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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第十六章 兄弟

福田弘生

 マコーキン軍一万とパール軍二万のソンタール軍は、トルマリムからやや離れた位置にある四つの村を中心に、北と南に向かって防御陣地を構築した。南はキルティア、ライケンのソンタール軍に備えての物であり、北はやがてやって来るであろうロッティ子爵に率いられたカインザーとバルトールの連合軍に対してである。
 手際よく防御柵を構築するマコーキン軍の兵に指導されて、パール軍の兵も陣地づくりに参加していた。その様子を眺めながら、パールは一番大きな村の中央の広場に設置された指揮所にいるマコーキンを訪ねた。パールが薄暗いテントに入ると、マコーキンは椅子に座って机の上に広げられた地図を眺めていた。この男は地図が好きだな、とパールは思った。
「マコーキン、本気でここを守るのか」
 マコーキンは若い将に笑い返した。
「いや、ここを守りきるのは無理だよ。北から来る軍も南から来る軍も我々の数倍から十倍近くもの大軍になるはずだ」 
「じゃ、どうしてこんな面倒な事をする」
「時間がある。それにここに堅牢な陣を築いておけば、敵が来た時にまずここに向かうだろう。立てこもるフリをしてその間にランスタインに向かって引き、転じて攻撃を仕掛ける」
 パールは楽しそうに応じた。
「心得た」
 マコーキンがパールを見上げて尋ねた。
「パール、トルマリムを見てどう思った」
 パールは破壊された都市を思い出して不愉快そうに口元をゆがめた。
「さすがの俺も気分が悪かった。黒い冠の魔法使いは他の魔法使いと違うな、あそこまでの破壊力は他の魔法使いには無い、あれは皇帝陛下のためにならない」
 マコーキンもうなずいた。
「ライケンと黒い冠の魔法使い、そして闇の獣をどこかでくい止める必要がありそうだな」
 パールが険しい顔で剣を顔の前に上げた。
「皇帝陛下のために」

 ・・・・・・・・・・

 カインザー人で軍事についてはそれなりに知識があるアシュアンは、要塞化されつつある村の中をうろつきながら、忙しく行き交う兵士達の様子を観察していた。そして一緒に歩いていたモントに言った。
「何事にも隙の無い軍だな、実に良く訓練されている」
 モントも感心した。
「ああ、パールの軍は逆に隙だらけのように見えるが戦意は旺盛だ。この二人の将の軍が今のところ寡兵である事をカインザーの諸侯に感謝するよ」
「カインザーでのマコーキンとの戦いでは危なかったがね。バルトールではロッティもパール軍相手に大苦戦したらしい」
 そこにエラクがやって来た。
「我々三人にムライアック皇子が会いたいと言っている」
 アシュアンが大きな丸い肩をすくめた。
「いつも顔を合わせているだろう。マコーキンはなぜか我々を一緒の宿に泊め続けているからな」
 エラクがうなずいた。
「そうしないとムライアックが怯えるからだ。マコーキンは礼儀正しく紀律を重んじるが、参謀のバーンはソンタールの政界に詳しい、すでにソンタール国内にはムライアックの居場所が無い事を知っている。ムライアックは自分が皇帝に差し出される事を恐れている」
「逃げ出したいと言うのかな」
「それ程単純な男では無いと思うが、まあ行ってみよう」
 シャンダイアの三人の外交官がムライアックの部屋に入ると、平凡な顔立ちの若者が怯えた表情で椅子に座り込んでいた。ムライアックは三人を招き入れると、立ち上がって窓と扉を真剣に調べた。モントが適当に部屋の中の椅子を選んで座るとうんざりしたように言った。
「わしはバルトール・マスターだぞ、秘密の会話の扱いには慣れている。この部屋は大丈夫だよ、いったいどうしたんだ」
 ムライアックは震えながら部屋の奥の大きな椅子に座った。
「ソーカルスを出発する最後の夜、食事をしていた時に子供の頃の思い出が蘇った」
「わかりやすく言ってくれ」
 ムライアックはゴクリとつばを飲み込んだ。
「私の兄は左利きで、食べ物をこねて食べるのが上手だった」
「どの兄だ」
「長兄だ、名前はパルシオス」
 エラクが優しく尋ねた。
「言ってる事がよくわからないのだが、もっと順序立てて説明してくれないかね」
 ムライアックは両手を握り合わせて額に当てた。
「ソーカルスを出発する夜、パール・デルボーンが左手で食べ物をこねて食べていたと言っているんだ。それ以来ずっとパールを観察してきた、間違いなくあれは兄のパルシオスだ」
 エラクはアシュアンとモントと顔を見合わせた。
「どういう事だ、パールがソンタールの第一皇子なのか」
 ムライアックはイライラしたように両手を振った。
「どうしてそうなっているのかはわからない、これまで兄は死んだと聞かされてきた」
 モントが首を振った。
「いや、先代ソンタール皇帝の五人の息子のうち死が確認されているのは四男だけだ。三男のムライアックはここにいるし、五男は即位したハイ・レイヴォンだ。長男と次男は確かに消息不明だが」
 ムライアックが繰り返した。
「死んだと聞いた。二人が発見された時、次兄のテシオスは胸に剣が刺さり、長兄のパルシオスは毒を飲んでいたそうだ。これはほんの一部の貴族しか知らない事だ、私はライケンから直接聞かされた」
 モントが腕を組んでうなった。
「二人揃って生きているとは思えないな、おそらく次男のテシオスは本当に死んだのだろう。長男のパルシオスは命を拾って、何らかの理由でデルボーン男爵の養子となり第六の将となった。これで家柄が高いわけでもないパール・デルボーンが大軍を率いる第六の将となった理由が説明できる」
 エラクがムライアックに尋ねた。
「パールは自分が第一皇子である事を知っていると思うか」
「それが不思議なんだが、おそらく知らないと思う。そんなそぶりは全く見えないし、顔も私が知っている兄の印象とは全然違う」
「やはり別人か」
「わからない、もしかしたら魔法が関係しているのかもしれない」
 アシュアンが言った。
「ともかく、はっきりした事がわかるまではうかつな行動はしないほうがいいな」
 ムライアックが怯えた目を向けた。
「逃げたほうが良いか」
「今、エルセントに行っても戦場のど真ん中だ。ここのほうが安全だろう、しばらくマコーキンと共にいたほうがいい。マコーキンは皇家の血を絶てる程、冷酷な性格では無い」
 ムライアックは震えながらうなずいた。

 ・・・・・・・・・・

 夜が来た。
 マコーキンと同じ館に泊まっていた女魔術師のミリアは月の光に誘われて中庭に出た、するとそこにアタルス達三兄弟が待っていた。ミリアはクスリと笑った。
「あなた達が夜中に立っている姿はかなり迫力があるわね」
 いつものように中央に立っている長兄のアタルスが口を開いた。
「聞いていただきたい事があるのです」
「話してごらんなさい」
「私達は先代のカインザーのバルトール・マスター、ロトフ様について世界各地を巡りましたが、この地域には初めてやって参りました」
 ミリアはよく似た三人の顔をじっと見つめて、渋く心地よいアタルスの声に耳を傾けた。
「セントーンには小さな川が無数に流れ、肥沃な田畑が広がっています。この景色を私達三人は何度も夢に見た事があります」
「三人共同じ景色を夢に見るの」
 普段はしゃべらないポルタスが言った。
「子供の頃からです」
 タスカルが続けた。
「もう一つ共通の事があります、それはその景色を見下ろしているんです」
 ミリアはハッとして真っ暗な西の空を見上げた、その闇の彼方にランスタインの山脈があるはずだった。アタルスが言った。
「そうです、山の上から見ているんです。ここから西の山の中に何があるのでしょうか」
「もう少し夢の話をしてちょうだい」
「小さな村でした。村の中央に井戸があり、おいしい水が汲み上げられていました。私も弟達もその村の景色を克明に思い出せます」
 ポルタスが言った。
「夢の中で私は村の中央の井戸に行き、水を汲み上げます。桶の中の水は透明で冷たく、私は水に手を浸します。すると美しい水は桶の中で赤く染まるのです」
 タスカルが続けた。
「別の夢があります。同じ村で、美しい娘が夢の中に出てきます」
 ミリアが確かめるように尋ねた。
「三人ともその娘を見たの」
 アタルスが答えた。
「それぞれが夢に見る娘は違うようなのですが、三人の夢に登場する同じ人物がいます。おぼろげな姿なのではっきりと顔まではわからないのですが」
 アタルスがミリアを見つめた。
「これまでずっと、私達はあなた様を過去に知っていたような気がしていました。ここに来て周りの風景を見て、三人で話し合って確信を持ちました。私達三人の夢に出てくる同じ人物はあなた様だと思います」
 ミリアは突然口を押さえた。その瞳から大粒の涙が流れ落ちた。
「それではその時が来たのね」
 アタルスが身を乗り出した。
「教えてください。私達とあなた様の関係を」

 ・・・・・・・・・・

 その頃、同じ月の光に照らされたトルマリムの廃墟の中で、一人葉巻をふかしている男がいた。闇を恐れない男でも、さすがにここまで破壊された都市にいると、背筋に寒い物を感じる。しかし男は昼間ではなく夜に来たことをむしろ正解だと思った、破壊された建物が黒い小山のように見えて、人が住んでいた気配を完全に消していたからだ。
(こいつあひでえ。サルパートの黒い短剣のギルゾンも狂っていたが、黒い冠の魔法使いは尋常じゃない。都市が丸ごと燃え尽きてしまったようだ)
 イサシは葉巻の灰を落とすと立ち上がった。
(さて、我々の宝を見に行くか)
 そしてマコーキンの軍が駐屯している方角目指して歩き出した。

 (第十七章に続く

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