| TOP Short Novel Long Novel Review Interview Colummn Cartoon BBS Diary |

シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第十七章 盾の城トラゼール

福田弘生

 ミリアは三人の兄弟を部屋に迎え入れた。そしてグラスを四つ用意して手際よくワインを注いだ。
「マコーキンの用意したものだけど、彼のワインの趣味はいいわよ」
 そう言ってアタルス達にワインと椅子を勧めると、自分もグラスを持って椅子に座った。三兄弟はグラスを手にしたが椅子には座らなかった。ミリアはワインを少し口に含んで舌を湿らせると話し始めた。
「二百年以上も昔の話になるけど、ランスタイン山脈のセントーン王国領とソンタール帝国領の境界に、タルミの里と呼ばれる村があった事を知っているかしら」
 三兄弟の中でいつも話し手になる長兄のアタルスがうなずいた。
「聞いた事があります。セントーン王国からソンタール帝国に寝返った村ですね」
「丁度その頃は東の将の攻撃が強まっていた時期で、私はセントーンの南方の戦線に出掛けていたの。その間にタルミの里の井戸に異変が起きたらしいのだけど、山奥の村の出来事だったので戦闘の最前線の私の所までは知らせが届かなかった」
「どんな異変だったのですか」
「疫病の原因として疑われたの。村人が次々に腹痛で倒れて、それで井戸の水がおかしいと言う事になったらしいわ。それまでは澄んでおいしい水だったのが、赤みがかってとても嫌な味になったらしいの」
 アタルス達はじっとミリアの話に聞き入った。
「セントーン政府はその対応に時間がかかった、山奥の出来事だし南方での戦闘も激しかった。たぶん東の将もその出来事に関係して動いていたんだと思うわ。それでとりあえず村境を封鎖して医者を送ったのだけど、タルミの里には着かなかったらしいわ」
「おそらく、待ち伏せていたソンタール側の人間に殺されたのでしょう」
「そうね。そんなある日、ソンタールから女性の魔法使いが現れて村人に助けを申し出た」
「なる程、そこでソンタールが出てくるわけですね」
「魔法使いは村人を何人か治してみせたそうよ」
「その魔法使いが自分で井戸に毒を仕込んだのでしょう。治せてあたり前だ」
「村人達は困ったわ、何しろ敵であるソンタールの魔法使いだから。でも結局ソンタール側につく事に決めて、セントーン政府の最後の援助を拒絶して門を閉じた」
「それ程に重要な村だったのですか」
「いいえ、村自体はそれ程でも無かった。どうやらソンタールは村の住民の娘を欲しかったらしいの」
 三人の兄弟の顔に影が差した。
「娘ですか」
「村の疫病を治す代償は村長の三人の娘をソンタールのメド・ラザードに差し出すこと」
「そんな馬鹿な」
「選択の余地は無かったと思うわ、村人が次々に倒れていたから。娘達は自ら進んでソンタールに向かったそうよ」
 アタルス達の顔がこわばった。
「メド・ラザードは、なぜその娘達を欲しがったのでしょう」
「それはわからないけど、おそらくその三人の娘があなた達の夢に出てきた娘よ。名前はカリバ、キリバ、エリバ。私は戦闘が一段落してエルセントに戻った後、タルミの里の話を聞いて調べに行ってみたの。そして村の近くの山道に倒れている三人の若い男を見付けた」
 ミリアは三人の兄弟の瞳に涙が浮かんでいるのに気が付いた。
「それがあなた達よ。三人の娘はすでにソンタールに向かった後だったから、後を追いかけてソンタールの兵士に襲われたのでしょう。傷が深くて私にはその若者達の命を助ける事はできなかった」
「私達はその時に死んだのですね」
「ええ、でも三人の若者は私に頼んだの、どうしても娘達を取り戻したいと。私にはどうしていいかわからなかった、でもあなた達の魂は私がそれまでに知っていた誰の魂よりも強かった。イチかバチかだったけど、私はあなた達の魂を死にゆく肉体から放った。そんな魔法が出来るかどうかわからなかったけど、私はそれをしたの。あなた達の魂が追いかけていた娘達に届くのか、それとも消滅してしまうのかわからなかったけれど、運命に賭けてみた」
 アタルスがかすかに微笑んだ。
「無茶だ」
 ミリアも微笑み返した。
「実は翼の神の四人の弟子の中で、私が一番無茶な事をするのよ。マルヴェスターにその事を知られたら怒り出すと思って、しばらく翼の神の弟子がタルミの里に近寄れないような魔法をかけたの。後でセリスがタルミの里に近付けなかったと言っていたのを聞いて、うまくいったのを知ったわ」
 その時、ミリアは三人の男の体にかすかな魔法の力を感じた。魂が完全に蘇ったのだ。アタルスが言った。
「思い出しました、私達三人はそれぞれが村長の娘の許嫁だったのです。村長には魔女に騙されているのだと訴えましたが、村長はすでにセントーンに助けを求める事をあきらめており、カリバ達三人の決意も固かった。私達はセントーンに助けを求めに行き、医者と共に戻った時にはすでに村の扉は閉じられていたのです」
「それでカリバ達を追いかけたわけね」
「そうです。そしてすべてを失いました、もうカリバもキリバもエリバも戻って来ない」
 ミリアがグラスを置いて首を振った。
「それがそうでも無いかもしれないわ、トーム・ザンプタからベリック経由で連絡が来たの。魔法使いレリーバは三人の女性が一人になった存在だそうよ、おそらくタルミの里の村長の娘達ではないかしら」
 アタルスの顔色が変わった。
「なぜそんな事に、あんな優しい娘達が魔女になるはずはありません」
「どうしてそうなったのかはわからないけれど、遠からずわかると思うわ。あなた達がここに戻ってきたのはおそらく彼女達の魂に引かれたのよ、レリーバには必ず出会う事になる」
 アタルスが勢い込んで言った。
「待たずとも会いに行きます。東の将キルティアの陣営にいるのでしょう、それならばそう遠くは無い」
 ミリアは再び首を振った。
「駄目よ、当時とは状況が全く違うの。レリーバはソンタール帝国の神官達の高位に君臨する黒い秘宝の魔法使い、あまりに危険な存在だわ」
「しかし」
「駄目、もしどうしても行きたいと言うのならば、この場で魔法をかけてあなた達を縛り上げるわよ」
 三人はその言葉の厳しさに息を飲んだ。ミリアは立ち上がった。
「しばらく私のそばにいてちょうだい、必ずレリーバに会わせてあげる」
 アタルスが渋々うなずいて尋ねた。
「タルミの里はどうなったのですか」
「娘を手に入れた後、ソンタールは村の事など忘れてしまったように無視をした。井戸の水は元に戻ったけど、娘を失って失意の村長はセントーン王国に和解の使者を送る事をせず、次第に人が減って村は無くなったわ」
 それを聞くと、三兄弟は黙って礼をして部屋から出て行った。

 ・・・・・・・・・・

 トラゼールはセントーン平野の北の大河ミルバ川の上流に位置する大都市である。網の目のように走る水路に囲まれた都市は三重の城壁に囲まれ、長い間繁栄を続けてきた。セントーン第二の人口を擁する都市は川を背景に扇形に広がり、その中心に盾のようにそびえる円筒形の岩の塊があった。その上に尖った塔を持つ城が建っている、これが盾の城と呼ばれるトラゼール城である。
 セントーンの王子ゼリドルは、キルティアの軍の来襲の前に市民をミルバ川の対岸に避難させた。そして都市全体を要塞化して徹底抗戦の構えを取った。怒濤のように押し寄せた東の将キルティアの軍は、水路に行く手を阻まれて大軍を思うように動かせず、さらにライケン軍に合流するために軍が分裂したりする内部の混乱も手伝って、この都市を攻めあぐねた。
 しかしやがて兵数に物を言わせて三重の城壁を苦戦しながらも突破した。そこでゼリドル軍が岩壁の上のトラゼール城にこもると、キルティア軍は巨大な岩壁の上に建つ堅城を十重二十重に囲んだ、もはやネズミ一匹入る隙も無い。
 繁栄した都市はキルティア軍の放った炎で焼き尽くされた。そのくすぶる瓦礫の中に東の将キルティアは馬を進めて巨大な盾の城を見上げた。その横に魔法使いレリーバが馬を並べた。二人の後ろでは巨大な山猫デッサが大きくのびをした。真っ赤な髪をなびかせてキルティアがうんざりしたように言った。
「ゼリドルは頑張るね」
 レリーバの瞳が金色に輝いた。
「城ごと焼いてしまえば良いでしょう」
 キルティアが笑った。
「岩は焼けぬ」
「まさか兵糧攻めなどと生ぬるい事を考えているのではありますまい」
 キルティアが厳しい顔になった。
「時間がかかり過ぎる。すでにライケンはエルセントに向かっている」
 レリーバの瞳が赤くなった。
「ミルバ川の対岸に避難民が多く残っています」
 キルティアが豊かな唇をほころばせた。
「殺せ」

 翌朝、城壁に立ったゼリドル王子は参謀のベルガー子爵と共にトラゼールの町いっぱいに満ちたキルティア軍を見下ろしていた。その軍勢がやがてミルバ川に向かって移動を始めた。 
「ゼリドル様、あの動きは」
「対岸にはまだ避難民が残っている。やはりキルティアはそこまでやるか」
 ゼリドル達の見つめる前でキルティア軍はミルバ川にかかる巨大な橋に殺到した。濃紺の鎧の兵達は押し合うように橋に溢れた。その時、石橋が轟音と共にサイコロのように崩れて落下した。それを見たベルガー子爵が肩をすくめた。
「予想通りの人数でしたね、あれでは強度を弱めた橋は保ちません。しかし兵はかわいそうに」
 ゼリドルも不愉快そうだった。
「どんな手段を使ってでもここでキルティア軍をもちこたえなければならないが、罠にかけての大量殺戮は気分のいいものじゃないな」
「王子、何をおっしゃいますか」
「わかっている、俺達は盾だ。打ちかかって来る者はすべて砕く」
 ベルガー子爵も剣を鳴らして応えた。
「持ちこたえましょう、セルダン王子達がエルセントで反撃の準備を整えるまで」

 セントーン軍の罠にかかった事に激怒したキルティアは、岩壁に螺旋状に敷かれた急な坂を駆け上るように城を攻めたが、散々にうち負かされて退却した。その夜、怒り狂う東の将を陣に残して魔法使いレリーバは巨獣デッサと共にトラゼール城を見上げる荒れ地に立った。赤い瞳のレリーバが巨大な山猫を見上げた。
「そなたが飛べれば良いのに」
 デッサが鼻を鳴らした。
(猫はそんな下品な真似はしないわ)
「マーバルはあの岩壁を上れるだろうか」
(難しい。たとえ登れたとしても、数万の大軍がこもる城に数百匹の山猫では皆殺しにされてしまう)
 デッサがレリーバに体を寄せた。
(何か毒は使えないの)
「水源が川ならば水路に毒を入れる方法もあるだろうが、トラゼール城はあの岩山全体を長い年月をかけてくり抜いて雨水をためる壺にしているらしい」
(煙は)
「毒草を燃やしてもあの高さまで上れば煙が拡散してしまう」
 デッサがゴロゴロとうなった。
(マコーキンの部下のバーンならば何か城攻めの機械をつくったでしょう。亡きザラッカならば鳥を使って攻撃が出来た、キルティアには何があるの)
「力攻めのみ」
(それではライケンが先にエルセントを手に入れてしまう)
 その時、レリーバの目の前に三日月形の闇が降りた。そして闇が去ると白い仮面をかぶった人物が立っていた、レリーバは険しい顔になった。
「これは珍しい、我が師メド・ラザード様の娘ごではないか。ティズリ、何しにやって来た」
 仮面の下から乾いた女の声がした。
「メド・ラザード様からのご命令だ。東の将キルティアの進軍を止めよ」
 レリーバはバカにしたように岩山に向けて手を振った。
「見ての通り、止まっているさ」
 ティズリと呼ばれた女が舌打ちした。
「だからキルティアに手を貸すなと言っているのさ」
 レリーバは険悪な顔でにらみ返した。
「そうかライケンのためだね、メド・ラザード様はやはりライケンを支持する側にまわったか」
 ティズリがケラケラと笑った。
「いつまでたっても田舎者だね、あんたが山の中で毒をつくっている間に首都では色々あったのさ。メド・ラザード様と貴族議会のケルナージ大公、商人ギルドの長レボイムでガザヴォック、ハルバルト、ゼイバーの支配する現政権を覆す。その柱がライケンさ」
「それはずいぶん難しそうだこと」
「あんたは黙って言う事を聞いてりゃいいのさ」
 レリーバがツカツカとティズリに近寄って右手の拳を仮面に叩きつけた。仮面はまっぷたつに割れ、さえざえとした女性の顔が現れた。やや丸顔に大きな瞳、子供のような印象を与えるがその額から目にかけて焼けこげたような傷跡がある。
「私に口を利くときは気をつけな、次は全身に毒をあびせてやる」
 ティズリは傷跡に手を当てて叫んだ。
「この化け物が、おかあさまの実験の産物が」
「そうだよティズリ、お前の母親のメド・ラザード様が私を創った。だがその化け物のあたしをメド・ラザード様は東の将の要塞に派遣したのさ」
「ふん、ただの計算違いさ。お前にこれ程の魔法の才があるとは思わなかったんだ、お前さえいなければあたしが東の将の魔法使いになっていたはず」
 レリーバの形相が鬼のようになった。
「お前の母親はタルミの里の井戸にグリムの毒を投げ込んだ、おかげで大切な人達がたくさん死んだ」
 レリーバの手の平から緑色の液体がティズリに向かってほとばしったが、ティズリが鼻を鳴らして手を振ると毒液が凍りついて地面に落ちた。ティズリは笑った。
「あたしだって成長するんだよ」
 その二人の間をデッサが大きな足で遮った。
(いいかげんにおし)
 そして何かを言おうとしたティズリを睨んだ。
(ここはレリーバの戦場、決めるのはレリーバだ。そうラザードに伝えなさい)
 ティズリは舌打ちして巨大な山猫を睨んでいたが、やがて背を向けると去って行った。デッサがレリーバを見下ろした。
(おとなしくグラン・エルバ・ソンタールに戻るだろうか)
「まさか、メド・ラザードはしつこいんだ。最後までティズリに見届けさせるよ、いっそ」
(いっそ何)
「ティズリを消してしまおうか」
(ラザードが激怒するわよ、いやな老婆だけど魔力は相当なものだから)
「なに、メド・ラザードに匹敵する魔法もたくさんある。ガザヴォック様をうまく利用できればメド・ラザード等恐れるに足りない」
(私達の目的を忘れたの)
 レリーバの瞳が黒くなった。
「もちろん忘れてはいないわ、私達姉妹には欲しいものがある。メド・ラザードの実験で融合され、体も頭の中もかき回されてしまったために私達三姉妹の性格は変わってしまった。力を求めていたキリバには破壊の性格が、知識を求めていたカリバには冷酷な研究欲が定着してしまった。キリバはソンタールへの復讐のための破壊を望み、カリバはすべての命を操ろうとしている。でも私は目的を忘れない、私は命を救う魔法が欲しい」
(そうよ、そのためにはミセルネルを見付けるの。まずは目の前の出来事を一つずつ片付けていきましょう)
「会わなければならない者が何人かいるわね」
(まずシュシュシュ・フストが言っていたミリアね、あなたの知らないタルミの里の出来事を知っているでしょう。トラム川に残していたマーバルが知らせてくれたけれど、シュシュシュ・フストはトラム川の毒を消したそうよ)
 レリーバは黒い瞳から涙を流してデッサを見上げた。
「さすがに海の精霊の始祖ね、私達は井戸一つのグリム虫さえ消す事が出来なかったと言うのに」
(グリム虫が塩分に弱いと言う事を知らなかったのだから仕方ないわ。シュシュシュ・フストは消息不明だそうよ。でも消えてしまったのでしょう、私にはわかる)
「そう」
 黒い瞳のレリーバは心の中で海の妖精の消滅を悼んだ。
「もう一人、会わなければならない人物がいるわ」
(そうね、あのテイリンという若い魔法使いがどのくらい成長しているか見てみましょう)

 (第十八章に続く

トップ読切短編連載長編コラム
ブックレビュー著者インタビュー連載マンガBBS編集部日記
著作権プライバシーポリシーサイトマップ