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シェアドワールド:落下前

高本淳

 西暦2001年10月8日(奇しくもAnimaSolaris10月号発刊日)。とある高校の天文学同好会『ツクヨミ』のメンバーたちが定例の太陽黒点観測の最中に奇妙な黒い影を投影スクリーン上に発見した。美星スペースガードセンターに問い合わせ、新発見の小惑星であることを知らされた彼らは自分たちの幸運を喜びつつ『2001ND1』として記録されたこれを『スサノヲ』と名づけた。
 彗星核の燃え殻と思われるスサノヲは表面に多量の炭素を含み反射率が非常に小さいがために地球のすぐ近くを運動しているのにいままで発見されなかったらしい。この事実は報告を受けたスペースガードセンターの所員たちを落ち着かない思いにさせた。もしもそれが地球とほとんど重なるような軌道で太陽の周囲を公転しているとしたら互いが衝突する可能性はかなり高いはずだ。可視光線では見ることの難しい小惑星も赤外線領域なら追尾可能であると考えた彼らはヨーロッパ宇宙機関に赤外線天文衛星での観測を強く要請しその軌道要素の確定を試みた。
 果たしてスサノヲが地球に異常に接近する軌道を動いていることがわかる。判明したそれは近日点距離1億4875万km、遠日点距離2億km。軌道周期約454日でわずかに地球の軌道内側に入り込むアポロ型だった。今回の太陽面通過は近い過去、小惑星同士の相互作用によって急激に軌道要素が変わった結果であると思われ、いまや公式にも『スサノヲ』(英語圏では一般に“Susan”あるいは“Susie”)と呼ばれるようになったこの小惑星は地球衝突の可能性のきわめて高い軌道上にあった。

 警告を受けて世界中の天文学者たちが慎重にチェックした結果、やはり衝突は現実に非常に高い確率で起こり得ることが確認される。地球との会合周期は約5年であるため予想されるインパクトはつぎの接近時点である4年と2ケ月半後…おそらくは12月24日クリスマス・イブの前後と考えられた。
 スサノヲは長さ1キロ縦横700メートルほどのジャガイモ型の天体。主に氷と岩石から形成され密度を1立方センチあたり2gと仮定すると推定重量は12億トン。もし氷の大部分が高密度のアモルファスであればさらに重量は増える。これは例えばハレー彗星の核の一千億トンに比べれば問題にもならない大きさに感じられるかも知れない。しかしいざ地上に落下すればその被害は通常の自然災害の比ではないのだ。スサノヲの破壊力は1メガトン級の核爆発の一万倍をゆうに超えると予想される。インパクト予想地点はまだ確定しないから詳しく見積もることは難しいが、仮に人口密集地である陸地への直撃がないとしても、海洋に落ちた際の衝撃で発生する津波は想像を絶する規模になり、同時に海底の岩盤から巻き上げられた粉塵によって地球の気候は致命的な影響を受けるだろう。

 かくして緊急に開かれた安全保障理事会および国連総会においてスサノヲを破壊すること、あるいは衝突軌道から逸らせることの可能性が慎重に検討された。いずれにせよ国家間の連携による史上かつてない規模での共同作戦が実施されることは確実だった。アメリカの提案する核ミサイルによる彗星核迎撃と日本が提案する軌道上からのレーザー照射の二案が最終的に残り、前者が組成のはっきりしない彗星核に対しての効果が完全には予想できないのに対し、後者にはそれを見極めながら地上で照準と出力をコントロールできる利点があることによって多数の国々に支持された。加えて米政府内に自国の優れた核弾頭技術の流出を懸念する声もあり、最終的に日本案が国連決議として採択されてオペレーション『アマテラス』として同年10月末、正式にスタートすることとなった。
 計画の概要は、衛星打ち上げ技術を持った国々が一致協力して高度400キロの極軌道上に強力なレーザー発振装置を備えた衛星を建設するというもの。3万平方メートルに及ぶ巨大な太陽電池パネルを動力として総出力780メガワットで励起されたパルスレーザービームはスサノヲめがけて照射され、断熱性のダストマントルをはぎとり揮発性ガスのジェット噴射を導くことで可能なかぎり体積を減少させつつその軌道を変化させることになる。
 かくして米国のシャトル、ロシアのプロトンをはじめ、ヨーロッパのアリアン、日本のH-IIA、中国の長征、さらに北朝鮮のテポドン2にいたるまで国家の利害対立を超えた共同打ち上げミッションのTV中継は世界中の人々を感動させる一大イベントとなった。

 しかし他方、国連において同時期に提案されていた全人類的なシェルター建設を目指す『アーク』計画のほうは積極的な議論の応酬もなく立ち消えになる。こうしたプロジェクトが必然的にかかえる優性学的な選択という側面がかつてのナチズムやスターリン体制を想起させたがため民族紛争を抱える各国がそうした微妙な問題に触れることを忌避した結果であった。
 とはいえそれはリスク分散のための必至の戦略でもあるからそれぞれの国は国家レベルでの『箱舟』計画を実行することとなる。加えて『黙示録教団』と総称される複数のカルト集団をはじめとする多くの民間団体もまた各々が独自の『箱舟』計画を案出し実行した。しかし統制のとれないこうした複数のプロジェクトは時として互いに衝突し、人類存亡の危機に際して故なき差別を伴う社会的摩擦を人々の間にもたらしもしたのだ。

 いっぽうで皮肉にもスサノヲの脅威は停滞しつつあった世界経済に空前の活気をあたえていた。その最大要因は『南』の主力輸出品である農作物が先進諸国によって大量に買い付けられ続けたということにある。予想される衝突の冬に備え各国で備蓄される保存食料の需要が南北の構造的な貿易収支の不均衡を一夜のうちにつき崩したのだ。
 とはいえ例のごとくその恵みはまず一部の特権階級に独占され、一般庶民に巡ってくるまでには少なからず時間を要した。したがってあいかわらず安価な穀物を出荷せざるを得ない途上国の農民の間に先進諸国が政治力で価格を押さえこみながら強引に世界中から食料をかき集めているという反感が広がっていった。こうした潜在意識的な敵意に彩られたイメージは拡大生産されながら人種的あるいは宗教的な対立関係にある集団間の緊張を増し、各種の原理主義者やテロ・グループに格好の大義名分を与えることともなった。ようするに世界は終末の恐怖に鼓舞される狂騒のうちに次第に冷静な判断を失いつつあったのである。

 もちろん心ある人々はこうした状況を望ましいものとは考えてはいなかった。主としてインターネットを通してともすれば険悪な方向へ流れそうになる諸国間の関係をなんとか修繕しようとする懸命な努力も見られた。なかでも特筆すべきそれは大平洋に点在する島々のために環大平洋岸諸都市が協力して深海シェルターを建設するという、いわば第二の『アーク』としての『アダック』計画の立案であった。(アダック=パラオ神話における“ワタツミノミヤ”、すなわち竜宮)
 万一スサノヲが大平洋に落下すればマーシャル群島に代表される標高の高い土地を持たない島嶼国家は全土を津波に蹂躙され最悪の場合国土そのものを喪失する事態が予想される。国連によって大平洋全海域住民の避難が勧告されてはいたが、それはこれら島民にとっては旧宗主国へ民族の解体吸収を意味する苦渋の選択でもあった。したがって先祖から引き継いだ土地を守るべくあえてそこにとどまろうとする者は決して少なくはなく、そうした彼らにとってこの計画は……たとえそれがほとんど人体実験にも等しい無謀な賭けであろうと……ユーラシアの岸辺を後につねに未知の水平線の彼方を目指しつづけた海の民の末裔たる自らの誇りを満たすことのできる唯一の手段となったのだ。
 この大胆な計画は最初、科学者たちのメーリングリストからはじまった。過去、幾度か地球生態系は小惑星衝突や全球凍結といった厳しい試練を乗り越えてきた。陸上はもちろん海中のほとんどすべての生命が死に絶えたにもかかわらず地球に生態系が復活できたのは、じつは深海に生命の種を育む自然のシェルターが存在したからにほかならないのだ。
 海洋生物学者たちは海洋底プレート境界付近に点在する熱水礁の生態系に注目した。硫化水素の黒煙を吐くチムニー周辺の豊かな生物群からなるこの生態系は、基本的に太陽エネルギーにまったく依存していない。それは小惑星衝突がもたらす最悪の結果……何年も続く衝突の冬や海洋植物プランクトンの全滅といった破滅的な状況下でも、これら生命環境が生き残れるという可能性を意味した。
 いかに多くの物資を貯蔵しようと人間たちは地球生態系そのものの潰滅に対してうつ手はない。しかし熱水礁生態系を循環的に利用する技術があれば……かかる最悪の事態にあっても人類は存続しつづけることができるかも知れない。そしてそれに必要なテクノロジーは決して手の届かないところにあるわけではない……。
 こうした着想のもと優秀な深海探査技術を持つ日本、最高水準の生命工学、潜水医療の歴史を持つ米、すぐれた海洋生物学者を擁するオーストラリア、ニュージーランドなどの国々の政府が賛同協力することで計画は現実にスタートした。さまざまな技術的困難にもかかわらず不屈の意志によってこの計画を推進した人々はつぎのような事実を知っていたのである。
 ……ひとたび人間が高度な産業社会を支える科学技術を手放せば、おそらく二度とそれをとりもどすことはできないだろう。なぜなら鉄鉱石をはじめとする工業資源も、石炭や石油といった効率のよい化石燃料も、現在ではあらかた掘り尽くされていてもはや地表から容易に採掘可能な場所には存在しないからだ。スサノヲのインパクトによっていったん多種多様なインフラからなる高度産業システムを失えば、いかに優れた科学知識が残されようと人類はその文明を青銅器以前まで後退するほかはない。
 しかし唯一地球上にそれらの資源がいまだ手つかずのままに残されている場所がある……それこそが深海なのだ。各海洋を結ぶ長大な中央海嶺に沿う深度700〜800メートルの海底斜面に『アダック』計画に基づき慎重に分散された深海シェルター群の間近には各種金属を豊富に産出する熱水鉱床が多数存在する。さらに石油もまたこうした場所にメタン細菌と地熱によって自然に作りだされ大量に湧出している。それゆえ小惑星衝突にそなえて人類が自らの知的技術の伝統を保存するべき場所はこれら地球そのものが用意してくれたタイムカプセル以外どこにもありえない……。

 こうして数年のうちに人間の壮大な挑戦と数知れぬ愚行とがともに目覚ましい勢いで進行していった。『アマテラス』計画は一年以内にすべての準備を完成しそのレーザー衛星のビームは暗黒の中に浮かぶ炭素にまみれた雪玉を照射して数千年ぶりに揮発性物質のハローを吹き上げた。いまやスサノヲは肉眼でもぼんやりと夜空に見ることのできる不吉な星となり、その質量はじりじりと減少し、その軌道もわずかづつながら変化しはじめた。
 しかし時間切れもまた迫っていた。多数の国々にまたがる国際プロジェクトであるが故にレーザー衛星の建設と運行はトラブルの連続でもあった。太陽電池パネルの配線の接触不良や破断による発振電力の低下がしばしば起り、そのたびに急きょ改修のための船外活動ミッションが組まれなければならなかった。
 三年後、スサノヲは長さ800メートル縦横500メートルまでに縮み質量はほぼ半分にまで減少していた。とはいえいまだその重量は6億トン強と見積もられ、衝突時の運動エネルギーは3.9×10の19乗ジュール……1メガトン核八千発に匹敵する破壊力を持っていた。

 軌道の問題はさらに微妙だった。スサノヲは黄道面に直角な軸の周りを自転しており、照射されるレーザーは自転軸上の北極に集中される。だが衛星の反射鏡の放熱板が設計どおり機能していないことが後日判明した。これは反射率99.99999パーセントという超高精度に研摩された鏡であり、衛星本体へのさまざまな摂動の影響を打ち消して数億キロの距離をおいてスサノヲを正確に照射するため必要不可欠な部品であった。
 制御コンピューターのプログラムを入れ替えることで計画の挫折こそ免れたが、蓄積する熱によって鏡が膨張することでビームが拡散し彗星核北半分の広い面積を照射してしまい、揮発性ガスの噴出は当初の計画のとおりには精密に制御できなくなった。さらに太陽の輻射の影響であちらこちらの活動領域から間欠的に噴射されるジェットがスサノヲの姿勢に複雑な影響を与えていて、次第に独楽の首振り運動に似たカオス状態に移行しつつあるそれが果たして会合までに衝突軌道から十分逸れるかどうかまったく予断を許さなかった。
 仮にすべてがうまくいったとして最終的にスサノヲは地球や太陽の引力の影響を含む多体問題的な力学条件のもと、突入ぎりぎりの角度で大気圏を掠めるだろうと考えられた。もし地表に落下するとしたらインパクト地点はタスマニアと南極大陸との間の海域になるはずだが、上層大気に触れただけで再び宇宙空間に飛び出していくという予想も同様に成り立った。恐ろしくも美しい長い尾を夜空にひきはじめたこの彗星核が上層大気に弾かれ何事もなく飛び去っていくのか? あるいは大気圏に突入しタスマン海南の海洋底に巨大なクレーターを穿つのか? ここに至って科学者たちもその予想が不可能であることを正直に認めざるを得なかったのだ。
 やがてついに運命の日はきた。新世代スペースシャトル『チャレンジャーII』からの中継画像を世界中が固唾を飲んで見守る中、スサノヲは2005年12月24日、日本時間午後6時、地球大気圏に接触した。しかし、ここで人々の予想もしなかった事態が起ったのだ。
 最初浅い角度で突入した小惑星は上層大気によってバウンドすることでふたたび宇宙空間に飛び上がった。しかしそれは期待されていたようにそのまま飛び去ってはくれなかった。まるで悪魔がその微妙な角度と力とを周到に計算していたかのように、衝撃で大小幾つもの破片に分裂しながらスサノヲは長大な弧を描いてふたたびユーラシア大陸の手前で大気圏に飛び込んだのである。激しく回転していたために最大の破片はここで運動エネルギーを急速に失い北緯30度3分、124度40分、上海沖約300kmの海上に激突した。だが他の破片はこの奇跡的な水切り効果により再度バウンドしウラル山脈の東へ。そしてさらに微細な部分に分れた残りは北欧を飛び越え、無数の小隕石群となってノルウェイ海に驟雨のごとく降り注いだのだ。

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