うちの課長は最先端。
8.社長賞で最先端!
本社のある雑居ビル。
その大広間のあるフロアで、我らが有栖川モーター社の、社長賞授与式が執り行われようとしていた。
やる気のある社員は、これが出世への第一関門ということもあるので重く受け止めているよ。金一封も出るしね。課税対象だけど。
「葉室くん、どうしたの。ぼんやりしちゃって」
「はあ」
隣の油井係長が心配してくれてる。
それぐらい、今の俺はほうけたツラしてたんだろう。
無理もない。
あのご立腹の一件以来、A子と俺の関係は、ちとギクシャクしちまった。
もちろん悪いのは俺の方だ。課長に対する背信行為。
いかに多くのものを天秤にかけた結果とはいえ、だ。
「課長が出てきたよ。ほらほら」
油井課長に促され、課員一同も盛大に拍手を送る。
そう、我らが最先端課長は、新規大口案件受注の功績を評価され、晴れて社長賞をゲットしたのだ。
社長賞ってのは、もらえる条件に他の部署の推挙ってのがある。
一瞬、展示会で大盆会長の覚えがめでたく、乱原支店長が推してくれたのかと思ったけど、対象の業績に書かれた文言を見るに。
「一課長は、ああ見えて義理堅いんだわ」
油井係長がぼそっと推挙者を持ち上げる。
意外や意外、ロボット課長反対派の急先鋒が、敵に塩を送ってきた感じか。
「ロボットは作業だけでなく、管理工程においてもそのコンセプトの導入が可能であることを示すことができました。この成果を足掛かりに、今後は」
社長の話を理解できているのかどうかは怪しいが、壇上でテレテレしているA子。
そうか。ついに世の中こんなところまできたか。
製品が自力で頑張って社長賞を取る。それもガチで要件満たして。
前代未聞だよ。世界初じゃないの。
こりゃもう認めざるを得ないね。うちの会社は最先端、だよ。
しかしこうして社長に感状渡されてるA子を見てると、母娘のようで微笑ましい風景だぜ。
「課長~! 」
課員が調子に乗って、厳粛な空気を混ぜ返す。
カチコチに緊張していたA子も、それに応えて会場に向いた。
胸に手を当て背をそらす。
そしてすぐにシャキッと、元の姿勢正しい立ち姿に戻った。
「いいね」
「できるじゃないか、ロボ課長」
会場に上がる、好意的な声。
実績を出したものは必ず認めてくれる、わが社の実力主義の風潮。それはA子には追い風になったようだな。よかったよ、ほんと。
式が終わって別室の、簡素な立食パーティで社員はみなお互いをねぎらい合う。
これは社内のコミュニケーションが主な目的で、社長も交えて無礼講の雰囲気だ。
「あの子を助けてあげて頂戴ね」
「はっ」
「命に代えましても」
あんまし油井係長が大げさなこと言うもんだから、社長、笑っちゃってるじゃん。
「久々に社長に声かけられましたね」
「ご多忙の身だ。畏れ多い」
うちの社長は下々にまで目も気も配る、よそじゃ見られんできた経営者だ。
監視してるだけ? 誰だ、そんな無粋なこと言うやつは。
「課長、二次会お出でになりませんか」
「ごめんね、遅くまでは、ちょっと」
「こらこら、無理を言っちゃいかん。例の店に集合だ。営業二課の女の子たち、そこが二次会らしい」
「係長、さっすがー」
なんてできる係長なんだ。
よし、ここのところのモヤモヤを、今日はパーッと晴らしちゃうよ。
「葉室くん、ちょっと」
誰だ、おれの袖を引くやつは。
「後でお話が」
それは、ちょっぴり険しい顔をしたA子課長だった。
「は、はひ、わかりました」
思わず緊張して、ギクシャクしながら後についていく俺。
油井係長は課員を引き連れ、反対方向に退散してゆく。
ああ、俺だけお説教なんだろうか。
「今から、時間あるかな」
真面目な顔で詰め寄るA子。
花金ですぜ、これから仕事? ところで花金って言う? 言わない? 花の金曜日ってことだよ。
「特に予定はありません」
「そう」
人気のない業務用通路、二人きりになったところでA子がくるりと振り向いた。
なんだ、様子がおかしいぞ。
指を胸の前で絡め、腰の一番デカイモーターで体をよじっている。
そう、言うならば『モジモジ』している。
「わたし、葉室くんについてきてほしいところがあるんだ」
社長賞を受賞したバリキャリ女上司が一転可憐な少女のように。
ロボだけど。
「わかりました」
どこへ、とか。
なんのために、とか。
そんな言葉はどうして出てこなかったんだろう。
多分、ここんとこ上手くいってない感じだったから、俺は嬉しかったんだろうと思う。
「じゃ、行こっか」
久々に見るA子の嬉しそうな笑顔につられ、俺は彼女の行くままに郊外へと移動していった。
「こ、ここは」
移転してから一度も足を運んだことが無かった、わが社のラボだ。
プレハブじゃねーか。
前はかなり大層な建物だったのに。あれ、売却したんだっけ。
「本当は、営業を連れてきちゃダメってお父さんに言われてたんだけど」
お父さん。
いや、ちょっと待った。これ、『娘さんを俺にくださいっ』みたいなシーンが脳裏に膨らみまくって大変なんですけど。
俺が心中の妄想に翻弄される間も、A子はセキュリティを解除してスタスタ先へ進んでゆく。
勝手知ったる、いや、研開だから自分の家だな。
「ただいま」
引き戸を手で開け、彼女は中の白衣に笑顔で帰宅のごあいさつした。
「やあ、お客さんかい」
ちょっと痩せてるけど、すらっと長身、長髪に黒縁メガネ。
絵にかいたような研究者だね。ハカセって呼んじゃうよ。
「商品企画の葉室くんなの」
「商品……営業かっ」
ハカセの顔に走る緊張。身構え、俺に険しい目を向ける。
そう、営業と研開は、犬猿の仲だ。
前も言ったかもしれないんですけど、最前線と最後方といいますか、営業にとっては『お前らが変なもん作ったときの苦情を、俺らが一手に引き受けてるんだぞ』ってのがありまして。
でも、研究者さんもノーベル賞取って海外大学の教授になって、位人身極めてるのに旧怨失せずに『原動力はアンガァ! 』とか言うくらいなんだから、よっぽど営業のやることで嫌な思いしてるんだろうな、きっと。
「彼はわたしの右腕なの。大事な人なの」
そうか。
課長は俺のこと、右腕だと言ってくれるのか。ここんとこ凹んでたのが吹っ飛んだよ。来てヨカッタ。
「今は営業部なんだったね。そ、そういうことか。君、失礼して済まなかった」
ハカセは眼鏡をくいっと押し上げて居ずまいを正し、俺に向かって握手の手を伸ばした。この手の人は礼儀正しいよね。そういうとこには好感もってます。
「僕の名前は神村花男(かんむら・はなお)。ACT-Aの開発チームの一員だ」
「商品企画課、葉室雷です。阿久戸課長には勉強させてもらっております」
A子は握手する俺たちを見て安心したのか、着替えに奥に引っ込んでいった。
「インスタントコーヒーしかない。エスプレッソマシーンは研究に流用したら壊れた。ウラン濃縮のために」
「ぶーっ。マジですか」
マジか。ただのモーターメーカーがなんて研究に手を出してやがるっ。
「冗談だ」
うっはお茶目ぇ。
「それはさておき、課長の言うお父さんってのは、あなたのことですね。生みの親だからだ」
神村さんは静かに首を振る。あれっ。違ったのか。
「彼女にとって父親なのは」
そう言って神村さんは、壁の写真に目を向けた。
A子を挟んで神村さんと反対側に、柔和な顔の紳士が佇んでいる。
「この方、田村井(たむらい)博士だ」
「お若いですね。案外星井主任と同じくらいかも」
「営業一課の星井竜君だね。彼と田村井博士は同期だったはずだ」
若い。まさしくアラフォーだな。もっと上かと思ってた。
俺はきょろきょろプレハブラボを見回した。
田村井博士、いないな。もう帰ったよね。花金だし。
それともお休みかも。金曜有休の三連休とか。
「休みだ。永久にな」
神村さんが俺の視線を察して答えた。
すごい表現だな、それ。
「田村井博士はACT計画に身命を賭しておられたよ。しかし上層部は一向に評価してくれなかった。日の眼をみないと決めつけていたよ。もっと売れるもの作れよ、とか」
だんだん神村さんの顔が怖くなってきたぞ。具体的なトラウマだの古傷だのに近づきつつあります。
「量産品、既製品に依存することに危機感を持ち始めたのはつい最近、しかも一部の人間だけだ。幸いだったのは、その中に社長が入ってるってことさ」
ちょっと持ち直したぞ。怖い顔が普通ぐらいに戻ったよ。
しかし、神村さんは突如豹変してデスクを叩いた。
怖いっ。心臓に悪いっ。
「田村井博士は、既にいなくなった後だったけどねっ」
「そ、そうなんですか。そんなご不幸が。ご愁傷さまです。心中お察し申し上げます」
俺が精いっぱい慰めの言葉を掛けると、神村さんはハトが豆鉄砲食らったみたいな顔をして返した。
「え、死んでないよ。競合に引き抜かれちゃっただけで」
ガクーッ。なんじゃそりゃ。
俺のピュアなハートをもてあそびやがって。開発製品が完成もせんうちに引き抜かれてるんじゃねぇよ。
言うなれば、お父さん、年端もいかぬ娘を置いて夜逃げしたみたいなもんじゃねぇか。
「いや、君も言いたいことあるかもしれないけど、そりゃ引き抜かれもするって。条件良ければ」
俺、この人が第二号になると思う。
夜逃げ第二号。
神村さんは俺のジト目を避けて、A子が置いていった花束を見た。
「ふむ、そうか。今日はそう言えば、社長賞の」
「そうです。いろいろあったみたいですが、ACT-Aたる阿久戸A子課長は、ロボット課長として見事社長賞を受賞。研開としても喜ぶべき成果じゃありませんか」
マッドサイエンティスト気味の神村さんは、それを聞いて情緒が多少安定したのか、パイプ椅子にどっかり腰を落とした。
「そうか、ACT-Aが。A子って。はは」
神村さんは虚空に誰かを見出したかの如く、遠い目をして笑う。
その猫背の向こう、引き戸を引いてA子が現れた。
私服だ。
黒のニットワンピに材料地肌真っ白の肌が美しい。
「神村くん、今日は葉室くん、ここ泊めてもいいでしょ」
ええっ。いきなりお泊り。
お父さんが聞いたらブチ切れるんじゃないのかな。
「そうか、僕は土日休みだから、彼に代わりに」
「そうそう」
何やら密談するA子と神村さん。
「そういうことならば、後は若い二人に任せて年寄りは退散するとしましょう」
神村さんも意地悪いノリで含みのある文句を言い残し、花の金曜を満喫しに早々にプレハブから退散し、夜の帳へと消えていった。
で。
残された俺はどうなったかというと。
「こっちはね、モックアップの写真でね、それでね、こっちはね」
休憩室のソファで座ったまま睡魔に意識を奪われるまで、A子から思い出の古い写真のスライドやら映像やらをとっぷり見せられたのであった。
最先端のお泊り会は、A子嬉しそうだったからそれでよしとしようぜ。
********
明けての土曜。オフだ。いい天気だよ。行楽の秋だよ。
でも俺は今までない重労働を強いられている。
ここは室内レジャープール。
「なにあれ、撮影? 」
「すごーい。コスプレ? 」
プールサイドのギャルたちが、遠慮なくコメントしてくれてるように、俺はジュラルミンケースに囲まれ、汗だくで待機している。
これ全部、肩に提げて持って来たんだぜ。
え? 作業はロボットの仕事だって?
課長ですよ課長。おまけに女の子じゃん。
「葉室くん、記録ぅ」
プールから手を振るA子は紺のビキニだ。
露出した白と銀のボディに照明の光線が跳ねる。
「変化なぁし」
優秀だ。水中でも運動能力はキープ。
上がってきたA子にテスターの電極を持たせ、防水の出来も確認。
「リーク電流も問題なし。以上で浸水試験は終了です」
え? 何をしてるのかって?
「試験、今のところ順調にクリアできていますね」
「あとは高温高湿試験ね」
そう。これはメーカーが製品に対して行う、定期信頼性試験というテストなのだ。
本来は長年作っている量産品に対して、生産ラインの老朽化による製品品質の低下とかを検知するために行うものなんだけど、A子の場合はニュアンスが世間と変わって、定期健康診断と同じ意味合いになってるね。
しかしA子、水に浮いたな。ロボットって沈むイメージがあったけど。
おまけに普通にクロールで泳いだし。プールサイドの最先端、だね。
「サウナは男女別なんで、テスターもって自分で入っていただきますよ」
「えーっ。つまんない。一緒に入ろうよ」
バスタオルをひらひらさせて駄々をこねる、白銀の最先端ボディ。
「あれすごくね」
「機械みたいな音までしてる。本格的すぎ」
「あの子、メカ可愛いーっ」
すれ違う若者たちのささやきと黄色い歓声が、温水プールの熱気と相まって俺の正常な思考能力に揺さぶりをかけまくるぜ。
メカカワイイとか、若い子のボキャブラリーってほんとすごいよね。
「楽しかったねっ」
どことなく半分遊びだったかもだけど、そう露骨に言われるとびっくりするよ。
信頼性試験ですよ、試験。
「うん、楽しかったですね」
そう答えると、満面の笑みを返してくれているような気がするんだが、如何せんバスの最後列の広いとこでゆられてると、眠くなってきてしまって。
計測機器の入ったジュラルミンケースに囲まれ、俺はラボまでうつらうつらしながら、水族館のような水槽で舞う、三白眼のロボっ娘人魚の夢を見ていたのだった。
A子は、ただいまーっと元気よくプレハブに駆け込んだ。
ラボは土曜といえども、テクニシャンさんや研究者が出勤して、休みでも中断できない連続実験や研究をやっている。
「まだ項目が残ってますね。耐圧とか書いてある」
「うん」
「終わらせてしまいましょう」
今日中にすませないと、日曜までかかっちゃうよ。
そいつは勘弁。
何事か逡巡している様子だったA子が、俺をラボの奥の作業ベンチに誘った。
細い暗い廊下を過ぎて、一か所明かりのついている部屋がある。
そこから断続的に、暗がりにフラッシュが走る。
「残った項目は、あれなの」
あれ、といって指さす先には、大きな試験機が横たわっていた。
怖いな、ここでビリビリ電気ショック試験とかやるんじゃないでしょうね。
おっかなびっくり試験機を見ていて、俺はその冗談半分の予想が、当たらずとも遠からずであったことを知った。
ステージにはデバイスが固定されており、スタッフの合図で高電圧が印可されているようだ。
フラッシュとともに何かが弾けるような音が、ドア越しに響いてくる。
デバイスが破壊された音だ。
中でスタッフが笑いながら、大仰にのけぞって避ける。
まさか。
「あれは弟、妹たち」
A子がポツリとつぶやいた。
複雑な顔を見せている。
生々しいものを見た。
その弟、妹たちは、デキが悪かったから実験台で破壊試験にかけられているわけでは、ない。
そんなことしたら、量産品の品質がわからなくなるからね。
むしろ逆だ。
彼ら彼女らは品質は合格している。デキはいいんだ。
ただ単に、製品になれずに破壊試験に選ばれる、そういう運命だったんだ。
「その項目、同型機種の結果をもって同等とみなす。以上」
彼女はくるりとこちらに向き直り、俺に向かって敬礼をして見せた。
「了解しました」
俺も思わず敬礼して返す。
「お疲れさまだね、折角の土曜なのに、ごめんねだったね」
「いいえ」
楽しかった、そう言いかけて思い直す。
オフだけど、切るぜハートのこのカード。
「お手伝いができて、光栄でした」
俺は心を引き締め直した。
営業として、自社の製品が多くの裏方に支えられていることを、改めて思い知ったよ。
A子がぱぁっと明るい顔をし、俺の腕を取って引っ張った。
「コーヒー入れたげる」
暗い廊下の向こう、俺たちの先には元来た明るい世界が見える。
背後では笑い声と、最先端の粋のために生まれたばかりの命を散らす音が遠ざかってゆく。