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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

アイ・アム
『アイ・アム I am.』
> 菅浩江著/中原達治カバー
> ISBN 978-4-396-32885-6
> 祥伝社文庫
> 381円
> 2001.11.10発行
 円筒形のボディに人を傷つけないよう特殊ラバーが張られた腕。ホスピス病院で目覚めた<ミキ>はプログラミングされた高度な知識と技術で、患者さんを介護すべく仕事を始めた。しかし、自分はいったいなになのかと自問するミキ。そして心の奥底の澱みのようなすくいきれない記憶に悩まされ始めた。
 ロボットのアイデンティティ追求を通して、人間とは何か、生きることとは何かを直球勝負で描いたお話

『プレシャス・ライアー』
> 菅浩江著/高橋三千男イラスト
> ISBN 978-4-334-74092-4(文庫版)
> 光文社カッパノベルズ
> 819円
> 2003.6.25発行
 『週刊アスキー』'02/7〜''02/11連載
“人間世界は、記号から読み取れる共通認識や共通言語をやりとりすることによって成り立っている”という言葉通り仮想空間を舞台に繰り広げられる哲学的啓示。掲載誌によるものか、量子コンピュータとかカオスコンピュータなど、当時の最新の話題も散りばめられていてSFファンも納得の一冊。
 金森詳子は、従兄で次世代コンピュータの開発者谷津原禎一郎から“電脳世界でオリジナリティのあるものを探し出す”というアルバイトを引き受ける。彼女はVR内で、不思議なキャラクタ達と出会う。“それ”はアリスの姿をしていて、秘匿された個人情報を暴いたり、仮想現実世界を歪めていく。そして現実世界に戻った詳子の目の前で、VRの住人であるピエロが忽然と姿を消失させてしまう……
プレシャス・ライアー
 二つの作品に共通しているのは、テーマが主人公の成長とアイデンティティ追求の話であるということ。お話の展開そのものは、菅さんの作品であるということを念頭に置いて読めばすぐネタバレになりますが、菅さんの書きたいことはそこではないので特に問題にはなりません。――菅さんは(ファンタジー作品であっても)物語の整合性にとても気を使っているので、もし整合性が崩れるような場面が出てきたら、そこは怪しいんです(笑)  『アイ・アム』では介護ロボット、『プレシャス・ライアー』ではVR上の仮想人格プログラムを通して、人間の尊厳とか何が人間を人間たらしめているかを鮮やかに描き出してくれています。

*  *  *

雀部 >  今回の著者インタビューは昨年の11月15日に早川書房から『カフェ・コッペリア』を出された菅浩江さんです。
 菅さん、どうぞよろしくお願いします。
 今回のインタビューは、お忙しい菅さんにご無理をいって引き受けて頂いたので、各コーナーの質問回数を限定しております。責務は私にありますので、もし「なんでこれを聞いてくれないんだ」というご要望がございましたら、ぜひ「アニマ・ソラリス」までお寄せ下さいませ。
 前回の『永遠の森 博物館惑星』インタビューの際にはありがとうございました。今回もよろしくお願いします。
 あそうだ。『夜陰譚』のブックレビューもさせていただいております。
>  いつもお世話になっております。
 ここで、少しでも宣伝できたら、とまた出てきました。よろしくお願いします。
雀部 >  お忙しいところありがとうございます。
 宣伝・売り上げに繋がるように頑張ります(笑)
 今回は、敢えて深読み――誤読とも言う――して、書こうとされてないかも知れないところを含めてお聞きしたいと思います(笑)
 菅さんの作品は、何回か読むとまた味わいがより深くなるんですよね。
 上の感想にも書かせて頂いたんですが、菅さんは物語の整合性にかなり気を使ってらっしゃると感じています。だからSFやミステリと相性が良い。あ、SFやミステリを書かれているから必然的に整合性に気を付けられるようになられたのかな……
>  私はアマチュア時代に、二、三度、矢野徹さんに原稿を見ていただきました。そのときに教えていただいたのが「論理的整合性」という言葉でした。まだ中学生かそこらだったので、単純に「ああ、雰囲気だけで書き進めてはいけないんだなあ」と思ったにすぎませんでしたが、振り返ると、ずっとそのお言葉を気にして創作をしてきたように思います。
 SFの一番面白いところは、「とんでもないことだけど、なんとなく納得しちゃう」感覚だと思っていますので、大嘘を納得させるために他のところはきちんと整合性を取る、というふうに作っているのだと自分では思います。
 突っ込まれないようにしておかないと……という小心者の作風ではありますが(笑)
 ミステリも、ほぼ同じですよね。詰めて詰めて、詰めておいたが故に、ミステリ的謎解き効果が顕著になる。
雀部 >  やはりそうでしたか。
 さて最初に『アイ・アム』と『プレシャス・ライアー』についてお伺いしたいのですが、この二作品はテーマとか構成とが結構近いものがあると思います。他の作品――例えば『プリズムの瞳』だと、ロボットはあくまでプログラミングの通り行動し、人間とは違うものとして描かれていますが、この二作品は違いますよね。それは、なぜなんでしょうか。
>  いえいえ、それは誤解(笑)
 私としては『アイ・アム』が異質で、『プレシャス・ライアー』と『プリズムの瞳』が相似形です。
 『アイ・アム』のミキの正体と、『プリズムの瞳』のブリッジ部分の語り手を考えていただければ判ると思います。
 三者ともに「ほぼ不滅であるロボットが意志を持ったら、何を願うか」という物語として読んでいただければ嬉しいです。
雀部 >  おっとそうなのか(汗;)
 私の感覚では、ロボットにダウンロードされた時点で人間じゃ無くなってるからなあ(汗;;)

*  *  *

五人姉妹
『五人姉妹』
> 菅浩江著/中川悠京装画
> ISBN 978-4-15-030777-6(ハヤカワ文庫JA版)
> 早川書房
> 1700円
> 2002.1.31発行
収録作:
「五人姉妹」「ホールド・ミー・タイト」「KAIGOの夜」「お代は見てのお帰り」「夜を駆けるドギー」「秋祭り」「賤の小田巻」「箱の中の猫」「子供の領分」

表題作の「五人姉妹」
 映画とかマンガなどで一般的にクローンを描く場合、クローンとオリジナルのアイデンティティを巡る葛藤という描かれ方が多い様な気がします。
 オリジナルである葉那子と四人のクローンの出会いを通してこの作品の描きたかったことはなんでしょう。
 もちろん葉那子の、クローンである姉妹に対する愛情もあると思いますが、うがった見方をするとSFでは良く取り上げられるテーマである「if」の世界ではないかと思います。
 もし「**の時に**していたら、私の人生はどうなっていたのでしょう」。この誰もが抱く普遍的な問いかけを「クローン」を登場させることによって、タイムマシンに頼らずとも実現させているのではと思います。
 一流企業のキャリアである美登里、育てられ方が誤ってしまったため精神的に卑賤になってしまった萌、精神を病んで薬物中毒者になり入院している美喜、スポーツが得意な湖乃美、四人全員がもしかしたらそうなったかも知れない葉那子の姿ですね。もし四人全員とトーストに穴を開けて食べることができたらとも考えたのですが、やはり「氏より育ち」、詮ない話ではあります。

「ホールド・ミー・タイト」
 三十路を前にして揺れる女心とでも言いましょうか(笑) ネットに耽溺できるほど若くはないと言いながら、その実ネットに憩いを求める女性心理の機微が細やかに描かれています。この作品の場合、水木が現実社会のバーテンダーであって、向陽美がその店に通う客であっても十分成立する話なんですが、<抱かれ枕>等々の小物がスパイスとなって、向陽美の恋人を求める切なさがよりいっそう際だったものとして感じられました。

「KAIGOの夜」
 親が介護される存在となっている私としては身につまされます。ロボットの存在を借りてえぐり出した、介護という行為。犯罪者は全員、何年か老人を介護するボランティアとして働くことを義務づけましょう。

「お代は見てのお帰り」
 『博物館惑星』の後日譚というより、偏屈オヤジと息子の物語だな(笑) どこにでもありそうな親と子の話でも、菅浩江さんの手にかかるとこんなにもきらめいて見えるというお手本ですな。

「夜を駆けるドギー」
 ネットに耽溺する"コープス"というハンドルの少年。彼が犬を模したマシン・ペット「どきどきドギー」を所有しネットにファンサイトを開いてから世界が変わった。かの『電車男』が'04年ころの話ですから、菅さんはそれより3年ほど前にこういう作品をモノにしていたわけですね。
 この現実のマシン・ペットというところが菅浩江さんのバランス感覚ですね。『電車男』を小説として読んだ時の面白さは、主人公の書き込みに対するオタク達のコメントの面白さなので、掲示板内で完結しちゃってますよね。で、例えばセカンドライフのようなところで、アバターが飼う犬にしても良かったんだけど、やはり少年は走り回らなきゃ。若いんだから(笑)
 でも、理想のマスターとかドギーにとっての本当の幸せとなると作った大人の思惑が見えてきますね。それこそ“逝ってよし”

「秋祭り」
 TBの出自を持つ主人公。神を求める彼女の心境に、菅さんのメッセージを見ました。たぶん、選別された人の受精卵を使っての人工授精は、今後とも許されないと思うのですが、食料や家畜には許されて人間に許されないとしたら、それこそ人間の思い上がりなんだと思います。

「賤の小田巻」
 容色の衰えた大衆演劇の座長がAIターミナル入りする。彼の息子の元に、なぜ入所基準の厳しいAIターミナルに入所できたのかを記事にしようとする記者が訪ねてくるが……
 ハレとケで言えば、歌舞伎などの古典芸能が「ハレ」で、大衆演劇などは賤しい「ケ」であるかも知れない。しかし真の芸の道はそういう出自にあるのではなく、その道を極めようとする役者の心根にあるはずだというのが良く理解できます。

「箱の中の猫」
 シュレディンガーの猫に題材を取った恋愛譚。私には非常にロマンチックに読めたんですが……

「子供の領分」
 なんと『プリズムの瞳』の前日譚だった。あ、少し違うかな。マサシの純な心は、『アイ・アム』と通ずるところがあるかも。

*  *  *

雀部 >  「五人姉妹」なんですけど、これの成立順序についてお伺いしてもよろしいでしょうか。主人公の父親は、自らの研究目的のために――まあ難病の人たちに役立つという面はあるにしろ――我が娘に成長型の人工臓器を埋め込むという暴挙に走る。菅さんの小説の登場人物とは思えないマッドサイエンチスト振りなのがちと変だなと(笑)
 まず菅さんの脳裏に主人公が自分のクローンたちと次々と会っていくというシーンが浮かんだのではないかと思ったんですよ。で、その展開を成立させるためには、この親父の暴挙が必要になったのではないかと想像しまして(笑)
>  うーん……。同時、でしょうか。
 確かに、オリジナルとさまざまなタイプのクローンたちが会う、というのが枠組みでした。最初は、奇策として舞台劇ふうのシナリオにしようかと思っていたくらい。
 でも、父親をマッドだと受け止められるとは思ってもいませんでした。他の方からもそういうご意見はいただいてまして、そうなのか、と……。
 自分の技術に自信があれば、ジェンナーのような行動(種痘ワクチンを自分の子供を含むグループに打って試した)に出るのはさほどおかしくないと思うんです。
 華岡青州は、妻に麻酔を試して盲目にさせてしまいましたが、その後の麻酔医療の恩恵を考えるとそれは是か非か、という問題でして……。
 自分は実験台、父は遠くを目指している、その理想を判りすぎるほど判っている被験者の秘められたアンビバレンツを書いてみたかったのかもしれませんけれど。
雀部 >  なるほど〜、聞いてみなきゃわからないですねえ。種痘を施すのと、正常に働いている臓器を人工のものと置換するのとでは、私の中ではレベルの違いではなくて、ステージの違いと感じましたので。あ、私見ですが華岡青州は、十分マッドサイエンチストの資格があるように思います(笑)
 もうひとつ、「賤の小田巻」について。『雨の檻』に収録された「お夏 清十郎」もそうなのですが、菅さんの独壇場である“古典舞踊”と“先進技術”のドッキングの見事さ。“役に入り、嘘に徹する真”との言葉を聞くと、なんかそれだけで、舞踊に対する理解が深まったような気になれます――その気になって、教育テレビで能を見ました(汗;)
 こういう組み合わせのアイデアは、どういう契機で思いつかれるんでしょうか。
>  教育テレビの伝統芸能番組はおすすめです! 能も字幕がついて判りやすいし、歌舞伎中継では副音声で解説が聞けたりしますから。
 伝統芸能とSFの組み合わせは、たぶん私の強みなので、積極的に書こうとはしています。「賤の小田巻」の時は、SFマガジンの記念号への依頼でしたから、ここは是非和モノSFでいかないと、と。
 ロボットものの時にも言いましたけれど、滅びるものと残るもの、というテーマは私の好みなので、老いと伝統、というダブルミーニングはすぐに出てきました。

*  *  *

歌の翼に
『歌の翼に ピアノ教室は謎だらけ』
> 菅浩江著/加藤龍勇イラスト
> ISBN 978-4-396-20764-9
> 祥伝社ノンノベル
> 857円
> 2003.5.20発行
月刊『小説NON』に'01/2〜'03/3掲載
収録作:
「バイエルとソナチネ」「英雄と皇帝」「大きな古時計」「マイ・ウェイ」「タランテラ」「いつか王子様が」「トロイメライ」「ラプソディ・イン・ブルー」「お母さま聞いてちょうだい」

 彼女と生徒や友人関係の日常生活に埋もれてしまいそうな事件を、解き明かしていくという音楽ミステリ。
 商店街の楽器店の二階でピアノ教師をする杉原亮子は、ある事件で心に傷を負い人前での演奏ができなくなってしまった。
 お話自体は、生徒である姉弟が巻き込まれた変質者騒動。子共をプロ演奏家に育てるために親が作った防音室の謎。楽器店の息子のバンド仲間とその恋の行方。さえない中年男の秘密と想い。等々、楽器店と音楽教室をめぐる様々な人間模様自体がメインテーマなのかな。
 菅浩江さんはテクニトーンのプロでもあられたので、なるほどと思う描写も多々。
 元ネタになっている曲に馴染みがない方は、ぜひ菅さんのホームページに。
 “連作短編集『歌の翼に ピアノ教室は謎だらけ』に出てくる曲を、ウェブの無料ファイルでご紹介します。”というコーナーがあるので題材となった曲を聴いてから読むとまた面白さが増すと思います。
 http://www.gainax.co.jp/hills/suga/misc/uta.html
 そこに“変奏曲には、いつも苦労しました。屁のカッパで弾けるバリエと、「ひええ」というくらいに難度の高いバリエが混じっているんです。その上に、統一の色を持たせつつバリエひとつひとつの個性を弾き分ける、なんてことをしなければなりません。この処理の仕方は、連作短編というものと同じで――。”と書いてあって。思わず微笑んだり(笑)
 昔ピアノを習わされていた時期があって――嫌で嫌で一年半くらいでやめちゃいました(汗)――ちょっと身につまされました。ピアノの先生、全然練習しない生徒でご免なさいでした。そういう個人的な事情もあって他のSF系の作品より面白く読めてしまったという困った連作短編集です(笑)

*  *  *

雀部 >  亮子先生って、なんであんなに不幸な過去を持っている必要があるんでしょう。それによって、ラストの感動がより増すというのはわかるんですが……
 封印された記憶の追求というのも、菅さんの主要テーマの一つではありますね。
>  封印された記憶、というよりは、本来の自分の追求、でしょうか。をを、なんと文学的!(笑)
 ピアノの先生は、現実でも総じてお嬢様が多いと思うんです。幼少から音楽教育を受けられるだけの家庭に育って、その道に進む余裕があって、たいして儲からないのに先生をしていられる。私はまったくの副業として音楽をやっていましたから、音楽教師一本でやっている人たちはなんて優雅なんだろう、と(笑)
 でもその優雅な見掛けにウラがある、というのは、小説のセオリーですよね。
雀部 >  そうか、見かけとウラの対比なんですね。まさに小説の王道(笑)
 ウラがあんなに不幸なら、別に優雅じゃない一般人でOKです(爆)

*  *  *

歌の翼に
『おまかせハウスの人々』
> 菅浩江著/影山徹装画
> ISBN 978-4-06-213149-0
> 講談社
> 1500円
> 2005.11.28発行
収録作:
「純也の事例」「麦笛西行」「ナノマシン・ソリチュード」「フード病」「鮮やかなあの色を」「おまかせハウスの人々」

「純也の事例」
 ロボット里親制度でやってきた純也と親代わりの有香との悲喜交々。
 基本骨格(ラストの落ちとか)はアシモフの「ロビー」なんかと同じだと思いましたが、より深くて洗練されてるなぁと。
 菅さんは、ここまで考えて子育てしてるんだと感嘆しきり。
 うちは、どちらかというとナミの育てかたに近いかも。まあ菅さんも、当然友香とナミの両面あるのだとは思いますが。
 特に気に入ったのは友香の"その時にはまた、別れる別れたくない音頭を二人で踊りますから"という言葉には不覚にも涙しました。友香の純也への愛情と強がりとちょっと成長した心の余裕が見事に表現されているなあと。

「麦笛西行」
 出世街道から外れた土橋主任が密かに使い始めた相手の感情を推測して形状を変えるカード。
 土橋は、もはやそれは無しでは生活できなくなっていた。
 SFで言うとテレパシーものの変種といった感じですね。
 一見便利に思える能力にもやはり表と裏があるわけで、そこらあたりの書き分けが上手いなあと感じました。
 また、随所に引用された西行の短歌の扱い方は菅さんならでは。

「ナノマシン・ソリチュード」
 そもそも日本の近代史において、一般大衆に新しい考え方を紹介するのは、文学者や文芸評論家が担ってきました。
 SFにおいても、その役割の一つとして、大衆に新技術や新しい考え方を紹介するというものがあります。
 菅さんのSF短編には、それがかなり詰まっていて毎回うれしい驚きを味あわせてもらっています。
 若い女性の心情を通してこれだけ的確にナノマシンが普及しつつある社会を描いてくれるとナノマシンのPR誌に掲載されたとしても違和感ないですね。

「フード病」
 風土病かと思ったら確かにフード病なんですね。確かに発病するまでに死んでしまう動物というのは盲点だなあ。まさに全人類が一蓮托生ですね。

「鮮やかなあの色を」
 会社での昼休みの気苦労話から、色盲の話へもっていく導入部はスムースですねえ。
 SFファンじゃなくても無理なくついて行けます。
 人間が目にした事象は、観測者の脳の中で翻訳されていて、脳がどのような“ニュアンス”を付加するかで目に見えるモノはまったく違うものに見えるということですね。

「おまかせハウスの人々」
 引きこもりの太田垣くんの「家族を楽にして幸せに奉仕する便利な家、なんて売り文句を使うけど、ひとりくらい、家の維持のためにせっせと一般人ぶって見せなきゃならない不幸なモニターがいても、面白いかもしれないよな」は秀逸。
 一見、おまかせハウスを通して浮かび上がる三家族それぞれの古くて新しい家族問題を描いている様に見えて、その実“資本主義システム”に組み込まれてしまった我々現代人のうら寂しい実情を痛烈に描き出していると感じました。

*  *  *

雀部 >  「おまかせハウスの人々」なんですが、佐伯博也がレンタルファミリーの更新をするシーンで、それまでの心地よいラストへ向かっての盛り上がりの方向が急に変わった気がしてびっくり。
 でも「おまかせハウスの人々」は、世間的な幸せの概念に縛られつつ、その中で必死に家族の幸せのために働く人たちへの暖かいエールのように感じられました。
>  私は、お金持ちになったら、広い家を買うよりは、お手伝いさんや秘書を雇いたい、と思うタイプなんです。狭い家でも綺麗に暮らしている人っていますよね。なんでウチはこんなに散らかっているんだろう、って、いつも悲しくなってしまうんです。「アレ捨てといて」とか「コレ分類してしまっておいて」とかお願いできる人がいたらどんなにいいかと。
 夢ですよねえ(笑)
 そういう前提があって、心地よさが保証されていて、でもやっぱり大事なのは?という物語です。整理整頓や家事労働を機械にやらせるのは、そんなに無茶な夢ではありませんよね。それこそ、お金があったら人頼みにしてしまってもいい。けれども、本当の精神の充足は自分でなんとかしなきゃならないわけです。SFならではの「外的条件の削減」、つまりあれやこれやの言い訳をどんどん削っていけば、精神的なものが浮き彫りになるだろうな、と思って書きました。
雀部 >  そう言われてみれば、SFじゃなきゃここまでシビアに浮き彫りに出来ないかもですね。

*  *  *

プリズムの瞳 サイン画像
『プリズムの瞳』
> 菅浩江著/ヨシツギ装画
> ISBN 978-4-488-01811-5
> 東京創元社
> 1900円
> 2007.10.30発行
 人型ロボット、ピイ・シリーズ。人型をしていても融通のきかない彼らは例えてみれば触媒のようなもの。そのままそこにいて、相手と関わるだけで人間に変化を起こさせる存在。
 さて、この連作短編集は、ラストを飾る「サティスファイド・クリア」で与謝野博士が真下に語っていることまさにそのままがテーマだと思います。結構直球で、心にぐいぐい食い込んできますね。

「レリクト・クリムゾン」
 知らなければ良かった情報というものは確かにあります。それを知ったゆえの悩み・疑いなど。いえ、やはり知っていたほうが良かったのかも知れません。それを判断するのは他ならぬあなたなのですから。
 テーマは、揺れる恋人達のこころ。

「クラウディ・グレイ」
 高梨が自らの意志で服する心情刑、それは彼の設計した野菜と別メーカーの清涼飲料水を摂取して障害起こしたり死亡した人々のことを忘れないよう毎日名前を唱えるというものだった。高梨がピイに託した希望とは。
 テーマは、アンビバレンス。

「ミッドナイト・ブルー」
 ピイの持つ万能鍵を狙う満たされぬ子供たち。変わらないはずのロボットが早々と機能を停止するとき彼らの胸に去来したものとは。
 テーマは、失われない純真さ。

「シュガー・ピンク」
 世界を抽象的にしかとらえることのできない秀充。美容整形のおかげで望みの容姿と異性から好かれる立ち振る舞いを身につけた一花。ふたりが出会ったとき、自分に興味を示さない秀充を振り向かそうと抽象画を描くピイに自分の肖像画を描くように依頼するが……
 テーマは、真実を見極める目。

「メモラブル・シルバー」
 老人ホーム〈曙光の家〉に新規採用された谷田川は、かつて将来を嘱望される音楽家の女性と結婚していた。バイオリン奏者として特化されたピイをプロジェクト委員会から託されたのだが、新曲の御披露目演奏会の時に起きた事故により還らぬ人となっていた。
 テーマは、プロの矜持。

「ミラーリング・ブラック」
 何かのはけ口として、顧客がピイに暴行を働くことの代償として料金を徴収するプレイルーム。ある夜に訪れていた常連客は、かつて闇社会のフィクサーであった。
 テーマは、守るべきもの。

「エバー・グリーン」
 元ピイの研究所――現在は再生医療とサイバネティクス療法が専門の病院の前で、浜路は月に一週間、移動式カフェをオープンしていた。憎むべきピイを抹殺するチャンスを得るために。
 テーマは、人型ロボットであることの意味。

「トワイライト・パープル」
 子供時代に叔父の気まぐれでフィーと一緒に生活したことのある理恵。うらぶれたあずまやでピイをみつけた彼女は、ピイのなかにフィーの面影を探すのだったが……
 テーマは、母と子。

「サティスファイド・クリア」
 ついに〈ピイ・プロジェクト〉反対派の襲撃を受けた〈曙光の家〉。
 テーマは、ロボットの満願成就。

「カーマイン・レッド」(『雨の檻』収録)
 田舎から美術専門学校に入学した少年は、先生からピイの面倒を見ることを要請された。
 テーマは、人間とロボット、お互いに通いあうもの。

*  *  *

雀部 >  さてこの『プリズムの瞳』なんですけど、元々は東京創元社の雑誌『ミステリーズ!』に掲載された(2003年創刊号から06年10月号まで)連作短編だそうですが、ピイを登場させることで苦労したこと、また反対に書きやすかったことがあればお教え下さい。
>  このシリーズは誰よりもまず、古くからスガファンを名乗ってくれているSioさんに感謝しています。
 『雨の檻』(現『そばかすのフィギュア』)に収録されている「カーマイン・レッド」という短篇を読んだ彼女が、いたく気に入ってくれて、続きを、と言ってくれてたんです。ですから、〈ミステリーズ!〉で連作短篇をするならピイ(とフィー)がもっと詳しく書ける!と、勇んで取り組みました。ですから、書きにくかったことはないです。
 強いて言えば、ロボットの哀愁ばかりを書き連ねても大きなお話にはならない、ということでしょうか。連載当初から悩んでいましたが、単行本にするときにブリッジ部分を書き加えて、我ながらうまくいったと喜んでいます。
 よくできた話(自画自賛)ですので、まだ未読の方は、ぜひとも買ってください!!!
雀部 >

 おお、私もSioさんに感謝を捧げます。よくぞ言ってくれました、おかげで素晴らしい連作短篇を読むことが出来ました。

 三男が、コンピュータ系の大学へ行っているのですが、卒論が「デジタル画像の絵画処理」なんです。普通の写真を自動的に加工して、人間の書いた絵に近づけるプログラムを書いてます。息子と卒論に関係したことで話が出来るとは思っていませんでしたので楽しかったです。
 個人的に、将来的にはAIにも芸術の創造は可能だと思っていますが、それも評価する人間の存在あってのこと。菅さんは、AIが芸術を創造し、なおかつそれを楽しむようになることは必要だとお考えでしょうか。

>  人間の模倣をしてそれらしい芸術を作るだけなら、あまり意味はないと思っています。
 たとえ人間には芸術的評価ができないとんでもない作品だったとしても、AIならではの特異なものを表してほしいですね。
 「そんな見方があったのか、そんなことができるのか、そんな解釈が可能なのか」という驚きを人間側に与えてほしいものです。
雀部 >

 人間には思いも寄らぬ媒体を用いた芸術とか、五感(六感でも可)総てに訴えかける統合芸術とか体験してみたいものです。

 「サティスファイド・クリア」で、“とことん使い込まれて壊れるのは、ロボットという道具の本望。悠久の時の中を人類に寄り添って歩むものにとって、こういうのが真の満願成就”とあって、なるほどなぁと思いました。また、その反対(?)に、人類にとっての満願成就は、人間が創り出したロボット達が、自分で考え創造していく存在になることなのかなと考えたりしました。

>  人類にとっての満願成就は、ロボットがいようがいようまいが、それらと同じで、きっちりと役目を果たした実感を得ること、じゃないですか?
 滅びないのならば、いつまでもどこまでも発展を追い求めていくから、満願成就はあり得ません(笑) それが人間の、というか、意志あるものの、サガでしょう。
 滅びる時にやっと、「ああ、できるだけのことはやった」と感じられる――。感じられたらいいですねえ。
雀部 >  人類が滅びるとしたら(多分滅びると思っていますが)、クラーク氏の『幼年期の終わり』のように新たな後継者に引き継ぎたいものです。まあそれが機械(AI)生命体であっても良しとしましょう(笑)

*  *  *

カフェ・コッペリア
『カフェ・コッペリア』
> 菅浩江著/中川悠京装画
> ISBN 978-4-15-208974-8
> 早川書房
> 1700円
> 2008.11.15発行
収録作:
「カフェ・コッペリア」「モモコの日記」「リラランラビラン」「エクステ効果」「言葉のない海」「笑い袋」「千鳥の道行」

「カフェ・コッペリア」
 「ホールド・ミー・タイト」(『五人姉妹』)の発展型とも言える作品。
 <カフェ・コッペリア>とはおいしい珈琲と恋愛に関するおしゃべりを提供する半官半民の施設。
 AIと人間の区別をし難くするために、マスク+ノイズ+マニュアルで均質化された相手とモニター越しにおしゃべり出来るのだ。チューリングテストにも似たそのシステムは、AI研究の場にもなっていた。
 <カフェ・コッペリア>のシステムは、ネットワーク上のコミュニケーションに似てますね。想像した他者と想像した自己。対面では、表情とか声のトーンとかである程度相手の心の動きが推し量れるのに対して、<相手の表情>自体を想像しなくてはいけない。その想像した相手に自分が反応するというシステム。考えてみれば、恋愛も自分の思い描く他者に対して自己を投影する行為のような気がしました。タツヒコの悩みは、いままであまり他者と関わってきたことがないために、自己を相対化する機会を持ち得ずよけいに恋愛に対して悩んでいる様子がよくわかり、感心しました。また、それ故にしゃべらないコッペリアが恋愛の対象になるということにも納得出来ますね。
 実はここらあたりの感覚は、SFマガジン連載中の連作短篇と相通ずるものがありますね。

*  *  *

雀部 >  菅さんが描かれようとされているのは、日常からちょっとズラした環境に置かれたときの人間の心の動き・体験、そこで鮮やかに浮かび上がる人間心理の機微。また作品を読むことによって、それを味わうための「自分自身の想像力」を研ぎ澄まし豊かにできる。さらに味わうことによる喜び・悦楽もありますね。
(以下ネタバレにつき白いフォントで)
 『カフェ・コッペリア』では、「千鳥の道行」だけがちょっと異色ですね。古典芸能と先端技術の組み合わせという面もありますが、ほかの短篇は人間の心の動き・感情が主たるテーマだと思えますけれど、「千鳥の道行」は踊りの型を寸分違わず真似られる木偶助ロボットが踊る時、もとの踊り手の情感が込められるかどうかが勘所のように思いました。
>  これは、〈小説宝石〉を中心とした作品集なので、よけいに日常寄りに設定しています。〈小説現代〉中心の『おまかせハウスの人々』と似たテイストですね。中間小説誌を読む世代の人たちにも、難なくSFを受け入れてもらえるように、卑近な話題をちょっとひねってみました。
 で、隠してあるところへのお返事ですが……ごめんなさい、その「異色」の感覚が自分では判りません(笑) 踊りの型には自ずと情感が顕われる、という事実と、それを四角四面に伝えてしまうロボットがいたらどうなるか、というSFネタとを組み合わせて、いつものように「人間を書く(苦笑)」つもりでしたので……。
雀部 >  その「踊りの型には自ずと情感が顕われる」というところが、私のような門外漢には自明とは思えなかったのでした(汗;)
>  うちの踊りのお師匠さんには、よく「役者と違うんやから、肚(はら)で」と言われます。大衆演劇の人は、舞いながら笑ったり流し目を使ったりしますよね。それは舞踊家としてはやりすぎ、ということです。肚で思って演じていると、自然と動作に芝居が滲み出てくるんですよね。
 師匠なんかすごくて、幻視させられる感覚があります。ちょっと身体をひねって見上げるだけで星を、きょきょきょ、と目を左右に使うだけで飛び立つホトトギスを、目の当たりにしてるような感じなんです。
 「吉野山」でも、静御前はきりりとした強さと不安、狐忠信は「静は上司(義経)の愛妾」という気持ちで身分の上下をわきまえて舞わないと……。有名な「立雛(たちびな)」の型をとったあと、忠信がすすっと屈んで身を引くのも、「いやいや、遊びとはいえ夫婦雛になるなんて、とんだ失礼をば」という感じがでないといけません。
雀部 >  う〜む、踊りも深いなあ……

*  *  *

雀部 >  さて、SFマガジンで“美容+医療=コスメディック”をテーマにした連作短篇、楽しみに読んでます。これが完結するとハヤカワSFシリーズ Jコレクションから出版されるんですね。生命体のディスプレイは、生存競争と切っても切り離せない関係にあると思うので、そのディスプレイ(化粧とか装飾)を知性で行うようになった人類の行く末はどうなるかとワクワクしてます。
>  大きな話にする予定なのですが、身近な化粧を扱っているもので、なかなかいいジャンプができません。終盤に向けてなんとか綺麗にもっていきたいんですが……。
 化粧については、7年くらい、専門誌を買い漁っています。いや、ほんと、面白いです。科学と美学と技巧とが合わさって、複雑怪奇な面白さです。テロメアをどうのこうのする、なんていう無茶な宣伝広告があったりして、トンデモ系のアンテナまで鋭くなります(笑)
 私のこの作品も、トンデモを納得させる型が必要なので、ばからしいと言われないように、でも大きくジャンプするように、バランスを取って書き進めていきたいと思っています。
雀部 >  私も最近『美容整形と化粧』という本を読みまして、お〜そうなんだと認識を新たにしたところです(笑)
 化粧とか美容整形は、社会に普及している典型的な女性美に合わせるように身体を設計する行為だと言われ、「社会による美の神話」が女性たちに押しつけられた文化現象という一面があると思います。そして菅さんは、女性自身が心からが望む化粧のあり方を描こうとされているのではないかと。
>  化粧は誰のためか、というのが一番興味深いところです。
 他の人に「綺麗」とほめられれば嬉しいのは当然。無人島でも道具があれば化粧をする、という心理も判る。でも、鏡がなかったらどうするんだろう。自分で自分の評価すらできないのに、果たしてファンデーションを塗りアイシャドウをつけるんだろうか、などなど、いろいろと考えてしまいますね。
 あと、化粧品は多かれ少なかれもともと身に持っていない化学化合物なので、それを付ける行為をどう感じるか。ナチュラリスト神話はどうなのか。
 最終的には、民俗学的な意味での身体変工とは?というところへ持って行きたいと思っています。
雀部 >  楽しみに待っております。
 最後に、近刊予定とか現在執筆中の作品がございましたら、お教え下さい。
>  ないんですよね、これが(涙) SFマガジンだけ、って感じで。
 長篇の書き下ろしは、生活パターンからしてなかなか手が着かず、雑誌は不況のアオリか注文が減っているという悲しい事実。先日も、推理作家協会の懇親会で、仕事ください、と頼みまくって来ましたが、編集さんたちは目をそらすばかりでして(涙)
 どうかもっとたくさん書けるように、と私自身が神様にお願いしているところです。
雀部 >  ありゃま(泣)
 大勢のファンの皆さんもお願いしていることですし、神様どうかよろしくお願いします。


[菅浩江]
1963年京都府生まれ。高校在学中の'81年、<SF宝石>誌に短篇「ブルー・フライト」でデビュー。数年のブランクの後、'89年第一長編『ゆらぎの森のシエラ』で活動再開。'91年の『メルサスの少年』で第23回星雲賞、翌年「そばかすのフィギュア」で第24回星雲賞を連続受賞。2000年の『永遠の森博物館惑星』で第54回日本推理作家協会賞、第32回星雲賞を受賞。
[雀部]
細やかさと情感を兼ね備えたコアSFを書かれる菅浩江先生の大ファンです。
以下のサイトも参考にしました。
菅浩江講演会 立命大ミス研


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