【収録作品】 「もしもぼくらが生まれていたら」「されど星は流れる」「冬にあらがう」 「星海に没す」「銀河風帆走」
1913年竣工、現存する日本最古の学生寮、京都大学吉田寮寄宿舎。
学生自治寮として長い歴史をもち、また建築物としても価値をもつ吉田寮と、そこに生きる寮生たちの”今”、この時をとらえ、伝え記録する。
※ 宮西建礼先生著者インタビュー関連本(書影が表示されない方、その他インタビュー中に出てきた書籍の情報はこちらから。サイン本の画像もあります。)
冒頭の「もしもぼくらが生まれていたら」は、高校生たちが主人公ですが、彼らが応募しようとした「衛星構想コンテスト」は、「衛星設計コンテスト」がモデルではないかと思いますが、宮西先生は応募されたことがおありでしょうか。もしくはアイデアを考えられたことがあるのでしょうか。
主な受賞作品として、2017年度には高知高専の「折り紙ソーラーシステム衛星『OS3』」がアイデア大賞を受賞してます。
記憶がやや曖昧ですが、衛星設計コンテストの存在は「もしもぼくらが生まれていたら」を構想している最中に知ったと思います。当時「ヤルコフスキー効果で小惑星を動かす宇宙機」のアイデアはすでに考えついていました。
もし自分が学生で、主人公たちのように宇宙技術者を目指していたら、そのアイデアで応募していたかもしれません。非常に高レベルのコンテストなので簡単に勝ち抜けられるとは思えませんが。
ちなみに「もしもぼくらが生まれていたら」を発表したのは2019年ですが、このアイデアを思いついたのは2013年ごろでした。ただ、その時点ではアイデアを活かせるストーリーには思い至らず、長い間、引き出しにしまわれていました。
ヤルコフスキー効果については、初めて詳しく知りました(汗;)
放射圧とは違うのですね。
ややこしいのですが、ヤルコフスキー効果は放射圧とは微妙に違うんですよね。放射圧とは、物体に衝突した光(光子)が物体に与える運動量のことです。太陽光の放射圧(太陽輻射圧)は太陽系のあらゆる天体に対して「太陽と反対の方向に押しやる力」、「太陽の引力を相殺する力」としてつねに作用しています。そのため、天体はあたかも太陽の引力が弱まったかのように運動します。小さい天体ほど影響は大きく、例えば彗星の尾がたなびくのは彗星から放出された砂粒やチリが太陽輻射圧によって流されるためです。太陽系外まで吹き飛ばされることさえあります。
しかし小惑星は比較にならないほど巨大なので、影響はごく小さいです。ただし小惑星の表面の形状やアルベドが不均一のとき、太陽輻射圧(など)が小惑星の自転運動を変化させることがありますが、これはYORP効果といってヤルコフスキー効果とは区別されます。間違いがあったら申し訳ありません。
なるほど、小惑星の公転軌道に変化を起こす要素は色々あるのですね。
ちなみに小惑星も、わずかではありますが太陽輻射圧の影響を受けます。太陽輻射圧があることで、小惑星はほんの少し太陽から遠ざかり、公転周期も伸びます。しかし注意したいのは、太陽光を浴びれば浴びるほど、太陽から遠ざかっていくわけではないということです。大きなサイズの天体はそのように振舞います。
そうなのですね。
どうも私のような素人は、彗星の尾などからの推測から、常に太陽からの輻射圧は作用しているものと思ってました(汗;)
これまたややこしいのですが、どの天体にも太陽輻射圧はつねに作用していて、以前より太陽を公転している天体は、その作用を(すでに)織り込んだ軌道を回っているという表現のほうが分かりやすいでしょうか。
彗星のチリは新たに生じた天体ですから、もとの彗星の軌道から、太陽輻射圧の作用を織り込んだ軌道へと遷移していくわけです。
太陽系の天体は、既に太陽輻射圧を織り込んだ公転をしているということですね!(汗;)
「冬にあらがう」も世界的な危機(食料枯渇)に高校生たちが立ち向かう話ですが、最近よく話題になる地球温暖化ではなくて「火山の冬」を背景とされたのはなぜでしょうか。
地球温暖化ネタは次回作のためにキープ中です。食料枯渇の原因としては、国家有事(シーレーン封鎖など)ももっともらしいと思いましたが話が生々しくなると判断し、「火山の冬」を選びました。小規模なものなら数十年に一度は起きますし、食料生産における現実的な脅威です。
失礼しました(笑)>次回作のためにキープ中です。
お母様の蔵書に『月は地獄だ!』(1951、ジョン・W・キャンベル著)はあったのでしょうか。食糧問題というと映画『オデッセイ』(原作:『火星の人』)が有名ですが、オールドファンは『月は地獄だ!』を思いおこします(笑)
その本は実家にはなく、ぼくも読んだことはありません。調べてみると、大変面白そうなあらすじですね。今度読んでみようと思います。
『月は地獄だ!』は相当古めかしいです(汗;)
食料問題、合成食料と聞いて、ぼくが連想するのはアーサー・C・クラークの「神々の糧」ですね。
空気や水、岩石などの無機物から食料を製造することが可能になり、生き物の生命を奪う必要がなくなった未来世界で、アンブロシア・プラスという新発売の合成食品が大ヒットします。が、特殊な成分が含まれているわけでもないのに、どうしてそれほど美味なのかという疑問が持ち上がり、研究者が調査したところ驚愕の事実が...というお話です。オチは大多数の読者の想像通りで、「冬にあらがう」の作中でも少し触れました。クラークの短編には変なお話も多いですね。
オチは『ソイレント・グリーン』(1973)のあれでしたね(原作は『人間がいっぱい』(1966)ですけど、内容は相当違う)
「神々の糧」は『太陽からの風』(1972)収録ですが、この短編集にも変な話が多いです(笑) でも、ファーストコンタクトものの傑作「メデューサとの出会い」や、太陽風ヨットレースを扱った「太陽からの風」も収録されていたので傑作短編集です!
『太陽からの風』の収録作の「大渦巻II」も素晴らしいです。マスドライバーで月から地球に帰還しようとした宇宙旅行者が、マスドライバーの不具合で誤った軌道に投入され、生命の危機に陥るお話です。管制室に指示された“解決策”が物理学的に無理がなく、同じシチュエーションで実際に有効かもしれないことは驚くべきことです。物理現象をそのまま物語に昇華させた、ハードSFの教科書のような作品ですね。ぼくの作風にもかなりの影響を与えていると思います。
そうだ、これも面白かったです。でも、これはそもそも最初救出をあきらめかけた管制が悪い(笑)
星野之宣氏の『2001夜物語』収録の「大渦巻Ⅲ」は、題名からしてオマージュ(続編?)ですよね。
星野之宣氏の 「大渦巻Ⅲ」はあいにく読んだことはないのですが、『星を継ぐもの』のコミカライズは非常に面白かったです。
ちなみに、『太陽からの風』と出会ったきっかけは、妹が学校図書館の除籍本を持ち帰ってきたことでした。
元図書館所蔵の古本を買ったことがありますが、あれは除籍本というんですね(汗;)
そうやってSF好きな人の手元に渡れば、手放した図書館司書さんも本望でしょう。
「冬にあらがう」の作中にもAIの「パインちゃん」が登場しますが、Microsoft Bingに「セルロース高分解菌とは?」と聞いてやると出てきた“—微生物糖化法で糖化酵素に要するコストをゼロに—”なんかもなかなか有用そうですね。
アニマ・ソラリスでも、イラストにAI作成のものを使わせて貰っています(アニメ・チェックリスト等)
ロボットが発達・増加してくると、人間は労働をしなくても良くなり、芸術とか趣味・娯楽を心置きなく楽しめるようになると言われていた時期もあったのですが、どうも音楽とか美術・小説等々はAIがやってくれて、人間は肉体労働だけしていれば良い時代になりそうです(笑)
大長編ドラえもん「のび太と鉄人兵団」を思い出します。異星のロボット文明が人間を奴隷にするために地球を侵略するお話ですが、小学生のぼくは「高度なロボット文明が人間の肉体労働者を欲しがるのは非効率だ」と感じましたが、どうやら藤子先生が正しかったようですね。思いがけない未来へと足を踏み入れてしまいました。
いやそれは小学生とは思えない凄い感想です>“小学生のぼくは「高度なロボット文明が人間の肉体労働者を欲しがるのは非効率だ」と感じました”
「星海に没す」の冒頭あたりに“AGI(超知能AI)が、サンシェード衛星群を崩壊させて地球の気温が異常上昇した”とありましたが、これは「火山の冬」後、また地球が温暖化傾向に陥ったということなのでしょうか。
そういうことですね。「火山の冬」で地球の気温が一時的に低下したとしても、大気中の温室効果ガスはそのまま残ります。五年か、十年も経てば上層大気の火山性エアロゾルが減少し、地球はまた熱くなっていきます。そのときに団結して問題に対処できればよかったのですが、作中の人間たちは争うばかりで地球の荒廃をいっそう加速させてしまいました。
そうか、元凶のガスが減ったわけではないので一時的な「火山の冬」なんですね。
「星海に没す」は恒星船同士の戦闘を扱った作品でもあるわけですが、超高速で運動する宇宙船同士の戦闘の困難さは昔から指摘されていましたが、裏の裏までよく考察されていてワクワクしました。なかなかアニメの戦闘シーンのようにはいかない(笑)
この作品を執筆するにあたり、リアルな宇宙戦闘について勉強しました。大いに参考になったのは、SF考証家の川村巧さんが翻訳・出版した、ケン・バーンサイド氏の著作「熱い方程式:熱力学とミリタリーSF」、「コンディション・ズールー:宇宙戦闘における兵器と防御」の二冊です。(大変平易で、オンラインショップで購入できます)
そして再確認したのは、リアルさにこだわるほど、宇宙戦闘は地味になるという事実です。しかし地味なのはしょうがないにしても、読者を退屈させるわけにはいきません。リアルさと面白さを両立する方法を頑張って考えました。
例えば、戦場を恒星間宇宙に設定し、衛星軌道上や惑星間宇宙では避けては通れない軌道力学の複雑な問題を排除しました。直線的な追いかけっこの構図なら、宇宙SFに馴染みのない人でも理解しやすいだろうという狙いもありました。
AGIの挙動なのですが、「星海に没す」の主人公AGIとサンシェード衛星群を壊滅させたAGIには何か共通する深遠な思惑(プログラム?)があるのではないかと感じました。
“こういう理由で実は人類に利する計画だった”とかの続編がありませんか?(笑)
そこまで考えてなかったです。
人間たちがAGIの根絶を決意したきっかけの“AGIの反乱”については、「仮想環境に閉じ込められ、研究材料にされていたAGIが、人間たちに仕返しをした」のではないかと個人的に推測しています。とはいえ作中で明言はしていませんし、他の解釈があってもいいと思います。
『銀河風帆走』のどの短編も好きなのですが、一番というと流星同時観察を扱った「されど星は流れる」なんです。新型感染症が蔓延する中で、高校生たちが太陽系外からの流星を観測しようとする話なのですが、地上にいながら、広大な宇宙を感じさせてくれる素敵な作品でした。シマックの『中継ステーション』なんかもそうですね。自宅の周囲から離れることなく、宇宙の広大さを感じさせます。
一般の方にとって、日常生活において宇宙を意識することはまれなことだと思います。ただ、ぼくは子どもの頃から家のベランダから流れ星を探したり、近所の公園や天文台で天体観測をしたりしていました。
星々は非常に離れてはいるものの、自分がいる場所と時間的・空間的に地続きであるという感覚があります。“ここ”も宇宙の一角だということです。「されど星は流れる」を執筆するにあたって、その感覚を読者とシェアし、読者の意識を地上から宇宙へ拡張することを一つの目標としていました。
ですねえ。子どもの頃は、わりと夜空を見上げたり星空が綺麗だなと思ったりすることも多いと感じているのですが、ぜひ大人になってからも宇宙との繋がりを感じて欲しいですね。
そう言えば、著者インタビューで高校の天文部の顧問の先生と、元部員(当時大学生)に参加してもらったこともありました。『最新 宇宙学』と『ブラックホール天文学入門』なのですが、高校の天文部ってもの凄く専門的な観測もやっていて驚きました。なので、ミユと先輩の流星同時観測は極めて身近に感じられて……
自然科学の進歩は日進月歩ですが、一方で分野の細分化や専門化も進んでおり、アマチュア(非専門家)が自然科学の最先端を学び、その発展に貢献することは過去のいつよりも難しくなっています。天文学も例外ではありません。
数十年前まで、彗星や小惑星の大多数はアマチュアによって発見されていましたが、今ではパンスターズ(Pan-STARRS)や小惑星地球衝突最終警報システム(ATLAS)などの大資本の学術プロジェクトによって発見されており、アマチュアは先を越されがちです。
とはいえ宇宙は広大で、多くの未知を秘めていますから、アマチュアが活躍する余地はまだまだ沢山残されています。流星同時観測はその好例ですし、最近では低緯度オーロラの観測や小惑星捜索アプリ"COIAS"などでアマチュアの"市民科学者"が業績を上げました。未知を探究したいという意志が何よりも大事なのだと思います。これからも沢山の市民科学者が現れるといいですね。
そういえば、市民が参加する「SETI@home」は休止中でしたっけ。一般の人たちのPCの空き時間を利用して、スーパーコンピュータに匹敵する計算量を確保するという意味では画期的な試みだったと思います。
SETI@homeは高校のころに試してみましたが、パソコンのスペックが貧弱すぎて高すぎる負荷にフリーズしてしまいました。専用のパソコンを組んで挑戦していた人も大勢いらっしゃったそうです。
近年、この種の分散コンピューティングプロジェクトは下火になってはいるものの、Einstain@homeなど、いぜん活気づいているプロジェクトもあります。
全く知りませんでしたが、Einstain@homeは、中性子星(連続重力波源)の検出のプロジェクトなんですね。
「解体者」は、どうも重力を自由にコントロールしているようにも見えるのですが、その実体は無理としても、痕跡くらいは間接的に観測できないかなぁ……
「解体者」については正体不明であることが物語の都合上重要であるので、作者の頭の中にもおおまかな設定しかありません。
「銀河風帆走」の宇宙には重力以外で通常物質と相互作用できないミラーマターが多く存在しており、解体者はミラーマターで構成される"生物"です。重力を自在にコントロールし恒星さえ動かすことができますが、自分以外の他人や世界に無関心で、自己が永遠に生き続けることにのみ価値を見出しています。それが遠い遠い未来の宇宙の終焉をおそれて、(人工合成した)超大質量ブラックホールの特異点から別の宇宙に脱出しようとしているのです。これがエトクやレラたちの銀河で起きている“異変”の真相です。
なんとミラーマターの生物ですか。それは、『宇宙消失』の「バブルメイカー」くらいぶっ飛んでますね。人間との相互理解は難しそう(汗;)
作中の人間たちも何万年も先の銀河の崩壊に備え、銀河を脱出しようとしているのですから「解体者」との相似はかなりのものです。人間たちも「解体者」のような“生物”に近づいているのかもしれません。
想像の埒外の“解体者”と未来の人類とでも、結局やっていることは同じなのか(汗;)
ところでもしも、この宇宙のどこかにミラーマターでできた恒星や惑星があるのなら、重力マイクロレンズ法で間接的に観測できると思います。遠くの恒星の手前をミラーマター星が通過したとき、ミラーマター星の重力の影響で奥の恒星の光がねじまげられ、明るさが時間経過に応じて変化するはずだからです。
ミラーマターもダークマターも、今の所間接的にしか観測の見込みがないのですね。
「銀河風帆走」では、ブラックホールの降着円盤からのジェットを利用して推進力を得てますが、過大な質量(恒星)を与えられた場合、それは破滅的な銀河ジェットとなって主人公たちを滅ぼそうとします。その際に臨んでのレラとエトクの会話に、宮西先生が語りたかった事が凝縮されているように感じました。
レラの“新しい人間は"大切なもの"を犠牲にすることなく幸せになってほしい”というメッセージや、タンポポが自身の遺伝子情報だけではひ弱で(共生細菌が居ないと)子孫を残せないという事実等からも、自分たちの属する世界の持続可能性や安定性の維持に総力を挙げることの重要さが示唆されているように感じました。
そうですね。現代の人間は科学の恩恵で、数百年前とは比較にならないほどの“力”を行使できます。いまや地球を荒廃させ、人間を根絶やしにすることも不可能ではありません。人間がいつまでも幸せでありたいならば、自らの“力”を自覚し、他者や世界への関心を失わないことが非常に重要だと思います。
そうですね。この世界を出来るだけ良い状態で未来に託せるように心がけます(汗;)
ところで、次回作の構想は進んでいるのでしょうか。長編には挑戦されないのでしょうか?
次回作は構想段階ですが、少しずつまとまりつつはあります。中編か連作長編を想定しています。実際に書けるかはやってみないと分かりませんが、勇気を出して取り組みたいと思います。
『紙魚の手帖』のインタビューの最後で、創作以外では“自作の翻訳や翻案の可能性を探る”とか“プロやアマチュアのクリエイターを対象に、SF考証の仕事をやってみたい”とおっしゃられていますね。
SF考証の仕事には非常に関心があります。ぼくの作風はリアリティや科学的正確さを重視する“ハードSF”ですが、たんにリアルなだけでなく、作品に深みを与えたり、作品自体の娯楽性やメッセージ性を強化するアイデアを発想するのも得意です。
その種のアイデアや専門家の助言を必要としているクリエイターの方がいらっしゃったら、ぜひ声をかけていただければと思います。納得のいく作品を作り上げるために、一緒に頭をひねりたいです。
次回作も、よろしくお願いします。