔法と共に暮らしてきたため、魔法が存在しなくなる場所が世界各地にあるという事実が恐ろしかったのだ。
「デヘナルテは世界に何をもたらす」
「わからん。生命すべての死なのか、あるいは魔法だけの死なのか」
 メド・キモツは目の潰れた顔をシャクラに向けた。
「さあ、殺してくれ。ガザヴォック様のお役に立てなかったわしがこの先、生き延びられる可能性は無い」
「わかった先生、教えてくれた礼に楽に逝かせてやろう」
 シャクラはメド・キモツの肩に手を置くと思い出したように尋ねた。
「デヘナルテの逆の場所はあるのか」
 メド・キモツは笑った。
「魔法学校の研究家達の間に伝えられている伝説がある。だが魔法の消滅に恐怖を覚えた者達の想像の産物の可能性が大きい」
 シャクラはすがるように尋ねた。
「それで充分だ」
「ミセルネル、魔法の生まれる場所。しかしまだ誰もその場所を見付けてはいない」
 シャクラはうなずくと、静かにメド・キモツの魔法を吸い取った。老魔法使いは枯れるように死んだ。

 ベロフとクライバーは、兵が手を上げる事も出来ない程に密集した敵の分厚い隊列を眺めていた。剣の鞘を両肩に担いだクライバーが口笛を吹いた。
「凄い数だな、ところで敵軍の中央にでっかい鹿の旗とビラビラした赤と金の三角の旗が立ってるのが見えるんだが、俺の目が悪いのか」
 バンドンがくわえていたタバコを放り投げた。
「びっくりだろ、カインザー軍相手に大将旗を立ててるんだぜ。マコーキンならともかくジョール程度の兵であれをやったら格好の的じゃねえか」
「本物か」
「ああ、部下に調べさせたんだがマング・ジョール侯爵は確かにあそこにいる」
 ベロフが海岸から離れた小高い山側に陣取ったオルソート伯爵の軍を指差した。
「鳥の旗の軍が静かだ、あきらかに戦意が低い」
 これにもバンドンが応じた。
「籠城しか考えてなかったんだと思うぜ。たぶん息子の死に怒ったジョール侯爵が出撃してしまったので、嫌々出て来たんだろう」
 ベロフがクライバーに目配せした、クライバーがうなずいた。
「ベロフが敵を崩し、俺の騎馬隊がマング・ジョールを討ち取る。バンドン、お前はオルソートの軍を適当に攪乱しておいてくれ」
「俺と二百の部下でか」
「できるだろう」
「まあな」
 そう答えると、ブツブツ文句を言いながらバンドンは走り去った。
「じゃあ俺も行くぞ」
 そう言い残して、ベロフも急ぎ足で整然と並んだ黒い鎧のカインザー兵の隊列に向かった。厳しい表情の男爵は兵に声をかけながら隊列の中をかき分けるようにして先頭に立つと、剣を高く掲げて前に振り下ろした。
「進めえっ」 
 その号令と共に、盾を構えた抜刀隊を先頭にしたカインザーの歩兵が前進を開始した。
「ゆっくりでいいぞ、向こうからは仕掛けて来ない。できるだけ体力を残せ」
 ベロフはそう叫びながら兵を前進させた。
 次に動き出したベロフ軍の後ろに並んでいた大弓部隊が、ベロフ軍の頭上を越えてジョール軍に矢の雨を降らせた。ジョール軍もこれに矢で応戦したが、弓の名手バイルン子爵に鍛えられたカインザー軍の弓兵には射程も矢の勢いも遠く及ばず、進んで来るベロフ軍の速度を落とす事ができなかった。
 一方、クライバーの騎馬部隊は前進する歩兵の後方に隊列を整えたまま動かなかった。クライバーとジョール両軍の間の荒れた平地をベロフの部隊のみが進んでいる。

 要塞の塔からこの様子を見ていたクラウス・ゼンダは港に目を移した。ザイマンの大艦隊が港を満たしている。カインザー軍がこの野戦に勝利すれば、すぐにザイマン兵が上陸して要塞を囲む町を占領してしまうだろう。
 隣にいた参謀のダイレスの横に兵が来て何かを告げて去った。
「クラウス様、神官兵達が要塞を抜ける準備をしております」
 クラウスはあきらめ顔でうなずいた。
「悔しいな、サムサラの時の父も、サルパート戦の時の北の将ライバー様も、今回のジョール侯爵も、戦い方を誤らなければ完勝する事が出来たはずなのに」
 そうクラウスが言った時、戦場でときの声があがった。クラウスは海岸に視線を戻した。
「始まるぞ」
 ベロフ率いる二万の黒い軍団がジョール侯爵の軍に突撃し、激しい戦闘が始まった。ベロフ軍の攻撃はすさまじかったが、大軍を擁するジョール軍はベロフ軍の猛攻に対して懸命の抵抗を見せた。クラウスは拳を握りしめた。
「よし、これでオルソート伯爵が動けばあの黒い敵軍を押しつぶせる」 
 その時、山側のオルソート軍に破裂音がし、煙が各所であがった。オルソート軍が動揺した。
 クラウスは舌打ちした。
「ただの攪乱だ、動揺してはならない」
 ダイレスが軽蔑した口調で言った。
「オルソート伯爵にとってはしめたもの、これで侯爵の応援に兵を進める事は無いでしょう」
 ジョール軍が次第にカインザー軍に圧されはじめた。それを見てクラウスはうなった。
「いかんな、やはり我々も出るか」
 ダイレスが首を振った。
「出てどこに進みますか、すでに戦場には兵が満ちています。適切な場所に布陣できなかった軍を後から投入しても、あまり役に立ちません」
 クラウスは白兵戦が行われている戦場の後方を指差した。
「見ろ、クライバー男爵の騎馬部隊が動いていない。あれは突撃のための部隊だ」
 ダイレスはおびえたような顔をしてクラウスを見た。
「ジョール侯爵が危険です」
 その時、鋭い角笛の音と共にベロフ軍が見事に左右に開いた。そしてその真ん中にクライバーの騎馬部隊が突入した。
 ベロフ軍の真っ黒な鎧が、突然赤い騎馬部隊に替わり、猛烈な勢いでジョール軍に突き刺さった。懸命にこらえていたジョール軍だったが、さすがにたまらずに兵達が左右に広がるように逃げた。侯爵の本陣の前の兵が薄くなったのを見て、真っ赤なマントのクライバーは水車剣を振り回しながらジョール侯爵の本陣に突入した。その時、クライバーの左前方で破裂音がした。
(潜入していたバンドンの部下だな)
 馬の手綱を引いたクライバーは素早く反応して部下に怒鳴った。
「今、音がしたほうに向かえ、ジョール侯爵を逃がすな」
 ジョール軍は崩れると言うより拡散するようにまばらになっていった、その薄くなった兵の中をクライバー軍は駆け抜けた。そしてクライバーは重臣達に守られて逃げ延びようとしていた豪華な鎧のジョール侯爵を見付け、剣を一閃させてその首を突き刺した。
「ジョール侯爵を討ち取ったぞ」 
 クライバーが大声で叫ぶと、左右に分かれたベロフ軍が反転して攻撃を再開した。ジョール軍の銀色の鎧の海に、滲み込むように黒い鎧が浸透して銀色の光を断っていった。
 クラウスは要塞の塔の上から涙を流しながら叫んだ。
「負けた」
 ダイレスは戦慄した。
「恐るべしカインザー」
 それから要塞は大混乱に陥った。大将を失ったジョール軍は雪崩を打つように要塞に流れ込み、これに戦闘に参加しなかったオルソート軍が加わった。クラウスは素早くゼンダ家の兵を要塞のすべての門に配置して、入城してくる兵の整理に当たらせた。それから数時間をかけて要塞を見回ったクラウスは、巨大な要塞のどこにもジョール家やオルソート家の幹部がいない事に気が付いた。城門の近くでダイレスを見付けたクラウスは、この若者らしくなく声を荒げた。
「ジョール家やオルソート家の人間はどこに行ったんだ」
 ダイレスが苦々しい顔で要塞の上の方を指差した。クラウスは舌打ちすると要塞の階段を一段おきに駆け上った。抗議するように鎧がガチャガチャと鳴ったが、クラウスは気にしなかった。息を切らしたクラウスが会議室に駆け込むと、そこではオルソート伯爵を中心に伯爵とジョール侯爵の部下達がぐるりと机を囲んで座り込んでいた。さすがにクラウスは我慢が出来なくなって怒鳴った。
「あなた達はここで何をしているんですか」
 オルソート伯爵を囲んでいた家臣達が色めき立ったのを老伯爵が手で制した。
「クラウス、わしらは戦闘で疲れておるのだ」
「あなたの軍は動かなかったじゃないですか」
「軍に攻撃が仕掛けられた、うかつに動けなかったのだ」
「あれはただの攪乱です。クライバー男爵の部下には山賊あがりのバンドンという参謀がいる、彼の仕業でしょう。敵はすでに要塞を囲む町を占領しました、一刻も早く兵を城壁に配置してください」
「いや、わしは首都に帰る」
 クラウスは耳を疑った。
「帰るですって、我々は皇帝陛下にここを奪回して守れと命じられてやって来たのですよ」
「それはジョール侯爵の受けた命令だ。わしはマングの友軍だし、お前もラムレスの友人としてやって来たのだろう。お互いに友人を亡くしてしまった、首都に帰って弔おう」
「しかしここにはまだ十二万の兵が残っています。あなたが総大将として指揮を執れば、十分に持ちこたえる事が出来ます」
 オルソート伯爵が困ったような顔をした。
「本当にそう思うか、わしもマングも本当の戦いをよく知らんかった、お前さんやあの傭兵隊長や魔法使いの言う事にも耳を傾けなかった。今にして思うのだが、この要塞はこのままでは駄目なのではないかね」
 クラウスは机に座った人々を見回した。
「かまわん、ゼンダ伯爵。お前は今ではこの要塞の第二位の指揮官なんだぞ」
 クラウスは視線を落とすと口を開いた。
「ええ、実は町を封じられてしまってはこの大軍の食糧を確保できないのです。かつての南の将グルバ様は大艦隊を持っていたので要塞自体が港を活用するように設計されています。要塞を包囲されても、港から船が自由に出入りすれば要塞は持ちこたえる事ができます。我々が最初にシャンダイア軍を要塞から追い出すのに苦戦したのは、敵に艦隊があり、我々に無かったからです。しかし今、この要塞は町も港も敵に封鎖されてしまいました。これでは、防衛戦はとても困難です」
「どうすれば良かったのだ」
「要塞奪回後、海軍の無い我々は出城を築いて要塞を陸戦向けに改築しなければなりませんでした」
「ならばここは一旦引くべきだ。今ならばオルソート家もゼンダ家も兵を減らしてはおらん。我々は再びここを攻める事が出来る。一方ジョール家の兵は主を失って、今は首都に無事帰還する事のみを望んでいる」
 クラウスは頭を抱えた、そこにダイレスが入って来た。
「魔法使いのメド・キモツ様のご遺体が発見されました。神官兵はすでに要塞を出て首都に向かっております」
 クラウスは拳を握りしめて部屋の中を見回した。
「しかし、しかし、我々はまだ負けない戦いができるはずだ」
 オルソート伯爵は若い貴族に父親のような目を向けた。
「よいかクラウス、お前にはゼンダ家再興の目的があるのだろう。貴族は直接ハイ・レイヴォン皇帝か、ハルバルト大元帥に命を受けてそれを達成してこそ栄誉となる。ここでジョール侯爵の代わりを勤めても何の功績にもならん」
「しかし負けては余計に家名が立ちません」
「ハルバルト元帥にはわしからしっかりと報告しておく。幸いセントーンの戦いは我が方が優位に戦闘を進めておる。あそこで勝利を納めれば、次には圧倒的な兵力でここを囲む事が出来るだろう。問題はその時の先陣だ、キルティアにもライケンにも譲ってはならん。そのための準備をこれから首都に帰って行うのだ」
「しかし、我々が引けばカインザー軍がセントーンに向かいます」
「間に合わんよ。キルティアはすでにセントーンの半分を制圧した、ライケンも上陸を開始した。今頃二万足らずのカインザー兵が辿り着いたところで影響は無い」
 クラウスは叫び出しそうになる言葉を飲み込んだ。 
(その二万の兵に押し込められているんじゃないか)
 その後、全将校を招集した会議でも退却が決まった。
 翌朝、オルソート伯爵を先頭にしたソンタール全軍は、隊列を整えて正門から要塞を出た。無駄な戦闘を避けたカインザー軍は、攻撃を仕掛けなかった。クラウスのゼンダ軍が最後尾を守り、ソンタールの遠征軍は要塞を去った。

 ソンタール軍に替わってシャンダイア軍を率いたデル・ゲイブが要塞に入り、入城の翌日に幹部達を会議室に招集した。海軍総司令官ベゼラ・イズラハ、カインザーのベロフ男爵、クライバー男爵、バンドンが席に着き、他の指揮官達がその後ろに並んだ。会議の準備が整った所で、窓辺に立ったシャクラが海賊王ドン・サントスに伝令鳥を送った。
「ここには鳥が三羽しかいないから、万が一鳥に事故があった時の事も考えて三羽ともドンに送るのが一番いいだろう。ドンに速やかに兵員輸送用の艦隊を送ってくれるように頼む、セントーンにもドンから知らせてもらおう。ザイマンの艦隊はここでゼイバーと戦うための力を蓄えるべきだ」
 デルが嫌そうにぶつぶつとつぶやいたのを隣に座ったベゼラがなだめた。デルは不機嫌にうなった。
「それでシャクラ、お前はどうする。やはりセントーンに行くのか」
「いや、俺は一人で魔法を探す。俺の中には、元々俺が持っていた能力、先代の黒い巻物の魔法使いザサール様の能力、そして今回倒した魔法学校の三教頭の能力がある。しかしそれでも現役の黒い秘宝の魔法使いにはとても及ばない」
 バンドンが不思議そうな顔をした。
「どうしてもわからねえ。セルダン王子はその魔法使いのうち三人と正面から戦って、黒い盾のゾノボートと黒い剣のザラッカの二人を殺している。黒い短剣のギルゾンの攻撃も寄せ付けなかったおかげで、スハーラと巫女達の魔法で倒す事ができた。でもあの王子に魔法は使えないぜ、何でそんなに強いんだ」
 シャクラは笑った。
「セルダン王子が強いのではない、王子とカンゼルの剣は光の力の出口なんだ。彼の後ろには無尽蔵の宇宙の魔法の力がある。もちろんそれを現出させるためには、類い希な王子の剣の技と精神力が必要なわけだが」
 バンドンが期待を込めてクライバーを見た。
「どうだい、軍資金が足りなくねえか。せっかくソンタールの喉元にいるんだ、俺も部下を連れてちょっと金儲けに行ってみてもかまわねえかな」
「軍資金は要塞の金庫にジョールのお宝があるさ、お前は俺と一緒に来るんだ」
「やれやれ」
 翌日、クライバーとバンドンは要塞の西の門までシャクラを見送った。シャクラは相変わらず黒衣を身にまとっていた。バンドンが懐から鮮やかな赤い色のマフラーを差し出した。
「北はやっぱり寒いだろう」
「ああ、ありがとう。ドン・サントスによろしく言っといてくれ」
 不器用にマフラーを首に巻いたシャクラが天を指差すと、バサバサという羽ばたきの音と共にコッコの群れが上空を舞った。そして器の魔法使いは、コッコの群れを引き連れながら魔法を探して旅に出た。

 二週間後、海賊王ドン・サントス率いるマルバ海の海賊船団がやって来た。港に立ったデル・ゲイブは極めて不機嫌だった。
「サントスめ、よくもノコノコと俺の前に現れたな。ベゼラ、かまわないから沈めちまえ」
 幼なじみのベゼラは知らん顔で肩をすくめた。クライバーが待ちきれないといった様子で海賊艦隊に手を振った。
「怒るなデル、サントスはすでに散々ソンタールに楯突いている。全力で俺たちを運んでくれるさ」 
「あの小さい船に乗れるのか」
「そいつはちょっと不安だけどさ。まあ、とにかく俺は早くセントーンに行きたいんだ」
 バンドンもブツブツと独り言を言いながら地面を蹴っていたが、ふと目を上げて遠くの海上に揺れているソチャプを指差した。
「あれはどうなるんだ」
 豊かな黒い髪を風に揺らしたベゼラが答えた。
「トーム・ザンプタによると、あの花は海で育ったから海でしか生きられないそうよ。動かす事も難しいし、あそこに咲かせておくしかないでしょう」
 やがてサントスの船団が港に入港した。きちんとした身なりのドン・サントスは降り立つと、金髪のデル・ゲイブに向けて葉巻をはじいた。
「デカいの、水と食糧を積んでくれ」
「その前に、前回ここから逃げ出した件について説明が欲しいな」 
「グルバもザラッカもぶっ倒した後だったろ、それとも要塞の守備まで俺たちにして欲しかったのか」
 思わず乗り出したデルの肩をベロフが掴んだ。
「サントス、何人運べる」 
「詰め込んで八十人ずつ、五十隻で四千だ」
 デルが大笑いした。
「そらみろ。役に立たねえ」
 ベロフが満足気にうなずいた。
「それで充分だ。とにかく急ぐ」
 ドン・サントスがパンと手を叩いた。
「出発は明日の朝だ」
 その翌朝に問題が起きた。エスタフ神官長とレリス侯爵が乗船を拒否したのだ。エスタフ神官長は真っ赤になって怒っていた。
「もううんざりだ。先はシャクラという魔法使いに船を乗っ取られ、次に全く出番の無い戦場に連れてこられ、今度は海賊船に乗れだと。もうたくさんだ、わしらは陸路で行く」
 ベロフが部下に馬を二頭引いて来るように命じた、そしてやって来た二頭の軍馬の腹を叩いて宣言した。
「止めませんよ」
 それでその件は決着した。すべての乗船作業が終わり、ベロフ、クライバー、バンドン、レリス侯爵、エスタフ神官長と四千のカインザー精鋭を乗せた海賊船団はセントーンへ向けて出港した。
 港に残ったデル・ゲイブはベゼラに尋ねた。
「バイルンはまだ島の基地から動かせないか」
「まだ起きられないの。でもあなたの船なら揺れないから、バイルンを安静にして連れて来ることが出来るわ」
「そうだな、俺の船を使ってくれ。要塞を維持するためにはどうしてもバイルンの知恵がいるんだ」
 デル・ゲイブは急に静かになった要塞を見上げてそう言った。

 ・・・・・・・・・・

 セルダン王子とエルネイア姫は水が引いたミルトラの泉の中に、裸のまま並んで座り込んでいた。セルダンの頭にポツリと水滴が落ちた。
「もうすぐセントーンにミルトラ神の雨が降る」
 エルネイアの瞳から、ハラハラと涙が流れ落ちた。
「セントーンの民に力が蘇るわ」
「ああ、でももう東の将キルティアの兵はセントーン平野の深くまで入り込んでいるし、ダワにはユマールの将ライケンが上陸しているだろう」
「ベリック達は無事かしら」
「ブライスもベリックも自分の身を守るくらいの事は出来るさ」
 エルネイアは真剣な眼差しでセルダンの目を覗き込んだ。
「トルマリムもすでに炭のように真っ黒になって壊滅したと聞くわ、もう主な都市で残っているのは兄のたてこもるトラゼールと首都エルセントだけ」
「そうだ、そこから反撃開始だ。絶対に僕らは負けない」
 エルネイアはセルダンの肩に何度かキスをして、全身に刻まれた新しい傷をなぞった。
「これ、どうしてこうなったのか思い出せないの」
「シムラーでの試練の事は何も思い出せないんだ。まあいいさ、傷だらけだけど僕はまだ生きているし、倒さなければならない相手もたくさん残ってる。君にもやる事がいっぱいあるんだろう」
「セントーンを守るの。そこから先はわからないわ、あなたが決めてちょうだい」
 やがて天井から大粒の水が滝のように降ってきた。エルネイアが頬に水を受けて、目をパチパチしながら尋ねた。
「ねえ、どうして私達は裸なのかしら」

 セルダンとエルネイアが支度を整えて泉がある小さな洞窟を出ると、雨上がりの水溜まりを踏むようにして三人の大柄な男が立っていた。セルダンは驚いて声をかけた。
「やあ、アタルス」
 見分けがつかない程によく似た三兄弟の、中央に立った男が頭を下げた。
「王子がシムラーからお戻りになられたのに、すぐに参上せずに申し訳ございませんでした」
「いや、僕のほうは仲間がずっと一緒だったから問題ない。ミリアさんのほうは大丈夫だったかい」
「はい、しかし私達はある理由からミリア様のおそばを離れるわけにはいかなくなりました」
 エルネイアがセルダンの注意をうながした。セルダンが目をこらすと、三人の姿が薄く霞むように透けているのがわかった。
「幻か」
「ミルトラの泉に力が戻った事を雨が教えてくれました。そこでミリア様からミルトラ神に頼んでもらって我々の意志をここに投影させてもらったのです」
「わかった。これまで君達にはずいぶん助けてもらった、僕の目に触れない所でも多くの危機を救ってくれた事も知っているよ。でもこれから僕は戦場の最前線に立つし、周りはたくさんの兵が囲んでくれるはずだ。君達は君達の決めた事をするがいい」
「ありがとうございます」
 セルダンはうなずいた。アタルスが言った。
「王子、マコーキンも動き始めました」
「エルセントに向かうのか」
「まだエルセントまでは行かないでしょう、おそらくエルセントの近くまで移動してキルティアとライケンの動きを見るのだと思います」
「わかった。僕達も急いでエルセントに戻る」
 アタルス、ポルタス、タスカルの三人の幻は深々と礼をして消えた。

 (第十五章に続く

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