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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第五十七章 化転

福田弘生

 

 メド・ラザードの毒を浴びたデッサは苦しそうにもがいて倒れた。そしてまるで消えゆくかのように全身の色を失って息絶えた。
 ミリアが口に手を当てて小さく悲鳴を上げた。
「まさか、太古の獣がこんなにあっけなく」
 ジェ・ダンが唸った。
(さすがに最強の魔女メド・ラザードの毒だという事だ、さて妙な感じがしてきたぞ)
「妙な感じって」
(魔法が消えていく)
 ミリアの目の前でエイトリ神がゆらめいて消えた。
「エイトリ様」
(大丈夫だ、エイトリは生き物ではない、存在なのだ。宇宙の均衡を保つために秤の魔法で復活させる事が出来るはずだ)
 そばにいたテイリンが肩を落として大きく息をした。
「ガザヴォックの圧力が消えました」
 マコーキンもうなずいた、ミリアもホッとため息をついた。
「そうね、取りあえず光の魔法も闇の魔法も消えたわけね」
 タルミの里に乾いた静けさが降りた。暴風の中で守り抜かれた炎のように、レリーバ達とアタルス達の魂が六角形の魔方陣の上でゆらめいている。ミリアは魔方陣の中心に立った。
「私の魔法は翼の魔法、光と闇の魔法が消えても働くはず」
 ミリアは六人の魂の肩に順に触れていった。すると六人の魂の両肩から小さな白い翼が生えた。
「行きなさい未来へ、そしてまた会いましょう」
 レリーバだったカリバはアタルスであったペテアロスと、キリバはポスタルであったランドリムと、エリバはタスカルであったロンザムと手を繋ぎ、ほほ笑みながら空に舞い上がった。やがてその白い姿が空の青に溶けて消えると、見送るミリアの瞳に大粒の涙があふれた。
「いつか必ず会いましょう」
 ミリアの肩にマコーキンが手を置いた、そのぬくもりに励まされるようにミリアは振り返ってテイリンに言った。
「さあ魔法を呼び戻すわ、この大地の毒への耐性を付けるために、さっきの井戸の水を飲んで」
 テイリンは自らが再生させたタルミの里の水を飲んだ、そして言った。
「どうして黒い冠の魔法使いはこの水の味を知っていたのでしょう、そして私に教えたのでしょう」
「たぶん昔からこの土地のに興味があったのね。冠の魔法使いは予知に近い力を持っているから、あなたにそれが必要だと思ったのよ」
「でもなぜ協力してくれたんだろう」
「わからないわ」
 ミリアは首を振ると、マコーキンと向き合って両手を繋いだ。やがて二人の周りの大地に円形の光の輪が現れた。ミリアとマコーキンはテイリンを招くと、まるで子供を守るかのように両手の輪の中に入れた。テイリンと大地から光と闇の粒が舞い上がった。ミリアとマコーキンは繋いだ両手を上に上げ、その魔法の粒をタルミの里全体に放った。
 清々しい風が吹いてきた、そして大地がうっすらと輝き、エイトリ神が出現した。白髪長髭の神は微笑んだ。
「おお、これがミセルネルか、いい気分だ」
 ジェ・ダンが嬉しそうに飛び回った。
(貴重だ、重要だ、この里のすべてが素晴らしい情報だ)
 テイリンが尋ねた。
「何かいままでと違うところがあるのですか」
(光と闇の均衡がとれているのだ、光の活力と闇の平安が程良く大気の中に混じっている)
 魔法使い達の様子をうかがっていたマーバルの群れがデッサの死体に近付いた、そしてリーダーのチャガが嬉しそうに叫んだ。
(デッサ様の色が戻っている)
 ミリアがうなずいた。
「毒が浄化されたのよ」
 倒れているデッサが大きく血を吐き、雪を広々と朱に染めた。
(デッサ様が生き返った)
 デッサが弱々しく言った。
(だけどお腹の中がボロボロよ)
 ミリアがテイリンに叫んだ。
「あなたの出番よ」
 デッサがまた大きく血を吐いた。
(もう駄目よ、テイリンの治癒の力にも限界がある。それにもう私の体の中の魔法は消えている。テイリン、ゾックを呼んで。私の血そのものが、始祖の生き物の力であるはず)
 テイリンはうなずいて西の洞窟に向けて心の声を放った。すると洞窟の中の闇がざわめき、ゾックが溢れ出すと飛び跳ねながらやって来た。ゾック達はピョンピョンとやって来ると、テイリンの指示に従ってデッサが吐いた赤い血が染み込んだ雪の中を歩いた。そして最後にテイリン自身が赤い雪の中に立った、ミリアが尋ねた。
「何をしたの」
(来るべき種族のために)
 デッサが弱々しく言って息が静かになった。マーバルの群れが母なる巨獣を取り囲んで、太古の猫は安らかに眠った。
 ミリアがテイリンに尋ねた。
「何が起きたの」
「獣達がゾックに何かを与えようとしているんです、私も彼らの血の中を通ればそれが何かがわかる」
「それでゾックはどうなったの」
 その時、ゾックの一体が近付いてきて、首の周りに巻いてあるマフラーのようなぼろきれを下した。小さな鬼の顔に赤みが差し、その瞳には明るい光があった。
「テイリン様、ゾックからご挨拶を申しあげます、我ら皆、昔からあなたに感謝しておりました」
 テイリンはにっこりとほほ笑んだ。
「ありがとう、デッサの血は君達に個性と知性、そして言葉を与えたんだね」
 ミリアが腕を組んで唸った。
「たいへんな事ね、それでこの後どうするつもり」
「どうも私のセントーンでの役割は終わったような気がするんです。だから一度ランスタイン山脈の北のゾックの里に戻ります。今あの里にいるゾックの牝達には子供が生まれようとしています。そして今ここにいるゾック達との間には個性を持った子供達が生まれてくるはずです」
 狼ルフーの長レイユルーがテイリンに近付いた。
(私達も一緒に戻ります)
 テイリンが言った。
「ミリア様とマコーキン様は敵味方でしょうが、戦いの決着がどうなろうとも、御二方ともご無事で」
「わかったわ」
 ゾックはテイリンの手の一振りで隊列を整えると、羽ばたきの音をたてて北の空に飛び立った。その後を追うようにルフーの群れが走り出し、テイリンも雪の中を走って去って行った。
 ミリアは山猫マーバルに目をやった。
「あなた達は」
 リーダー、チャガが答えた。
(レリーバ様とデッサの母無き今、ティズリ様がわれらが主。私達は南に行きますがその前にお願いがあります)
 そう言ってチャガはデッサの体をなめた、ミリアはうなずいた。
「わかったわ」
 ミリアはマコーキンと手を繋ぐとデッサの巨大な死体に向けて手を振った。太古の猫の体は転げるように森の中に移動し、その上を雪が覆った。それを見届けたマーバル達は南に向けて去って行った。
 次にエイトリ神が口を開いた。
「私はミルトラの元へ行こう、今の彼女には助けが必要だ」
 そう言って神の姿は薄れ、神々の領域に消えた。その後を追うように、六つ星のてんとう虫ジェ・ダンが飛び回った。
(わしは塔に戻りたいのだが、さてこの寒さの中を飛んでいけるかどうか)
 そこにバルトールの暗殺者イサシが、主を失ったアタルス達の馬を見付けて引いて来た。
「ずいぶん寂しくなりましたね。私はセントーンに戻りますよ、まだ仕事があるんでね」
 ミリアは腕を組んでウィンクした。
「また会いそうね」
「それは勘弁してください」
 その会話の隙にジェ・ダンはイサシの服の隙間にこっそりと潜り込んだ。イサシは気付かずに馬で立ち去った。
 タルミの里の広場にはミリアとマコーキンの二人が残った。二人は何も言わずに融合して鳥の姿になり、金と銀の翼の鳥は翼を拡げてセントーンに向かった。

 遠く、グラン・エルバ・ソンタールの部屋の中で、大魔法使いガザヴォックはデッサのくびきの鎖を引き寄せた。それはチャラチャラと手の中に収まった。
(さて、黒の巻物は取り戻したが、レリーバの魂とデッサを失ってしまった)
 老魔法使いは険しい顔で考え込んだ。

 ガザヴォックの魂の魔法の中にメド・ラザードが隔離した部屋の中で、ハイ・レイヴォンとティズリはタルミの里での出来事を見終わった。ハイ・レイヴォンはティズリを見上げた。
「すべては終わったね、君の母上は巻物を手に入れたが、ガザヴォックはレリーバの魂を逃した。さて、また会おう」
 そう言ってソンタールの皇帝は消えた。ティズリがふと我にかえると、タルミの里の広場を見降ろす崖の上の雪の中にいた。さっきまで魔法の中で見ていた景色がそこにある。手の中には黒い秘宝の巻物があったが、巻物には前の持ち主レリーバの魂がこもっていなかった。
 ティズリは巻物を抱えて雪の中を歩きだした。いつの間にか森の中からマーバルが走り出てティズリの後に従った。

 やがて誰もいなくなったタルミの里に、再び雪が降り始めた。

 (第五十八章に続く


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