テイリンが手の平位の大きさの紙を手に取ると、白い紙の上に赤と青と黄色の三色の色がにじむように浮かび上がり、そしてうごめいた。 「文字は何も書かれていませんよ、色が動いているだけです」 ジェ・ダンはビンと羽音を高めた。 (あたりまえだ、まさか呪文が普通の文字で書かれていると思ったのではあるまいな) テイリンは色のにじんだ紙を見つめて考え込んだ、そして肩をすくめた。 「駄目だわからないや、何か手がかりはありませんか」 ジェ・ダンは驚いた事に羽ばたきをやめて空中で止まってみせた。 (以前にガザヴォックの魔法にかかったと言ったな) 「はい、ガザヴォックが魔法で時を止めたネズミに触ってしまったのです。ですが実はガザヴォックは月光の要塞の泉にいた魚に罠を仕掛けていたのだと、後にマルヴェスター様から聞きました」 (言葉にすればそうなるが、実際にはどういう事が起きていたかを考えるんだ。ガザヴォックは魔法を魚とネズミにかけたままにしておいたと思うのか) 「違うのですか」 (魔法は意志で操るものだろう、いかにガザヴォックといえども二千年以上もの間、魚やネズミに意識を残したままでいられるはずは無い) 「魔法がそれ自体で独立して働き続けていたのですね」 (ちょっと違う、魔法がそうありたいと思い続けたのだよ) 「よくわかりませんが」 (魔法は意志を持った作用なのだ) テイリンはこの言葉を頭の中で繰り返してみた、そして突然目の前が開けたような気がした。 「魔法は、意志を持った生き物のような存在なんですね」 (さよう、聖宝神はその形が最もわかりやすい者達だ。そしてその魔法達の源がアイシム神であり、バステラ神なのだ) 「そうか、ガザヴォックは魔法に時を止めるように命じて魚とネズミに取り憑かせたんだ」 (命じたというより、理解させたと言ったほうが正確かもしれん) 「ならばこの紙の上の色もそれ自身の意志でここにいる事になりますね」 テイリンは色をじっと見つめ、そして話しかけた。 「アイシム神が伝えたかった言葉を教えてくれ」 テイリンは返事のような微妙な意識が返って来るのを感じた。そして色は紙の上で混じり合い、黒くなって文字の形を整えた。テイリンはその文字に書かれた言葉を唱えた。 「いざなえ、かつて神々が話し合った場所へ、そして王が座る椅子の元へ」 やがて周囲が白い光に包まれ、気がつくとテイリンは巨大なピンク色の低い円錐のような地形を見上げていた。 螺旋を描いた階段が円錐をぐるりと回りながら、頂点に続いている。テイリンは頭に手をやってがっかりしたように言った。 「何となく、ここに来るような気がしてたんだ」 テイリンの耳元でジェ・ダンがブンブン飛びながら驚愕の声を上げた。 (何たる事、何たる事) 「一緒にいらしたんですか」 (そんな事はどうでもいい、それよりこれはどうした事だ、白いはずの丘が毒々しい色に変わっているではないか) 「この色を変えた本人は、美しいと思ったらしいですよ」 (誰だ) 「もちろんシャンダイア女王、アムネリア・シャンダイア・フーイ様です」 (知らんぞ、知らんぞ、報告が届いておらん。これは神に対する冒涜だぞ) 「地上で起こった出来事ではありませんからね、虫達も知らなかったのでしょう。アーヤ女王の仕業を神がお怒りになるかどうかはわかりません」 テイリンはジェ・ダンの情報にも限界がある事を知った、文字通り虫の知らせが必要なのだ。 「ここは大地の座ですか」 (いや違う、位置はそのままで我々はあの森の塔の地下に移動したのだ。しかしここは、シムラーの大地の座をそのまま反映しておる。世界にはこれと同じ場所がもう一か所ある) 「どこですか」 (未踏の大陸だよ) 「誰も足を踏み入れた事が無いと言われる大陸ですね、あなたには未踏の大陸の様子がわかるのでしょう」 ジェ・ダンはジグザグにテイリンの周りを飛び回った。 (何かがおかしいのだ、あそこからは虫たちの声が聞こえて来ない) 「そんな、どんな場所にだって虫はいるでしょう」 (いる、しかし何かがあそこを閉ざしたのだ。しかし今はそれは問題では無い、目の前で起きる出来事に注意しなければならん) テイリンは丘を見上げた。 「頂点にはやはり黄金の椅子があるんですか」 (ある。この星の王のみが座る事が出来る、今は女王だがな) 「アイシムとバステラの創造の二神がこの星の運命を話し合った場所ですね」 テイリンはハッとした。 「その未踏の大陸の大地の座にコウイの秤があるのですか」 (それはわからない、すでに知られた世界には置かれていないようだから、そこにあるのかもしれない) その時、前方から人の声がして二人の人物が現れた。一人は見覚えのある小男、もう一人は見た事の無い女性だった。その小男がテイリンを見て手を振った。 「やあ、テイリン師、あなたが俺達をここに呼び寄せたんですか。よかったあ、あんたがいてくれて。さすがに俺もこの事態には参ったと思ってたんだ」 バルトールの暗殺者イサシはそう叫ぶと、ストンと腰を落として地面に座り込んだ。
(第二十九章に続く)
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