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憑木影 (TUKIKAGE)

 ずいぶん昔の話になるんですけれど、一時期すごくピアノが好きだった時期がありました。もう二十年くらい昔になると思うんですが、とにかく暇があればピアノばかり弾いていた時期があって、ほっとけば一日4時間でも5時間でも弾きつづけていました。
何か楽譜を見て弾いたりするんじゃなくて、まるきりの即興演奏で何時間も引き続けるのはちょっとまともじゃない気もするんですが、そのときはそれが凄く楽しかったし、やっていると色々気づくこともあったわけです。
ところが突然ピアノが嫌になってしまって、全然弾かなくなりました。それからずっと後になるんですが、間章氏というもう死んでしまった音楽評論家がこういうことを書いていたのを読みました。

『およそピアノという楽器程、抑圧的な閉じた楽器は存在しない。』

ピアノが嫌になったときにはそんなことを考えていたわけじゃないんですが、そのずっと後になってああなるほどな、と思ったわけです。
小説を書くようになってかれこれ11年くらいになるんですけれど、それ以前のピアノを弾いていた時期と何か通底するものを感じるといいますか、言語を使って表現するっていうのはとても苦しいものを感じたりするわけです。上の間章氏をまねて言えば、

『およそ言語を使う表現程、抑圧的な閉じた表現は存在しない。』

これはもちろん極論なんですけれど、例えば音楽というのは一応コード進行というのはありますけど、それはまるきり無視してもいいしケージみたいに何もしないというのも一応ありだったりします。そういう意味では凄くストレートに美意識や表現衝動を現すことができるというか、その瞬間の情動に従えばいい。
それにくらべると言語での表現にはなんとも困難さを感じます。
じゃあなんで小説なんて書いているのというと、凄くつまらない理由は色々とあるけれどやっぱりなんだか「かっこいい」ものを書いてみたいというか、物語を使うことによってつきぬけられるものがあるという思いもあります。

最後にインドの作家、アルンダティ・ロイ氏の言葉で感銘を受けたものを引用します。不謹慎かもしれませんが、これもまた「かっこいい」と思ってしまいました。

『帝国を嘲笑するのです−−わたしたちの芸術と音楽と文学によって、わたしたちの頑固さと歓びと卓越と仮借なさによって、わたしたちが自分の物語を語る能力によって。』

第48号 手紙

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