解説

西村 一

(本作品の設定)

この作品は2019年4月2日に亡くなられたDoruさんの 最後の作品である。 単なる短編集のように見えるが、過去の彼女の作品をあるテーマのもとで書き直して、全体として一つの作品となることを狙ったもの。 実は、もともと短編しか書けなかったDoruさんが、某出版社のコンテストの原稿用紙100枚以上という条件を満たすために考え出した苦肉の策である。

本作品は、「序文」にあるように、 作者である「俺」は、友人に自ら無間地獄への道を選んだ「牛頭人身の奴」という友人に深く感情移入してしまっている。 その「俺」が「奴」から聞いた無数の前世の記憶についての物語を「迷宮博物館の館長」に語って聞かせた物語、 という形式になっている。つまり、第一章の童話に登場している子供も、牛頭人身の奴の前世の記憶の一つである。 この「序文」は「後書き」と一対になっている。 つまり、序文と後書きというブックエンドの間に第一章から第六章までが並んでいる。

この序文と後書きの原文は、実はDoruさんが亡くなる3か月前の1月10日に私宛に送った自己分析の長文メッセージ、 つまり彼女の闘病記である。なので、「迷宮博物館の館長」とは仮想3D空間のアビス海文台の館長である私ということになる。 とはいえ、本作品 の第五章「博物館めぐり」の回廊が螺旋状になった博物館は、 2016年2月に亡くなった高本淳が 作った地球史と美術史のバーチャル博物館がモチーフとなっており、 そういう意味でDoruさんは語る相手として高本淳を思い浮かべていたかもしれない。

この闘病記でもDoruさんは自分を「俺」と呼んでいる。 本人いわく、自分をりょーちゃんと呼ぶ良い子で優柔不断な表層意識と、 その裏の無意識領域から時々浮かび上がるやんちゃな スサノオタイプ、 そしてそのさらに奥に潜む思慮深い プロメテウス タイプが存在するという。 これはユングが提唱した集団的無意識、 すなわち「人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域」(ウィキペディア)の中で仮定される 元型/アーキタイプである。

Doruさんにとって、自分の心のなかとは、親からの影響を強く受けて形成された表層意識に現れている元型と、 無意識領域に隠れていたスサノオとプロメテウスという対照的な性格の トリックスター的な神の、 あわせて3人の元型が制御困難なまま共存する領域であったようだ。 「序文」の冒頭は一見Second Lifeへのログインを思わせるが、 「探しても探しても正解の道が見つからない迷宮のような世界だ」とあるのは、彼女の心のなかの世界のメタファーと考えた方がいい。

この「俺」はDoruさんの元型のうちのスサノオタイプであって、本作品の「序文」と「後書き」のほか、 第二章の 「夢幻城の戦い」と第六章の「傲慢の裏の真実」にも登場する。 送られてくるメッセージの中でも「俺」で語られるものが増えたが、それはこの人格が一番楽だからだという。

もうひとつ、牛頭人身の「牛」とは、哺乳類の牛ではなく、 禅の教科書である「十牛図」の牛、 つまり自分の心のなかの制御できない元型のメタファーである。 中国の禅宗では禅の修行と悟りの境地を「逃げだした牛を連れ戻し飼いならす修行の過程」として10段階に分けて分かり易く描いて説明したという。 Doruさんはそのうち第四段階、すなわち、つまり自分の元型を見つけ出したものの制御できない状態であったという。 第二章の「夢幻城の戦い」で青年が乗っている「牙の生えた黒牛」もこの牛のメタファーである。


(滅びと輪廻)

さて、マッドサイエンティストたる「俺」の研究テーマは、進化する生物の宿命・ジレンマというものである。 そこには「滅び」が付きまとう。それは旧人類と新人類との闘争だったり、親殺し、子殺しだったりする。 これは、現生人類であるホモサピエンス・サピエンスより以前の人類がなぜ現在は生き残っていないのかという論争にDoruさんが触発されたもの。 その理由として、現代における人種差別の激しさから類推して、現生人類が旧人類を絶滅させたのだろうという説がその当時は注目されていたが、 その後、ある程度の期間、両者が共存したという例も見出されつつある。

ここで、第一章から第六章のほとんどに「滅び」があることに気付かれただろうか? 不治の病の少年、車の事故で亡くなった図書館のおじさん、 広い砂漠を渡り切れなかったお姫様と兵隊たち、最終兵器で滅びた恋人たち、息子に殺された母親、息子に殺された城主、 太って格子から抜け出せなくなったやもり、やもりに復讐された少年、優しい吸血鬼たちに駆除された人類、異星人によって太陽が改造された結果、 石化して滅びた人類と最後の一人の少年によって復讐された異星人、死の女神の邪悪なゲームに負けた男……。

旧世代が生き延びた物語はわずかしかないし、誕生を喜ぶ物語もない。 滅びたあとに別の人生が続く「輪廻」については書いているが……。 第五章の「幻想博物館」には螺旋状の回廊を持つ博物館に 『老人』、『病気』、『暴力』、『貪欲』、『混沌』が展示されている。最初、Doruさんはその最後に『誕生』を加えていたが、 結局、その部分を削除してしまった。

Doruさんは病気の治療薬で長らく想像力を封じられていた。 その治療薬の副作用による新たな病苦によって服薬を絶った結果、封じられていた想像力が解き放たれた。 それからの彼女の苦しみ、 そのような運命を強いた「神」への恨みの強さが各所から読み取れる。

しかし

「過去は(タイムマシンでもない限り)絶対に変えられない。今は全力ですれば努力しだいでどうとでもできる。未来はかなり不安定。」

と最後まで生きる希望を失っていなかった。


(エロと死)

エロだらけの本作品だが、 彼女が書くセックスは動物観察記の交尾あるいはギリシア神話や古事記の神々同士の性交のようだ。 ただし、第六章の「傲慢の裏の真実」の後半はかなりエロい。 ハリーポッターの競技場シーンに触発された前半では男をさんざん愚弄しているが、 ハインラインの「輪廻の蛇」に触発された後半では、両性具有者のセックスについてグレッグ・イーガンの「祈りの海」と、 上田早夕里の「ゼウスの檻」では性器の構造を変えて実現しているところ、もっと自然な形で巧妙に実現している。

Doruさんの内なる暴れ牛がいたずら心を出して過激なシーンを連発してしまう一方で、 どこでボツを食らうかも気にしていた。 その点では某社よりももっと許容力の高いコンテストを選ぶべきであった(だからこそ最初からアニソラでの公開を考えていた)。 エロやグロとはなんなのか何度もやりとりしたが、それ自体を目的とする読者向けの作品ではないので、 「異質なものへの好奇心」で線引きすることにしたが、どうだろうか……。

Doruさんが若い頃に興味本位で読み漁ったという平井和正、西村寿行、夢枕獏、菊地秀行のなかでも、 エグさで感動した(悪い意味ではないとのこと)という「悪霊刑事」を書いた西村寿行はエロ小説とともに多くの動物小説を書いており、 「悪霊刑事」の第三章「朱い粉塵の怪」では、ハエの新種の群体が人や家畜を宿主にし、 森を隠れ蓑にするなど「生態系」を描いた稀有なパニック小説である。

そういうところが動物観察記も多いDoruさんが共感した点なのか、 「悪霊刑事」のお気に入りの一節にそっくりな物語を第六章の「」として締め切りの直前に追加すると言い出した。 あまりに似過ぎているので私は入れない方がいいと言ったが、 Doruさんが固執したのでそのままで応募している。

実は、この「扉」は古事記のはじめの方に関係があるという。 イザナミは 兄のイザナギと交わって何人もの神々を産んだが、 火の神を生んだ際の火傷で死んでしまう。 イザナギは イザナミに会いたくて死者の国である黄泉国にやってくるが、 そこで蛆にたかられ、腐敗したイザナミを見てショックを受けて逃げ出してしまった。 もともと、蛆虫が大嫌いで、ゾンビー映画もほとんど見たことがないというDoruさんだが、 その「死」のイメージと「悪霊刑事」の一節を重ね合わせ、本作品の最後にふさわしいと考えたようだ。

しかし、亡くなった彼女が書き残したものを探していた家族の方に見せるとショックを受けると思い、 身近な人たちへの公開版では「扉」をカットしていたもの。 今回もどうするかさんざん迷ったが、本作品を語るうえでは欠くことができない物語であると思い、公開することとした。


その他の注釈

第一章 少し哀しい童話四作品

明治から昭和初期の作家小川未明風に春夏秋冬をいれてアレンジしたもの。

その一 秘密の仕事(春)

小川未明の代表作、「金の輪」を意識して作った作品。

その三 白い砂漠(秋)

童謡「月の砂漠」を意識した。

その四 どこでもいそうな恋人同士(冬)

もとネタはSF。

第三章 やもり三夜

その一 尻尾のないやもり

リアルであった話を漱石の「文鳥」風にアレンジした。

その二 私は少し悩んでいます

リアルであった話でもあり、隠喩でもある。

第四章 吸血鬼三作品

その三 神からの約束

昔の映画「スペースバンパイヤ」のぱくり。(元ネタはクトルフ神話の一系統らしい)

第五章 博物館めぐり

三作とも夢をネタにしてちょっと脚色したもの。

Doruさんの闘病と作風の詳細はこちら:

http://www.sf-fantasy.com/magazine/novel_s/doru/181/memorial_to_doru.html



西村 一
アビス海文台館長、自称海洋SF研究家
http://marine-earth-sf.blogspot.com/
http://arthistorydata.blogspot.com/
http://jogrid.net/abyss/indexj.htm