Author Interview
インタビュアー:[雀部]
「枝角の冠」
  • 琴柱遥著/山本和幸装画/大森望解説
  • ゲンロンSF文庫
  • Kindle版385円
  • 2020.6.10発行

その群れは多数の女とたった一人の“父”から成っていた。“父”は女とちがい、全身が分厚い毛皮で覆われ、頭上には枝角を冠のようにいただいていた。“父”は年老いると女たちを殺しはじめるため、群れの最も強い女が男となり、年老いた“父”を殺して新たな“父”となるのだ。ある時13歳の少女ハイラは、自分の群れの“父”ではない若い男と出会う……。

『ゲンロン11』
  • 琴柱遥著「人間の子ども」所載
  • (株)ゲンロン
  • 2500円
  • 2020.9.15発行

遺伝子操作による出産が一般的になった未来。エンハンスメント処置を受けて生まれた“うつくしいこども”であるナクラ・サンユーは、ある使命を帯びて、非ヒト母胎による出産を請け負うファームの施設がある南太平洋の島を視察に訪れるが……。(琴柱遥著「人間の子ども」)

雀部 >

今月の著者インタビューは、「枝角の冠」で、第3回ゲンロンSF新人賞を受賞された琴柱遥先生です。

琴柱先生初めまして。ゲンロンSF新人賞を受賞おめでとうございます。よろしくお願いします。

琴柱 >

はじめまして、どうぞよろしくおねがいします。

雀部 >

「枝角の冠」の大森先生の解説に“講座の課題作として提出した素っ頓狂な歴史科学ファンタジー「四国狸の化して恐竜となる話」がSFマガジン塩澤編集長の目に止まり、講座受講期間中に、改稿した「讃州八百八狸天狗講考」がSFマガジン(2019/6月号)に掲載されて商業誌デビューを飾った”、“私見では、SFマガジン掲載版よりこっちのほうが面白い。”と書いてありました。

同じく私見(笑)ですが、完成度のSFマガジン掲載版、ぶっ飛びパワー炸裂の講座課題作というところなのかな。どちらが好きかというと大森先生と同じく後者かも。

同作は、谷崎潤一郎の随筆「天狗の骨」と、これを題材とした短編「覚海上人天狗になる事」を下敷きにされたみたいですね。

琴柱 >

「四国狸の化して恐竜となる話」は該当回の講師を勤めていた小川哲先生にもずいぶん褒めていただいた思い出深い作品です。私は元々笑えるSF小説が好きで、ゲンロンに来る電車の中で吹き出しそうになったと聞いたときは本当に嬉しかったです。

冒頭についてはたまたま開いた谷崎潤一郎の全集を開いたときに、恐竜の頭の骨らしきスケッチを見つけて「これだ!」と思いまして。谷崎潤一郎と恐竜という組み合わせが面白くて、これなら一本お話が書けると思いました。

また本作は「ティラノサウルスと最も近い鳥類はニワトリである」というお話をどこかで聞いており、だったらティラノサウルスも食べたら美味しかったんだろうか、というアイディアからスタートしています。なのでラストはティラノサウルスを水炊きにして食べることも決定しました。

頭は谷崎潤一郎、ラストは恐竜の水炊きでインパクトがあるのですが、中盤は恐竜の進化を追いかけるだけという比較的単調な展開。中弛みしやすい内容だと感じたので、主に江戸期の奇譚集を参考にできるだけ多くのエピソードを作って詰めこんでいます。

雀部 >

おっとそういえば、ペンネームの由来は谷崎潤一郎先生の『春琴抄』だと書かれてました(汗;)

「讃州八百八狸天狗講考」では、“その奇妙な経験について聞き書いたというものが、香川県倉敷市象山寺に『讃州八百八狸天狗講』という名で残されている”としれっと書いてあり、なんじゃこりゃと笑ってしまいました(倉敷の隣の市に在住)

虚実をないまぜた半村良先生の伝奇小説を思わせる出だしに魅了されました。

琴柱 >

象山寺についても、戦国時代末期、別当を勤めていた金剛坊宥盛という人が後に天狗になったというお話がありまして、だったら天狗つながりの伝承が他にも幾つもありそうだし……というラインで、六割ぐらいはあるかも、四割ぐらいは完全なホラ、という具合で、説得力のある与太話をしようと努力しました。

何より地元の方が何かの拍子で見たときに笑ってもらいたいなぁと思っておりましたので、目標が達成できていたようで嬉しいです。

雀部 >

確信犯ですね(笑)

与太話かつ大法螺吹き感満載で、面白うございました。

第六回の課題作は、「いとしき我が子」ですね。約二年間の寿命しかないファベルジェ・ドールの少年の心の機微が悲しくも美しい作品でした。

「ファベルジェ」というとそれだけで、精緻で美しい造形と動きが想像できます←本当に想像出来たのかは議論の余地ありですが(笑)

敢えて有機物を排除し(ウェット感を排除)、ドライでクールな心を持つ少年だからこそあのラストの選択が感動を誘うのだと思いました。

琴柱 >

ファベルジェ・ドールは現在のブランドウォッチメーカーが愛玩用アンドロイドを作るとしたらどういったコンセプトの作品を作るのだろうか、というイメージで考え出した存在です。なのでコンセプト段階だと名前がオメガだったりブルガリだったりとかなり迷走していました。ちょっとマイナーな名前がいいなと思ってプレゲだったりヴァシュロン・コンスタンタンだったりして……

雀部 >

時計には疎いんですけど、マイナーといっても、そこらへんの有名どころはかろうじて知ってます(汗;)

ということは、ミューレ・グラスヒュッテのマリナスから主人公の名前をですね。

琴柱 >

私はジュエラーウォッチを見るのが好きなんですが、現代における機械式腕時計というのはかなり矛盾した存在だと思っています。

皆がスマホを持ち歩くようになって腕時計を付けない人が増えた一方で、数百万円、数千万円もするような時計が毎年発表されている。それも一度ねじを巻いたら10日間動き続けることができるとか、内部に小さな鐘を内蔵していて15分に一度音がするとか、そういった難しいことを腕時計にやらせるためにアナログで精緻な機構を発表し続けている。時間を知るという機能からかけ離れたところに存在する時計って、退廃的な存在だと思うんです。

だったら今の時代はこれから必要とされていく技術であるロボットも、ある段階を通り過ぎたときにそういったものを生み出してしまうんじゃないかな、と。

それが時計の場合は何も考えていないからいいけれど、もし意思のある存在だったら、『あなたはアンドロイドだけれども、アンドロイドとしての機能は期待されていないよ』という本人にとっても耐えがたい在り方をしたものになってしまうんじゃないか。たしかにお前は無意味で矛盾した存在だけれども、高価で大切にされていて、周りからも愛されているんだからそれでいいじゃないか、という方向に人格を蔑ろにしてしまうんじゃないか、という話だったんです。

雀部 >

なんと、「いとしき我が子」の物語が、現在の機械式の腕時計のありようから出来上がったとは想像もしませんでした。

第七回が上記の「四国狸の化して恐竜となる話」で、第九回の課題作は「夜警」でした。

SF読者には、一番のお薦め作品。めくるめくような想像力の魅力とラストの抗いがたい静謐な哀しみが胸をうちます。「内容に関するアピール」で“またモチーフとして、人間が暮らしていた最小の環境の一つである『燈台守』を用いようと思います。”と書かれていますが、その最小の環境から宇宙の広大さと人間のちっぽけと儚さを想起させる手腕は大したものです。

アイデア的には、ル・グイン女史や恩田陸先生、初期のディック御大あたりを思わせますね。

琴柱 >

ル・グインの短編小説「セムリの首飾り」が好きなのですが、そう言われてみれば影響を受けている気もしますね。短ければ短いほど大きなものを感じさせてくれるのがSFの短編だと思っています。

雀部 >

「セムリの首飾り」(『風の十二方位』所載)読み返しました。短い方が大きなものを感じさせるというのは、読者の資質にもよるのでしょうけど。

「最終課題:ゲンロンSF新人賞【実作】」は今のところは読めるんですが、最後の「内容に関するアピール」に、“にも拘わらず、性別を問わない読者が私の作品を面白がってくれるのだとしたら、それが一番SFなんじゃないかなあ、と今は考えています。”と書かれてました。

なるほど、そういう見方もありますか。まあSFは、性差を問うような作品もありますが、性差を超え人間とか人類とか、さらには知的生命体とは?に関して考察する名作も数多くありますから。

どんどん書いて下さいませ(笑)

琴柱 >

あれは実はサクラダイの話なんです。サクラダイは群れの中でも小さな個体が牝で、大きな個体が牡。成長するにしたがって性転換をするという生態を持っている。

魚の考えていることは人間には分かりませんけれども、人間がそういう生態を持っていたらそれに適応した社会を作るだろう、でもやはり社会の在り方に悩みや苦しみもあるだろう、という話であって、人間ではないエイリアンの話であってはいけなかった。

お魚とか宇宙人とかそういう不思議な生き物がいるんですね、ではなくて、私たちがそういう存在であったときにどういった生き方をするのか、という話を書きたかった。

内容のアピールについては同人小説を書いてきた人間のひねくれだと思ってご容赦ください。

雀部 >

それは非常に正統的なSFの手法だと思います。←人間がサクラダイのように成長するに従って性転換するとしたらどういう世界(心理とか生活とか諸々)になるか考察する。

言ってみれば親殺しの話でもあるんですけど、それを超えて、力強くかつ耽美的でもあるという不思議な魅力がありました。

琴柱 >

根が恋愛小説だと思って書いていたので、少し毛色の違った作品になったのかもしれません。

私は同人小説を書いたことを隠さないでSF創作講座に参加して、プロ志望の受講者との間に感じる差をあれこれと煮込む中でSFを書くことに向かい合ってきました。実はBLの中にはSF的な作品もよくあるのですが、百合SFというものはあってもBLSFというものはありません。

BLはそれだけで一つの枠に囲い込まれてしまう存在なので、そこで何を考察し、何を書いたとしても、問いかけだとあつかわれることもない。変わった趣味を持つ女性のために書かれた特殊なフィクションだよね、で片付けられてしまう。

ところがそこでBLと名乗らないで小説を書くと、ずっと真剣に内容を考察して読んでもらえるんです。女性ですと名乗ってBLを書いていますと自己紹介をするのか、それとも特に性別を明かさず過去に何を書いてきたのかも言わないのとでは、どう読まれるのかがまったく違う。

じゃあ女性でBL書きの私が性愛を題材としたSFを書いたらどう読みますか、というコンセプトがあった。

雀部 >

面白ければ何でも歓迎ですね。女性ならではの視点もあるし、BL作家ならではの視点もあるし、他の人が書いてないBL系SFも書いて下さいませ。

まあ紹介の仕方もあるだろうし、SFも出版業界でSF小説と銘打つと売れないと言われた時代が長かった(今もそうかもですが)ので……(汗;)

琴柱 >

ひょっとしたら少し似ているのかもしれませんね。これはSFの話ですらなくなってしまうのですが、明治・大正の文学者が「羽織ゴロ」と呼ばれて蔑まれていたり、昭和に入ると推理小説が「子供だまし」だったり。SFが文学ジャンルとして受け入れられたように、BLも当たり前の存在になって誰も意識しない時代がくるのかもしれません。そういう時代には価値観がどう変化しているのか楽しみでもあります。

雀部 >

私の年齢では、そういう時代を見ることは難しいか(汗;)

百合SFの大御所というと、森奈津子先生には、度々インタビューさせて頂いてます。

BL系は、私もほとんど読まないのですが、『WEED』『WELL』(木原音瀬著)とか、SF系BLだと、『青の軌跡(上・下)』(久能千明著)あたりを読んでます。

琴柱 >

実は森奈津子先生には二次創作を書いていた時代にツイッターで作品を褒めていただいたことがありまして、そのおかげで「私にもまともな小説が書けるかもしれない!?」と舞い上がってしまい……結果的にここにいます。流石に森先生もおぼえていらっしゃらないとは思いますけれども、大きな励ましをいただきました。

BLとSFの比較については、『宇宙人が出てくるかタイムスリップをするか地底世界に行くかをすればSF』だった時代にはすこし似ていたかもしれません。今はSFというジャンル自体が拡散しているので事情が違うかも。

雀部 >

スペオペ華やかなりし頃のSFですね。まあ地底世界に行くのは少数派だと思いますが(笑)

あと、中島梓(栗本薫)先生のBL小説とかも読ませていただいております。

ちょっと話が逸れますが、BLの立ち位置はSFと似ている様な気がしてまして、ミステリBLもあればSFBLもあるし、冒険BLも当然ありますよね。どんなジャンルでもBL小説にできてしまうという。

琴柱 >

栗本薫先生は中島梓名義でやおい評論を複数発表しています。その中ではやおいは男子同性愛の話ではなく、非-女性による性愛を扱ったものだという定義を上げられていて、じゃあ非-女性というのがなんなのかと言われると分からない。

『宝石の国』というポストヒューマンSF漫画では、メインとなる種族は皆無性であるとされています。ただ服装だけを見ればギムナジウム物の少女漫画らしさもあるし、可憐な少女のような姿をした登場人物の一人称が「ぼく」であったりもする。BLが書いているものは常に男子同性愛なのですが、同時に中島梓が提唱したような非-女性という概念もどこかに含まれている。

こういうことを考えているから、わたしは結局SFを書いているのかもしれません。

雀部 >

そういう概念は、確かにSF的であるといえると思います。

さて、もうお一人ゲストの作家さんにもご登場願いましょう。前回「推しの三原則」でインタビューさせて頂いた進藤尚典先生です。

最近、宇佐見りん先生の『推し、燃ゆ』が話題になってましたが、“推し”の元祖の進藤先生の新作は順調にお進みでしょうか?

進藤 >

どうも進藤です。あいにく今のところ新作の予定はないのですが、構想はいろいろとありますので、オファーお待ちしております(笑)

雀部 >

オファー、よろしくお願いします。>出版社各位さま

進藤先生は、琴柱先生の物語のなかでは、どの作品が一番お好きでしょうか。

進藤 >

琴柱さんはどの作品でもそうですが、ひとつひとつの文が精密でとても綺麗なのですよね。それでいて各キャラクターも立っているし、ストーリーも面白い。

まさに完全無欠なのですが、最新作の「人間の子ども」ではそれにさらに磨きがかかっていて、特にストーリーの語り方が素晴らしくなっています。

少し読むだけで引きつけられて、先を読まずにはいられなくなる物語が出来上がっていて、とにかく凄いなコレ。という作品です。

琴柱 >

ありがとうございます。実は「人間の子ども」はゲンロンSF創作講座の最終回で飛浩隆先生にいただいた指摘を意識した作品でした。閉じた世界の中での少年少女の葛藤の物語ではなく、より大きな世界の変容に対してアプローチするようなものを書きたかった。

テーマに引っ張られて物語性を失わないように気をつけていたので、成功しているとしたら嬉しいですね。

雀部 >

進藤先生、ご参加ありがとうございました。

最新作の「人間の子ども」(『ゲンロン11』所載)は、将来起こりうる受精卵の選別や豚の子宮で育てた人間の胎児の問題が扱われています。今でも血液検査でダウン症児の生まれる可能性が判定できますが、非常にデリケートな問題ですよね。

エンハンスメント処置で生まれた子たちや、その他の従来の妊娠→出産を経ずに生まれ来る子どもたちと、どうやって折り合いを付けていくか、未来で起こりうる変革を小説の形で多くの人に読んでもらいその心構えの基礎を作るというのもSF作家の役割の一つではないかと思っています。

琴柱 >

「人間の子ども」は実は着床前の胚を主人公にした作品が書きたいと思って手がけた作品だったんです。産まれたいとか産まれたくないとか選択肢もないうちに人生が決定してしまう。他人に決定されてしまった人生を生きていかないといけない人々が、どうやって自分と和解すればいいのかというお話でもありました。

雀部 >

え、それは全然気が付きませんでした(汗;) ものすごい問題提起でもありますね。

琴柱 >

二十年前、四十年前のSFを読んでいると、その当時、どのようなテクノロジーがどのような問題を引き起こし、どんな形の希望と不安を生んでいたのかが見えてハッとすることがあります。

例えば私は深刻な大気汚染や水質汚染を経験したことがない世代ですし、核の冬にリアリティや恐怖を感じたこともありません。それでも当時のSFを読むとどのような問題が当時存在していたのかを感じることが出来るし、解決するために力を尽くした人々がいるから今だと過去の問題だと思うことができるようになっているのだとも理解できる。

そういう意味だと今回の作品は、古典的かつ直球のSFだったと思います。

雀部 >

確かに。

琴柱先生は、作風からいうと栗本薫(中島梓)先生を思い起こさせるところがあるので、どんどん骨太のSFも書いて欲しいと思います。

最後になりますが、大森先生によると「枝角の冠」の続編に当たる中篇二作を書き加え、ゲンロンから単行本化されるそうですね、進捗状況はいかがでしょうか。

琴柱 >

進捗についてはもう少しお待ちください、と言わせてください。ただ同時にそろそろ別のお話も書きたいので、別のお仕事も募集しております。よければ連絡をください。

雀部 >

出版社の編集部の皆様、よろしくお願いいたします。

今回はお忙しいところ、インタビューに応じていただき誠にありがとうございました。

[琴柱遥]
青山学院大学文学部教育学科・日本宝飾クラフト学院宝石学部卒。ペンネームの由来は谷崎潤一郎『春琴抄』より。
[雀部]
骨太のSF+やおい要素とくれば、どうしても栗本薫(中島梓)先生を思い出しますね。
小松左京先生ばりの、本格大長編SFも読んでみたいところです。