高本淳氏追悼コメント

中条卓

kan さんの訃報に接してから数日間はため息ばかりついていました (私の中では高本さんではなくずっとハンドルネームの kan さんだったので、 ここでもそう呼ばせてください)。 適切な表現ではないかも知れないけれど、かけがいのない戦友を失った感じで、 喪失感が半端じゃなかった。

kan さんとは SOLITON 創刊号以来の、いやもっと前か、 まだ名前も決まっていなかったSF同人誌の立ち上げ 準備段階からの長い付き合いでしたね。 初めは評論を書いておられたと記憶しています。 該博な知識と透徹した深い読みに支えられ、 知的なユーモアに満ちた本格的な評論で、 論客ぞろいの SOLITON 参加者の中でも抜きん出ていた。 その凄腕の論客が創作に転じてからのことは 他の皆さんが書かれているとおりで、 新たな発表の場となった Anima Solaris でも粒ぞろいの 秀作を次々と披露して読者を驚かせてくれました。 ああそうだ、読者と書いてようやく思い至った。 堀先生が書かれていましたが、 kan さんは私にとっても、 ふたりしかいない想定読者のひとりだったんですよ。 いつか会心作を書き上げたら無理矢理送りつけて、 苦笑しながら読んでもらうのが夢だったんだけどな。

私が kan さんに一番お世話になったというか迷惑を掛けたのは シェアドワールドの時でしたね。 軌道をそれた小惑星の地球への接近~衝突を阻止しようと する人類の努力~にもかかわらず起きてしまう衝突と、 その衝撃による人類の(というより地上の動物ほぼすべての) 滅亡~遠い未来における海底からの新たな知的生命体の 出現という壮大なシナリオを細部に至るまで練り上げて、 膨大な数の短編を倦むことなく書き続けてくれた kan さんがいなかったら、あれは成り立たない企画でした。 私もいくつか書きはしたけど、 私の想像力が及んだのはせいぜい近未来までで、 そこから先は kan さんの独壇場でしたね。 あの時はほんとにありがとう。 書いている間はちょっと苦しかったけど、 一緒に仕事?ができて楽しかった。

kan さんにはこの電脳網の時代におけるアマチュアリズムの 可能性を存分に見せてもらいました。 あなたの作品を読んだ人ならみんな思ったはずです。 この作者はプロなんじゃないの?  ていうか、どうしてプロじゃないの?  と。 これは推測に過ぎないのだけれど、 自分が書きたいものを書きたいように書くために、 あえてアマチュアであることを選んだのかなあと思っています。 そんな kan さんの作品を読み返すことができるのはネットのおかげ、 そして何より福田さんのおかげですね。 福田さんにも感謝、感謝です。

最後に衝撃の告白をひとつ。 実は私は kan さんに直接会ったことがないんだよね。 だから、そう遠くはない未来にまた会えた時のために 合い言葉を決めておきましょう。 もちろんそれは:「アニマ」「ソラリス」。

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