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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第三十三章 西の城門破られる

福田弘生

 

 回転する猫の魔法陣は、アイシム神の聖宝によって築かれた結界の内側に一瞬だけ小さな門を開いた。その門が開いたわずかな間に、二人の魔法使いが別々の場所から門に飛び込んだ。魔法の狭間をすり抜けた二人は、月光に照らされた都市の上空に現れると、エルガデール城をのぞむ大きな商家の屋根の上に降り立った。二人の魔法使いのうちの一人、金髪で青白い顔の男は隣に立った凄絶な美女に目を向けた。
「初めまして、レリーバ殿。なる程、噂を遙かに凌ぐお美しさだ」
 赤い瞳のレリーバは男を見て、その魔力の異常さを感じると身震いした。
「お前が新しい黒い冠の魔法使いか、聞きしに勝る化け物だな」
 ゼリッシュは微笑んだ。
「失礼ながらあなたも大変な者ですよ、一つの肉体に三つの魂とは実に興味深い」
 レリーバはエルガデール城に目を向けた。
「やるかい、今ならばマルヴェスターはいない。あそこにいるのは聖宝の守護者達だけだ、皆ほんの子供だよ」
 ゼリッシュは首を振った。
「しかしセルダン王子がいます。ゾノボートの盾を砕き、ギルゾンの短剣をはねのけ、ザラッカの剣を受け止めてあの強靱な肉体を切り裂いた。アイシム神の力をこの世界に現出させる恐るべき戦士があの城にいる」
 レリーバはゼリッシュを見つめた。
「それでもお前は戦うのだろう、なぜだ」
 ゼリッシュは両手を見つめて歯がみした。
「やがて触れ合わなけらばならない二つの大きな力の一方が私だからです。元々セルダン王子はガザヴォックの相手として定められたものでした。私はバステラ神の怒りを静めるために捨てられた神像を求め、そしてそれに捕らわれた。時と魂を操るガザヴォックの力とバステラ神の暗黒の力が私をセルダン王子に結びつけたのです」
「なる程、それでガザヴォックは運命を逃れたわけだ」
「いや、セルダン王子に替わる新しい光の力が誕生しました。ガザヴォックと言えども宇宙の運命には逆らえない」
「新しい力だと」
「あなたも会った事があるはず」
 レリーバは少し考えてから、静かに微笑んだ。
「テイリンか、なる程これで納得がいった。セルダンとお前、ガザヴォックとテイリン。ともに戦って消滅するがいい、残る聖宝の守護者など大した事は無い。守護者を滅ぼせば守護神も無力」
「そう、すでにこの魔法戦争は終局に向けて加速しつつあります。遠からずすべての魔法は一つの場所に集結するでしょう」
「未来を感知する魔法使いの言葉だ、心しておこう。ついでに聞くが最後まで残る者は誰だ」
 ゼリッシュは笑った。
「さあ私かもしれない、あなたかもガザヴォックかも、あるいはまだ私達の知らない誰かかも」
「我々の知らない魔法使いだと、誰だ」
「奇妙な魔法使いが一人いるようなのです。最初は大した事の無い魔法使いだった者が次第に力を増して現在ソンタール領内に潜入しています」
 レリーバは思い出した。
「南の将の要塞が奪回され、魔法学校の三教頭が殺された。何者の仕業かと思っていたが、シャンダイア側に翼の神以外の魔法使いがいるのだな」
「そのようです。しかしセントーンで戦いには来ていません、おそらくまだ魔法の力が足りないのでしょう」
 レリーバは恐ろしい笑みを浮かべた。
「ならば早めに消しておくとしよう。それでそなた、これからどうする」
「セルダン王子に会って私の戦いに決着をつけます」
「なる程、ならば私も私の戦いをしよう」
 レリーバは両手を広げると、呪文を唱え出した。町中の猫がけたたましく鳴き出した。
「さあ鳴くがよい、気高き生き物達よ。そして人間の心を苛み、弱らせるのだ」
 次にレリーバは手近の木に液体を振りかけて火をつけた。煙は地を這うように町中に広がり、やがて煙にまかれた家々から悲鳴があがった。
「咲くがいい炎という名の毒の花、死の煙に巻かれて狂うがいい人間ども」
 ゼリッシュは肩をすくめた。
「これは恐ろしい、一人でこの大都市を壊滅させる気ですか」
「まさか、人が多過ぎる。これから西の門に向かい、キルティア様を城内に入れる。大混乱になるぞ、そなたの使命を早く果たすがいい」
「ご心配なく、私とセルダン王子の戦いはここでは出来ませんから」
 そう言うとゼリッシュは城に向かって連なる屋根の上を走り出した。

 レリーバは石が敷き詰められた街路に飛び降りると、西の門に向かって歩き出した。やがてその周りを守るようにマーバルが加わり、魔女に率いられた山猫の群は西の門を守る兵をあっという間に蹴散らした。レリーバが門を開く巨大な滑車を細い腕で苦も無く回すと、巨大な第一の門が開いた。その先に外壁の城門がある、エルセントの守備兵達がレリーバの前に立ち塞がったが、魔法で引き裂かれるように倒された。やがて第二の城門が地響きと共に開くと、その向こうにすべての猫の始祖デッサが立っていた。レリーバはデッサを見上げた。
「もうここに用は無い、後はキルティア様にまかせる」
 そう言うとデッサの背中に飛び乗った。そして山猫の群にも意志を伝えると、デッサとマーバルの群れはエルセントの西の門を後にして走り出した。デッサが尋ねた。
(どこに行くのレリーバ)
「黒い冠の魔法使いに会った」
(どんな者だった)
「恐ろしい魔法使いだ、彼はセルダン王子と戦う。闇と光の運命が戦う時、後に残るのは魔法の死」
(デヘナルテね)
「もう一対、魔法を滅ぼす戦いがある」
(そうガザヴォックがいる、相手は誰)
「テイリンだ、テイリンを探す。彼こそがアイシム神の魔法使いだった」
(ならば探しましょう、どにいると思う)
「彼は北国の子だ。ここにいないならランスタイン山脈のどこかにいる」
 こうしてデッサ、マーバル、レリーバはエルセントの戦場を去った。
 レリーバ離脱の知らせを受けた東の将キルティアは気にとめなかった。そして濃紺の鎧の軍団を西の門の前に進めた。すると開いた城門の向こうで、馬に跨った赤いマントの男が待っていた。男はキルティアに向けてカツカツと馬を進めて言った。
「やれやれ、来る錚々に戦場に狩り出された。君が東の将キルティアか」
 キルティアは舌なめずりをしながら答えた。
「ほう、トラゼール城のゼリドル王子に続いて、また美しい男が私の相手をしてくれるようだね」
 赤いマントの男は細身の剣を抜くと目の前に持ち上げて閃かせた。
「カインザーのレド・クライバーだ、あなたと戦えて光栄だよ。他のカインザー貴族達が知ったら悔しがるだろう」
「紅の男爵か、これは楽しみ。ならば行くよ」
 キルティアのかけ声と共に東の将の軍勢が西の門に殺到した。クライバーは剣を二三回振り回すと馬を返して、第一と第二の城壁の間に駆け込んだ。そこにバンドンの指揮する部隊が待ち構えていた。クライバーは軽い鎧を不格好に身に着けたバンドンに文句を言った。
「気がすすまないなあ、せっかくキルティアと戦えるのに。せめて一騎打ちくらいさせてくれよ」
「文句を言いなさんな、あっちとこっちじゃ兵力が違い過ぎる、まともに戦うわけにはいかない」
 そう言って元山賊の頭は兵に指示を下した。しばらくの間激しい戦闘が続いたが、バンドンの応急の罠と城壁を利用した作戦に翻弄された東の将は城門を壊すと、夜間の侵入をやめて一旦兵を引いた。
 バンドンは壊れた門の残骸を蹴りながら言った。
「明日、来るぜ」
 クライバーもうなずいた。
「ああ、明日が正念場だ」

 エルガデール城は騒然としていた、ついに西の城門が破られたとの報告が入ったのだ。西の城壁にクライバーを向かわせたセルダンは、ベリックとアントンに南の城壁の守備を頼んだ。
「ベリック頼む、両方から侵入されたらとても保たない」
 成長期のベリックは頼もしげに答えた。
「わかった、まかせて」
 セルダンは次にブライスの肩を叩いた。
「ブライス、一緒に来てくれ」
「どこに行く」
「港だ、そこが一番危ない」
「海軍が上陸してくるのか」
「いや兵隊じゃない。怪物か、魔法使いかどちらかが来る」
 その時、二人の前に黒い衣の男がどこからともなく現れた。その男の姿を見た時、セルダンとブライスはかつてこれと同じ感覚を味わった事を思い出した。ブライスが言った。
「黒い盾の魔法使いゾノボートの時がこんな感じだったな」
「ああ、でも危ない感じは比較にならない」
 黒い衣の男は微笑んだ。
「私が黒い冠をあずかる魔法使いだ。さあセルダン王子、我々の運命に決着をつけよう」

 ・・・・・・・・・・

 エルセントの北、キルティア軍の後方にトラゼール城の兵を率いて布陣していた大魔術師マルヴェスターは、エルセントの上空に漂う妖気に気が付いて舌打ちした。
「やられた。レリーバか黒い冠の魔法使いか、あるいはその両方に侵入された」
 マルヴェスターは軍勢の野営地を見渡した。
(さりとて、ここをこのままにしておくわけにはいかん)
 トラゼール城の兵は辛抱強く勇敢だったが、守りの戦いが得意で、キルティア相手の野戦を戦いきる能力は無かった。しかもゼリドル王子、ベルガー子爵と二人の指揮官を失った軍勢はマルヴェスターの懸命の指揮で、この場にとどまっている状態だったのだ。その時、エルセントの方角で戦いの声があがった。
「始まったか」
 マルヴェスターは北の空に目を移した。
(急いでくれロッティ、お前の軍団が間に合わなければエルセントはおしまいだ)

 (第三十四章に続く

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