うちの課長は最先端。

7.顧客監査で最先端! 《後編》

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「顧客の情報が来ました。今転送します」

A子と須賀課長が頷く。

星井主任、この件を放置する気かと思ってたから、反動で感激しちまった。

だめですよ、情報はちゃんと最初に出してくれないと。あなたのお客さんでしょうが。

特に、いままでベールに包まれていたお客さんのお客さんのこと。

「本社欧州、オーナーが中国。なんつーややこしい話だ」

須賀課長は苦い顔しきりだ。

海外のお客さん、大手になるとこういうことがよくある。

海を越えて買収とか、経営統合とか。

「海外規格の要求が多かった理由も、これでつじつまが合いましたね」

俺も半分くらいはすっきりした。

しかし、例の増設要求にどう対応するべきかは、見えてこない。

「ねぇねぇ、やっぱり何回試算しても、ぎりぎり増設いらない気がするの」

これがいっそ、『やっぱり増設しなきゃダメ』だったら、こんなに迷わずに済むのにぃ。

「いいですか、整理してみましょう」

俺はひっぱって来たホワイトボードにまとめていく。

まず、

「増設要求自体は正当で、合理的な要求である」

これ。エンドユーザーの生産ラインを止めるような事態に至ると、賠償問題になるため。ちょっと今月分は少ないんですけど、では済まされないのだ。

次、

「しかし、商談中の要求数量は、余裕を入れても現状ラインでまかない切れる」

これはA子の試算。ラインにトラブルが起きても、最終的にはお客が要求する量にマッチする可能性、大。

ただし、お客さんに交渉なり、説明なりが必要。要求に逆らうわけだから、当然だよね。

悪魔のささやきと呼びたい。

「そういうわけで、問題は二つ目の方ですね」

A子も須賀課長もそこには同意のようだ。黙って頷いてくれる。

「あのね」

A子が立ち上がった。

両手を胸の前で組んでお願いのポーズだ。

「ここで、無駄な投資をかわせました、ってなるのがゴールなの」

須賀課長が熱心に頷く。

「今の会社の方針は、既製品の拡充じゃなくて、新規開発製品にどれだけ注力できるか、なの。展示会の時お話したよね。役員さんが、部内へのその考えの浸透をわたしに託しているの」

そうだ。

彼女は終始一貫、自分の使命に対して忠実に動いてるんだ。

さすがロボット、やることにブレがないぜ。

「今回は既製品の後継機種だから新規開発じゃないけれど、設備の補修なりの手を使ったとしても、お金は開発費から回しちゃうんだよね? 」

俺の心を幻惑するかのように目をチカチカ光らせて、A子がこちらにずいっと寄って来た。

「そ、そのつもりです」

彼女はぷいっと回れ右し、背中越しに言った。

「その費用はセーブできるといいな」

俺は、だんだん自分の考えに自信がなくなってきた。

俺たちは営業部の一員だ。技術部門にゃ悪いが、まずはお客さんの声を聞く。

しかし同時に営業どっぷりじゃだめだ。あくまで社内においては、技術と営業の橋渡し的に動くべきだ。

お客さんにべったりは星井主任に任せるべきで、ここはA子の方針が正しいのかもしれない。

それに、今回のお客だけが客じゃないんだ。製造グループリーダーも言ってた。


目の前の、最先端の粋はささやく。

旧套を脱して前進すべし、と。


************


「雷ちゃん元気~? A子ちゃんとラブラブしてるぅ? 」

ホテルの狭い部屋に、パソコンの無料通話ソフトからの野太い声がこだまする。

俺は慌ててヘッドセットをつないで黙らせた。

「部屋、隣ですから。今の聞こえたかもしれない。聴力については未知数だし」

向こう側で爆笑する星井主任。勘弁してください、ホント。

「いろいろ頑張ってくれてるみたいで、ありがとうねぇ」

優しい声音だが、ビデオ上ではプロレスラーみたいなのが映ってる。

「厄介な宿題、押し付けてくれましたね。大変ですよ、このお客さん」

「僕たち前線営業の苦労も、ちょっとはお分かりいただけたようねぇ」

こっちの憎まれ口もソフトに切り返すあたり、確信犯としか言いようがない。

星井主任から離れて久しい本社の近況を聞き出し、二、三別件をやりとりしたあとで、さあ本題ですよ。

「このお客さんのくれる開発費から、工場の設備補修費を出してもいいんですか? 」

「当然オッケーよ。受注が全てよ。受注が」

基本方針はよし。

問題はうちの課長だ。

「お客の要求で、つっぱねてもいいのってあるんですか? 」

しばし考え中のジェスチャー。ワザとじゃなくて、本当に考えてるっぽい。

「それはやっぱマズイよね。無い」

俺は、ちょっと疲れてたのかもしんない。

いつもは腹に一物同士で、手の内は見せ合わないのが暗黙のルールなんだけど、今回ばかりは。俺の実力不足でした。

「実はうちの課長が」

俺はつぶさに、一部始終を報告する。うん、そうだ。これは『報告』なんだ。

ウン、ウンと、子どもの話を聞くパパみたいな相槌を打ちながら、ビデオのプロレスラーは優しく微笑む。

「そかー。A子ちゃん、やるなぁ」

なぜか感心しきりの星井主任。

いや、感心してちゃダメでしょ。あなたのお客が怒っちゃうかもしれないのに。

「研開の本能なのかな、自分の古巣を守ろうとしちゃうんだね」

いや、動物の帰巣本能じゃあるまいし。

「よし。可愛い雷ちゃんのために、おじさんも久々に本気出しちゃうよ」

「あ、ありがとうございます」

俺は内容も聞かずに礼を言った。ショボいネタだったらどうしよう。

いや、前言撤回。

星井主任の作戦は、キラリと光る妙案だった。


お客の宿題に対し、よそはここまでやらないだろうと言った情報量を出す。

百パーセントの要求に対し、二百パーセントの回答を見せる。

ただし、費用はかからないように。

「名付けて、『攻撃は最大の防御』作戦」

そして、この作戦の最終目的が素晴らしい。

「お客さんが、工場に二回目の監査に来る必要なくなるように仕向けるのだ」

「な、なるほど。そうすればラインを見られることもない」

最悪、『増設はしました』とうそぶいても、見られなきゃバレない。これは最後の手段だけど。

きわどい気もするが、工場にとってお客さんの監査が来ないってのは、かなりの負担減なんだよ。

「でもねぇ、雷ちゃん。この作戦、雷ちゃんが一番大変よ。この書類集めとか、A子ちゃんと雷ちゃんで頑張ってるんでしょ」

「あと、須賀課長も手伝ってくれてますよ」

「須賀っ」

プロレスラーは、突如プロレスラーの面魂に戻った。

びっくりしてビールこぼしちまった。

「何やってんの、須賀。まだそこにいるの」

星井主任が露骨に嫌な顔をする。それは結構珍しいことだ。ここまで嫌がるなんて。俺も彼も人を批評することはあっても、それは好き嫌いじゃないからね。

「ヤツ、今回の試作設計、ミスってんのよ」

俺は息をのむ。

「本人はのほほんとしてるけど、僕、陰では帳尻合わせで必死だと見てるね。んまぁ本社に呼び戻されて査問されてると思いきや、あ、そう。まだ工場にいるの」

しまった。

俺の中で点と点がつながって線になり、黒いシルエットが露わになってゆく。

最初から俺たちは、須賀課長の掌の上で踊らされていたんだ。

俺は頭の中の営業の部分が反発して洗脳されきっていないが、A子は元研開だけあって、どっぷりだ。

遅かった。

「絵が見えたようだね」

星井主任の声に我に返る。

「説得します」


二段構えだ。

工場監査は回避したうえで、増設は、やるしかない。


「できるかしら。彼女の頭のコンピューターが試算して不要と判定したら、実際増設は不要なんじゃない。数字上はね」

まるでやりとりを見ていたかのように言う。

だめだ。もう時間がない。

やってはいけないことを、やるしかないのだろうか。

「いざって時は俺が」

課長にダマ、で。

「雷ちゃん」

パソコンの向こうの星井主任が、真剣な顔でつぶやく。

「同じ営業部だからね。A子ちゃんもね」

最後の一言は、何にもましての救いの言葉だった。

「ありがとうございます」

我ながら情けない声だった。

俺は最先端には、ほど遠い人材だよ。


***************


「皆さん、こう言っちゃなんだが、いい知らせです」

久々の幹部会議だ。和久井工場長が、ホント嬉しそうな顔でもったいぶる。

「顧客、工場は監査せずに本社だけに行くらしい」

工場幹部たちの、歓声、笑い声。

本社の人間としては、なんだか肩身が狭いけど、俺とA子に向けられた彼らの表情は、感謝で満ち満ちている。

あの星井主任とのやりとりの後、俺はそりゃあもういつもの三倍は動いたよ。速さじゃないよ。

本社、工場、外部、サプライヤー、認証機関。

いろんなところと情報をやり取りし、できた書類はそりゃもう。

ちなみに、この客に次も同じ情報のクオリティで要求されるんじゃ、ってご心配の方。

ピンポンピンポン。俺もそう思います。

それでも俺たちは、受注の可能性が上がる道を選ぶのさ。辛いね。

でも、良かった。まだちょっと早いかもしれないけど、新任課長阿久戸A子の出張は、間違いなく評価を得られる成果を出した。

「残件は一件だけ、例の増設の件です」

和久井工場長が俺を見る。

「課長から既に方針は預かっていますが、営業サイドからの情報が、ちょっとまだ」

俺は不自然にならないよう、精いっぱいお茶を濁す。

A子も、そうなんだぁ、って顔で納得している。

「葉室ぉ、阿久戸課長の足引っ張ってんじゃないよ」

「水差すなよぉ」

幹部連中がため息混じりに俺をいじる。

しかしそれでも笑顔は絶えない。

それぐらい、監査の回避は精神的負荷の軽減がでかいんだ。

「お名残り惜しいですが、本来の目的が達成される目途もつき、出張は早期に完了とするつもりです」

A子が幹部に向け、丁寧に頭を下げる。

上がる落胆の声、それに続く拍手。

ちょっぴり社交辞令かもしれないけど、こういうのは大事だし、嬉しいよね。

「ちょうど週末だし、ここの広間で送別会といきましょう」

和久井工場長の音頭に、幹部たちが異議なしを唱える。

A子も頭をかいたり口元を手で覆ったり、テレテレのポーズだ。


「これ、皿鉢(さわち)と言います」

バカでかい皿に、きれいに土地の名産が盛り付けられて、次々と出て来る。

「俺ん時、こんなに皿出てこなかったっす」

「お前と阿久戸さんを同じにはできんわい」

みんな爆笑。い、いいですよ。俺を肴に盛り上がってください。

でも、残念なことに、A子は食事は食べられない。部下の俺が代わって食べちゃうもんね。

「いい飲みっぷりじゃ。こっちもどうぞ」

「ありがとうございます」

笑顔で盃を受け、ぱかぱかあけていくA子。

見事な飲みっぷりだ。

「大丈夫なんですか」

「液体はノープロブレム。炭化水素は内蔵電池に混ぜられるから歓迎」

その仕組みはよくわからないが、ザルであることはよくわかった。

最先端の鯨飲娘だ。


俺は頃合いを見て設備リーダーに声を掛ける。

「例の増設の件です」

「おう、あれ、結局どうすんの」

ちょうどいい。経理リーダーも話を小耳に挟んで近くに来た。

「もうちょっと引っ張れますか」

「いいけど、そろそろリミットだよ」

この白髪親父は、実は全てお見通しなんじゃなかろうか。

その証拠に、こう言い残して去っていった。

「やってもどのみち無駄にはせんから」


そしてもうお一人挨拶せにゃならんお人がいる。

「須賀課長、本社でお会いしましょう」

「お、おう」

目が泳いでる。

俺はあなたが嫌いじゃない。

自分に利するように、同じ研開出身のA子をちょくちょくたき付けたのは憎むべき行為だが、あなたは結末を見てそれ以上に俺のことを憎むはずだ。

運が悪かったんだろうよ、お互いに。


悲しいけどこれ、ビジネスなのよ、ね。


**************


「来るぜ、チャイナなマダムが」

星井主任がマジメぶる。

後ろに続く、お客さんたち。

すごいね、オフィスに入った瞬間から張りつめた空気を振りまいてるよ。

側近さんともども、見るからに仕事できそうなオーラが出てる。

応接兼会議室に、役員さん、一課長と星井主任、A子と俺の五人でマダムたちに相対した。

「それでは初めさせていただきます」

星井主任、挨拶の声が微妙に震えてる。

彼の緊張した様子は初めてってほどじゃないが、超レアだ。

「よろしく。今回は早め早めでご対応いただき感謝しております」

マダムと側近さんが、その日本語での挨拶と同時に早速口火を切る。

なんて優秀なんだ。よく聞く表現だけど、『日本人より日本語お上手』ってやつだよ。

今まで出してた書類は、おおむね合格だったらしい。わずかな修正点はあれど、お叱りを受けるに至るような事態は皆無だった。

そして項目はついにくだんの増設の件に差し掛かった。

「冗長性の確保をお求めとの事」

A子が口を開きかけるのが、空気を伝わって俺にはわかった。

口の中が苦い。

切るぜ、カード。切りたくないけど。

「ご要望にお応えさせていただきます」

のうのうとぬかした俺に、唖然とするA子。そりゃそうだわな。

「前例はありませんが、御社の製品の重要性を考え、社内で慎重に検討した結果、増設対応とさせていただくことに決定しました」

「おお」

ここに来て初めて見る、マダムの笑顔。そして少し伏し目がちになる。

「感謝します。御社が真剣に取引を考えてくれていることがよくわかりました。しかし、御社に利益が出ますか? 出なければ無理せず、増設は次回からでも良かった。ね」

側近を見回すマダム。頷く側近。

急に態度が柔らかくなるお客さんたち。それはとりもなおさず、A子の試算の通りこの増設要求は、『ちょっと無理言いすぎちゃったかしら、ゴメンね』レベルであったことを裏付けていた。

無用の負担を無償でサプライヤーに掛けさせた気分は、決して良いものではないのだろうよ。

このお客さんの負い目を手掛かり足掛かりに、一課は今後のうまいビジネスを引き出していくことだろう。

負けるが勝ちのこの勝負、見事に勝った。


星井主任は会食の案内のため、マダムたちを連れて早々に退出した。

あとに残った面々に、不気味な沈黙が流れる。

「どういうこと」

初めて聞く、A子の怒った声。

喜怒哀楽のうち、今までお目にかかっていなかった希少な一面。

「申し訳ありません、最終的な結論はこの通りに」

「聞いてないよっ」

テーブルをぱしんと叩く。

A子のこんなリアクション、初めて見る。

そして二度と見たくない。

久々に言っていいですか? 

うちの課長は最先端。

研開のみなさん。喜怒哀楽のうち、最もサンプリングが難しかった『怒』、いかんなく発動されることを確認いたしました。

怒った顔も可愛く……いや、怖いです。

「一課ですが、設備投資分の回収は可能です。今回とは別の客から、取れる手筈になっている。それに増設した設備を当てに営業したいターゲットも既にあります。無駄にはなりません」

無言の役員さんに対し、よりによって援護をしてくれているのは一課長だった。

A子は地団太踏んで悔しがってる。

「阿久戸課長」

「うはうっ」

A子は怒りのあまり、吠えるように返事をした。

「課長のドキュメンテーション・エンジニアリングへの対応力には、感服した。工場から感謝の一報が来ている。いままでにはないことだ」

役員さんの声は優しい。

懸案事項はひと段落とばかりに、彼は笑って席を立つ。

「今回のところは葉室が先走ったが、我々もフォローしますから、あまり叱らないでやってください」

役員さん自らに名指しでケツを拭かれるヒラの俺。気分は最低だ。

去り際に一課長が、俺の肩を叩く。

そして耳打ちした一言が、俺をさらなるどん底に突き落としたんだ。

「葉室、所詮ロボットなんだ。気にするな」


「葉室くんは『わかりました』って言ったよね。増設しないでいいって言ったよね、わたし。ちゃんと聞いてたよね」

自販機裏の簡易ミーティングコーナーに引っ張り込まれ、俺は早速A子にお説教される。

「わたし、ちゃんと試算の根拠も見せたよねっ。葉室くんはあの時あの時ー。葉室くん? 葉室くん、大丈夫? 」

壁に頭をへばりつけて、無言になった俺に気づき、お説教は心配げな慰めに変わる。


さすがだ。うちの課長は最先端。

激怒りモードの真っ最中でも、インタラクティブに部下の感情を察してくれるのね。


「葉室くん、わたしもう怒ってないよ。私が研開研開言ってたから、言いにくかったんだね。そうだよね。ごめんね、泣かないで」


背中に当たる最先端の優しい手と言葉が災いして、俺は壁に向かって体を震わせたまま、当分振り向くことができそうになかった。

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