テイリンが塔の中に入ってから半日がたち、森の中は薄暗くなってきていた。 塔の前の空き地で待機していたルフーの長レイユルーは、イライラしながら塔の周りを歩き回っては心配そうにテイリンが消えた扉に目を向けた。しばらくして、大きないびきをかいて眠っていた竜の仔アンタルが、首を上げてうるさそうに文句を言った。 (じっとしてなよ、どうせ僕らは中に入れないんだから) (私は入れる、いざとなったら扉を壊せ) (めんどうくさいなあ、ここの魔法は悪い魔法じゃないよ。たださっき、何かおかしな魔法が混じったように感じたけどね) (わかるのか) (僕は子供だけど、血は父ドラティのものだから) レイユルーは不思議そうにアンタルを見上げた、アンタルはレイユルーを睨んだ。 (何か僕に嫌な所でもあるの) (いや違う、なぜ今になって始祖の生き物ドラティが子供を残したのかが不思議なのだ。何か神の目的があるのだろうか) (始祖の生き物の仔は僕だけじゃない、ソチャプって植物には種が出来るって聞いたよ) (ソチャプは植物だ、動物とは違う。だが言われてみれば、始祖の生き物にも子孫を残す能力はあるのかもしれないな) (あたりまえだよ、始祖の生き物から今の生き物が生まれたんだから) アンタルはそう言うと怒ったように鼻息を吹き出して、また眠りはじめた。
テイリン達三人は階段に取り巻かれた丘の頂上にたどり着いた。円形をした狭い頂上には、つやのある石が敷き詰められていて、その中央に精緻な模様が施された立派な造りの黄金の椅子があった。 イサシは羨望の目でその椅子を見つめながら、そこに座るべき人物について考えた。 (何としてもここにソンタール帝国の前皇帝の長男パール・デルボーンを座らせなければならない。グラン・エルバ・ソンタールの大老の半分と、我がバルトール最後のマスター、ジザレがパールの後ろ盾となる。そしてやがてはバルトール・マスターがソンタール皇帝を操って帝国を支配するのだ) そこでイサシはジザレの超然とした顔を思い浮かべた。 (果たしてジザレはそこまで考えているのだろうか、それとも何か別の目的があるのだろうか。あの男は他のマスターとは全く違う、何を考えているのかよくわからない) イサシはジザレと行動を共にする事に漠然とした不安を覚えた。その時突然、ティズリが身を震わせた。 「何か来るよ」 テイリンも感じた。大きな力、閉ざされた無風の空間から音をも奪うような圧迫感。そして気が付くと、椅子の横に年老いた賢者の顔をした老人が立っていた。白い衣の老人はテイリンの横に飛んでいるてんとう虫にチラリと目をやると、テイリンに話しかけた。 「友人を連れて来たとは意外だった」 「あ、いえ、私が連れて来たのではありません。何かの力でここに引き寄せられたのです」 ジェ・ダンがテイリンの肩にとまって、その老人に向かって意識を放った。 (エイトリ神、ごぶさたいたしております) テイリンはびっくりして思わず声に出した。 「あなたがエイトリ神ですか」 老人は片手を挙げて微笑んだ。 「私しか来られないのだよ、カインザーの主力はまだエルバナ川を渡っておらんし、ゼイバー提督の艦隊が健在でいる限りザイマンの艦隊も容易には動けない。クライドンとエルディはまだ自分の国にかかりきりという事だ。バルトールのバリオラはまだ傷が癒えておらんし、首都ロッグですらまだ復興の途中だ。シャンダイアの神々はまだまだ自らの民の事で手一杯だが、私だけはようやくサルパートを離れても大丈夫になったのだ。マキアは頑固だが有能な王でね、カインザーが頑張ればサルパートが戦場にならない事をよく理解して、カインザー軍への補給を見事にこなしておる」 それを聞いてティズリが冷気を放つ手を上げて身構えた。 「シャンダイアの神か」 エイトリ神はかすかに微笑んだ。 「あわてるでない、私は知識と癒しの神、そなたと戦う力は無い。だがこの空間で逃げることは容易だぞ」 ティズリは幼い顔に警戒心を漲らせながらも手を下ろした。テイリンが尋ねた。 「アイシム神はかなり以前からこの空間に私を呼ぶ準備をしていたはずです、エイトリ様は最初からここに来る事になっていたのですか」 「さすがに賢いな、もちろん違うよ。個人に定められた運命など実際には無い、あるのは枠割りに定められた運命なのだ。これが別の時ならば、誰か別の者がここに来たのだろう」 「それでは私の役割は」 「解放だ、様々な運命のね」 エイトリ神はそう言うとティズリとイサシに目を移した。 「一人は水を氷に変える魔法使い、そして一人は水に別の力を与える粉を持つ暗殺者。テイリン、どこかで力を持つ水を飲まなかったかね」 テイリンは思い出した。 「タルミの里で、ソンタールの黒い冠の魔法使いから水を受け取りました。村の中央の井戸から汲んだ水で、魔法使いはその味をよく憶えておくようにと言いました」 エイトリはうなずいた。 「タルミの里の井戸はすでに枯れている」 「そんな、私は確かに飲みました」 「わかっておる、だからいっそうその水が大切なのだろう」 テイリンはその時の水の味を思い出せる事に安堵した。
(第三十一章に続く)
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