マルヴェスターと別れたテイリンはルフーの長レイユルーと共に北に向かっていた。進むに従って冬の風に混じる枯葉は形が崩れた物が多くなり、やがて土埃ばかりになった。そのまま進むとマコーキンとパールの軍に行き当たる事に気が付いたテイリンは、進路を西に変えてトラゼールの廃墟を左手に見ながらミルバ川を渡った。目前に聳えるランスタインの巨大な山並を見上げたレイユルーは嬉しそうな声をあげた。 (テイリン様、しばし冬山に身を置きましょう。ルフーもゾックもあなたも北の山に生まれ、育った者です) テイリンはその言葉に心を動かされた。いっそ故郷に戻ろうかという考えが頭をかすめた、ミルトラの水を与えたゾックの牝の様子も気掛かりだったのだ。その時、上空で竜の仔アンタルが鋭い叫び声を上げた。 (呼んでいる者がいる) テイリンは馬を止めてアンタルを見上げた。 「このあたりに知り合いはいない、マコーキン将軍の元にいたミリア様が逃れて来たのか」 (いや、別の魔法) 「セントーンにやって来たというメド・ラザードの娘ティズリか」 (いやもっと古い魔法、だから僕にしかわからない) 太古の獣の息子はそう言うと山に向かって進路を変えた、アンタルを追ったテイリンとレイユルーの目の前にやがて黒々と生い茂った原生林が現れた。テイリンは馬を降りてそこに残すと、レイユルーと共に密集した木々の中に分け入った。 (人口の多いセントーンでも、このあたりはまだ人が足を踏み入れていないようだな) しばらく進むと突然に木と下生えが途絶え、円形に開けた広場が現れた。そしてその中央にねじくれた木が絡み合った奇妙な塔のような物が建っていた。その塔の所どころに窓のような物があるのを見て、テイリンはこれが家である事を知った。アンタルは木のそばに翼を縮ませて着陸すると独り言を言った。 (しまった、思ったより狭いぞ、また飛び立てるかなあ) 五十メートル程はある家の周囲をゆっくりと回ったテイリンは、幹にめり込むように取り付けられた小さな扉を見付けた。 「アンタル、レイユルー、外で待っていてくれ」
テイリンはそう言うと木造の扉を軽く叩いてみたが、応答が無いのでギリギリときしむ扉を開けて中に入った。中は階段になっており、十段ほど上ると小さな部屋があった。部屋の中央には木の切り株を利用した机と椅子があり、天井から下げられたランプには炎では無い不思議な灯りが灯っている。机の上には紙が置いてあり、小石で押さえられていた。テイリンが紙の上をよく見ると、六つ星のてんとう虫がじっと見返しているのに気が付いた。テイリンがさらに顔を近付けると、てんとう虫から怒ったような意識が届いた。
(やっと来たか) テイリンは驚いた。 「てんとう虫がしゃべった」 (馬鹿者、わしらに言葉を話す口など無いわい、意識の伝達の仕方くらい知っているだろう) テイリンは怒られて身をすくませた、そのてんとう虫の言葉には威圧する程の威厳があったのだ。 「いったいあなたはどなたですか」 (ジェ・ダン、すべての虫達の始祖だ) 「ええっ、虫にも始祖がいたんですか」 てんとう虫は羽根を開くと、飛び上がってテイリンの目の高さに浮かんで小さな体を震わせた。テイリンはあわてて手を振った。 「いえ、いて当然ですね、この星には虫がたくさんいるんだから」 (いるどころではない、最も多くの種類がいる生物が虫なんだぞ。お前達は鳥や狼や爬虫類の始祖を恐れるが、奴らなどより余程この星に貢献しているのがわしなんだ) 「でもそんなに小さいのに」 (大きければ良いというものではない。デルメッツなぞ、死ぬまで飛ぶ事以外に何も出来なかったではないか) 「デルメッツの死をご存じなのですか」 (虫の目は世界中にある、世界中からわしの元に情報が入るのだ) テイリンは心の中でゾッとした、この相手はこれまでの始祖の生き物とは別の意味でとても危険なのかもしれないと思ったのだ。 てんとう虫は窓まで飛んで行くと、外にいるアンタルとレイユルーを確認した。 (狼はルフーの長だろうが、あの小さいドラティは何者だね、小さな竜を見たという報告は入っているのだが正体がさっぱりわからん) 「ああ、ドラティの子供です」 (始祖の生き物に子供は出来ないぞ) 「それが出来たんです、私がドラティから卵を預かってミルトラの水につけて孵しました」 てんとう虫は狂ったように飛び回った。 (よし、よし、アイシム神の力の顕現だ) 「ううん、ドラティは元々はバステラ神の巨獣でしょう」 てんとう虫から怒りの意識が発散された、かなり気が短い生き物らしい。テイリンは話題を変えた。 「先程、やっと来たか、とおっしゃいましたね」 (そうだ、そうだアイシム神から、やがて来る魔法使いにメッセージがあるのだ。この前に来た若者はアイシム神の魔法使いではなかった) 「私の前にここに来た人がいるのですか」 (マルトン神の弟子が来た、セリスと言っておった。彼は自分がアイシム神の魔法使いでは無い事も知っておったよ、賢い若者だった) 「私は本当にアイシム神の魔法使いなのでしょうか」 (それはこれからわかる) ジェ・ダンと名乗ったてんとう虫は机の上に置かれた紙の上に着地した。 (この紙に書かれた言葉を唱えよ) テイリンは不安そうな顔をした。 (どうした) 「魔法の発動の瞬間が恐いのです。以前に思いがけない事から、ガザヴォックの闇に捕まってしまった事がありますので」 テイリンはそう言いながら紙を手に取った。
(第二十八章に続く)
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