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シェアドワールド:落下当日

高本淳

 この夜、沖縄基地からの最終避難グループを載せて飛び立った米軍輸送機は機体上空、右から左に急速に動く眩い火球を目撃した。それは数秒のうちに西の水平線に見えなくなり、つぎの瞬間、海の彼方に不意に太陽が出現した。直視すれば失明をまぬがれない鋭い輝きが冬の夜空を真昼の青さに変え、ついいましがた彗星の欠片が天空いっぱいにひいた壮大な水蒸気とダストの尾をくっきりと映しだした。つぎの瞬間、我に返ったパイロットが緊急回避動作に入る前に頭上からの衝撃波が両翼を引きちぎり、輸送機はきりもみしつつ波立ち騒ぐ海面に激突した。その飛沫を照らしながらゆっくりと光は白から黄色へと光量を減じ、かりそめの黄昏の空には巨大なキノコ雲が見る見る上空へ立ち上がっていった。その雲頂を超えて淡い逆円錐形の光のベールがふたたび戻ってきた星空に広がり、花火にも似たきらめく微細な輝きが対流圏を超えて伸び上がるその縁を飾っていた。

 同じ頃、長崎市民もまた南西の空に天下る火球と水平線の雲に反射した閃光とを見た。およそ100秒後、地殻内をつたわる粗密波P波が500kmの距離を秒速5kmの速さで渡り切りやってきた。地鳴りを伴った上下動に街は激しくゆさぶられ、断層はゆっくりとずれ動き、地盤の弱い地域の建物はこの予震だけで傾き倒壊した。
 地殻振動の横波であるS波は秒速2.8km。先行したP波にわずかに遅れて到達した。インパクト後ほぼ3分、今度は荒れ狂う嵐の海のように大地は揺れ動いた。立っていることはもちろんその場にとどまっていることすらできず、人間は単なる物体となって家具とともに室内を転げ回った。窓ガラスはいっせいに飛び散り路上の歩行者に降り注いだ。静電放電の閃光が空を走り大地の唸りは耳を聾し、大規模な山津波が山沿いの家々を土砂に埋め、あちらこちらに深い地割れが口を開き、液状化した土壌は溶けた蝋のように流れた。
 激震がおさまりほっとするまもなく衝撃波がやってきた。秒速340m弱でインパクト後24分ほどかけて…熱い海水と蒸気の壁が街を走り抜けた。生存者たちは高温のスチームで蒸されつつ煮えたぎる海水とともに大地に叩きつけられ、同時にわずかに残った建物も完全に崩壊した。
 やがて豪雨が降り始めた。インパクト地点の凄まじい熱によって海水から作られた膨大な量の水蒸気が上空で冷やされ滝のように落ちてくるのだ。突然発生した巨大な上昇気流へ流れ込む大気は渦巻き、嵐となり、再凝結した海底岩盤の塵を溶かしこんだ茶褐色の雨は雷と突風をまじえつつ時折巨大な雹になって大地を叩いた。
 最後にとどめを刺すように津波がやってきた。それは平均水深500メートルの東シナ海では秒速70メートル程度の速度しか出せず、到達するのはインパクトからはるかに遅れて2時間後。しかしそのエネルギーはいまだ膨大だった。
 外海で数十メートル程度だった波の高さは岸辺に近づくにつれてみるみる増し長崎半島に達する頃には海抜数百メートルの海水でできた山脈にまで成長していた。わずか1mの津波でさえ1平方メートルあたり2.2トンの力を及ぼす。およそ地上に存在するものでこの化け物の破壊力に対抗できるものはない。人間が作り出したものはもちろん山々の緑もまた土壌ごと剥ぎ取られ岩盤までむきだしになった。
 かつて長崎と呼ばれた都市を綺麗さっばりと消滅させた後、大村湾を跨ぎ越したそれは経ケ岳を削り取りながら有明海に地軸崩れる轟きとともになだれおちた。ここで島原半島を迂回してきた別の波と合流しさらに規模を拡大した怒涛はつぎの獲物を求め、くすぶる都市の煙りに霞んだ筑紫平野一帯に泡立ち渦巻きながら流れ込んでいった。

 東アジアからバウンドした破片のうち最大のものはウラル山脈東、オビ湾の南西400kmの地点に落下した。激震はロシア全土を揺り動かし、イルクーツク発電所のダムに巨大な亀裂をつくり、クレムリンの外壁と尖塔をつき崩し、サンクト・ペテルスブルグのピョートル大帝像を倒壊させた。 崩壊しつつある彗星核からふりまかれた多数の破片は常緑針葉樹林帯である『暗いタイガ』に広大な範囲で火災をひき起こしていた。冬期で凍りついた湿地の空気は乾燥し火勢はひたすら拡大をつづけた。それはやがてエニセイ川の東岸にも飛び火し落葉針葉樹林帯『明るいタイガ』もまきこんでウラル山脈からヤクートのレナ川に及ぶ空前の規模の大森林火災となった。シベリアの地平を縁取る炎は頭上で蠢く黒い雲を無気味に照らし出した。立ち上る黒煙は極東風に乗り、あるいは偏西風に吹き戻され、渦まき蛇行しながら遠く高く広がりつづける。大量の酸性微粒子もまたそれらとともに運ばれていった。

 邪神の最後のかたわれはスカンジナビア半島を飛び越え厳冬のノルウェイ沖に降りそそいだ。速度は秒速4kmまで下がり最大でも30メートルを超えるものはないが、それでもそれは音速の十二倍で落下する数千トンの岩塊であり、ひとつひとつの衝突エネルギーはゆうに広島クラスの原爆に匹敵する。小山のような波が互いにぶつかりはじけあい、北海に臨む諸都市は流氷を伴った海水によって幾度となく洗われた。エジンバラ城の銃眼に白波が砕け、エルベ川の水は数百キロを逆流し、コペンハーゲンの人魚像は見送る者もないうちに海へと帰っていった。
 その夜、高台に逃れた生存者たちは沖合いから響き渡る無気味な轟音を聞いた。それはインパクトが引き金になって大陸斜面に多量に蓄積されたメタンハイドレートが連鎖崩壊をはじめた音だった。低温高圧の環境下で氷の籠に閉じ込められていたメタン分子がいっせいに放出されて巨大な泡となって上昇したのだ。その衝撃がまたすぐ隣の不安定な状態のハイドレート層を突き崩し、ドミノ倒しはとどまるところなくつづいていく。海面は泡立ち爆発し、致命的な数百ギガトンの温室効果ガスをすでに暗雲に隠されはじめた星空へと吐き出しつづけた。

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